2018年02月25日

2018.2.17 横浜散策 第8回港北区

東急東横線大倉山駅⇒記念館坂⇒大倉山公園・大倉山記念館⇒エルム通り⇒大綱小学校4⇒大豆戸どろんこ保育園⇒港北スポーツセンター⇒大豆戸小学校⇒新横浜さわやか苑⇒大豆戸公園⇒ベガサス新横浜保育園⇒HANZOYA⇒横浜デジタルアーツ専門学校⇒岩崎学園⇒横浜アリーナ⇒プリンスペペ⇒新横浜グレースホテル・ぎん(昼食)⇒城南信用金庫⇒新横浜国際ホテル⇒新横浜駅前郵便局⇒呉竹鍼灸整専門学校⇒スタジアム通り⇒トラック総合会館⇒日産スタジアム⇒日産スタジアム前バス停留所⇒鶴見川流域センター⇒小机城址⇒医王山金剛寺⇒雲松院・旗本笠原家墓所⇒JR小机駅

記念館坂。
港北区大倉山2丁目と大曽根台1丁目の間にある坂で大倉山駅から東横線沿いに北に向かい,直角に曲がった後大倉山記念館に向かっています。かなりの急な坂で大倉山駅スタート直後だったのでややきつかったです。長さ380m、高低差36m、平均斜度5度とのことでした。
坂上には大倉山記念館があるのでこの名称となったようです。
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大倉山公園東急東横線大倉山駅の北西側の丘の上に、大倉山公園がありました。木々に包まれた丘の上に広場などを設けた公園で中心には大倉山記念館、北側の谷戸には梅林がありました。梅林には150本ほどの梅が咲き、本日から梅まつりとのことで人が多かったです。
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緑萼梅(リョクガクバイ)がありました。
これは日中友好の印として中国から各地に贈られているとのこと。葉は楕円形で、互い違いに生える(互生)。野梅系・青軸性の白い一重咲きの中大輪(花径25から30mm)。萼が黄緑色になるのが特徴とのことでした。
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公園入口にはハナミズキ、ツツジ、ヤマボウシなど季節季節でお花を楽しめそうです。

大倉山記念館。
実業家で後に東洋大学学長を務めた大倉邦彦(1882-1971)により1932年(昭和7年)「大倉精神文化研究所」の本館として創建されたとのこと。1981年(昭和56年)横浜市が寄贈を受け、大改修のうえ建物の保存を図るとともに、1984年(昭和59年)横浜市大倉山記念館として生まれ変わったのです。
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建物は、1932年(昭和7年)「大倉精神文化研究所」の本館として創建された。設計は、東京駅設計の辰野慎吾の一番弟子、長野宇平治。ギリシャ神殿様式のピロティー、昭和初期の雰囲気を残す第5集会室、神社建築の木組みを取り入れたホール、エントランスなど、映画やテレビのロケ地としても数多く活用されています。

東急東横線大倉山駅前の商店街は東へ向かえば「レモンロード」、西へ向かえば「エルム通」、「オリーブ通」、「つつみ通」と続き、それらが全体で「大倉山商店街」となっているのです。その中でも「エルム通」はギリシャ建築を彷彿とさせる意匠の建物が並び、その特徴的な佇まいから知名度も高く、「大倉山エルム通り」として広く知られているのです。
「大倉山エルム通り」には白い外壁の重厚な佇まいの建物が並んでおり、まるで古代ギリシャの神殿を思わせるような意匠の建物が並んでおり、全体が統一された印象になっていました。建物の白い外壁が陽光を照り返えすと、街路樹の緑がよく映えとてもきれいに見えます。それぞれの建物はそれほど規模の大きなものではなく、高層のビルなどもないから、通り全体が明るく開放的な感じです。美しい佇まいの街並みには電柱もなく、歩道には花々が置かれ、歩いていても気分がよくなります。
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大豆戸町(まめどちょう)という町名がありました。これは師岡熊野神社に大豆を奉納していたことに由来する地名だそうです。

横浜アリーナは、1989年4月に開業した多目的イベントホール。現・キリンホールディングスと横浜市、西武鉄道からの出資の第三セクター。アリーナ部分の最大面積8000 m2、最大収容人数は1万7000人で、コンサートやスポーツ、企業式典など、あらゆる用途に利用されています。
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こちらの街中ではこのマンホール蓋があちらこちらにありました。
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日産スタジアム。
7階建てで、公園駐車場が1階、ウォーミングアップルームやピット部分が2F、トラックやピッチのあるフィールド部分が3F、1階席が4F・5F、2階席が6・7階、と積み上げ式の建物。スタジアムの外周路は1周約930m。資源の有効利用のために大屋根部分に降った雨を芝生の散水やトイレの洗浄水に利用。また、水再生センターからの再生水をヒートポンプの熱源とし、さらにトイレの洗浄水に使用とのこと。
こちらは正面。大きすぎて全景を写せませんでした。
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鶴見川流域センター
鶴見川の源流は東京都町田市、河口は横浜市鶴見区の東京湾。鶴見川は町田市、横浜市青葉区、緑区、都筑区、港北区、鶴見区、川崎市幸区を流れる全長42.5km、流域面積235kmの一級河川。 このうち京浜河川事務所の直轄管理区間は、河口から第三京浜道路までの17.4km。支川の矢上川は、1.8km。支川の早淵川は、1.6km。支川の鳥山川は、1.9kmとのこと。流域の形が夢を食べるといわれる動物・バクに似ていることから「バクの川」ともよばれているとのこと。鶴見川は昔から大変な川で、市街化が進んで水害が起こりやすいのです。1980年昭和55(1980)年、保水・遊水機能の確保などを流域全体で進めていく「総合治水対策」の対象河川となり、緑地の保全や調整池の設置など、雨を一気に川へ流さないための流域対策と、ポンプ場の整備などの下水道対策と一体となって、河川の整備を進めてきました。
平成16(2004)年には、健全な水循環系を実現することで、治水・環境・利水など、鶴見川が抱える諸課題を総合的に解決するため、市民・市民団体・企業・行政等が一体となって行う「鶴見川流域水マスタープラン」が策定されました。
屋上では多目的遊水地を一望できました。越流堤、排水門、減勢池など遊水地の主要部を見て遊水地の仕組みの説明を職員さんから受けました。また、遊水地内にある日産スタジアムや周囲にある小机城址、小机城、遠方のランドマークタワーなども眺めることができました。
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白い枠があるのは新しくできた道路。その手前に一段低くなっているのが越流堤。そして細く見える水面が減勢池。これらは鶴見川が大雨で溢れてきた時、水をこちら側に流し、多い時は日産スタジアム1階までにも達するようです。

小机城(こづくえじょう)は、武蔵国橘樹郡小机郷にあった日本の城(平山城)。現在は小机城址は市民の森として、城の遺構が整備されつつあるようでした。
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小机城は、永享の乱(1438年 - 1439年)の頃に関東管領上杉氏によって築城されたとのことですが、正確にはいまだわかっていないようです。この城が歴史に登場したのは、長尾景春の乱のうち1478年(文明10年)に起きた攻守戦で山内上杉家の家宰であった長尾景春が、父の死後に家宰職を相続できなかったことに端を発し、主家に対する反乱を起こしたのです。このとき景春の味方をした豊嶋氏が小机城に立てこもり、敵方の太田道灌が攻撃。この時、道灌は近くの集落の松の大木の下に腰掛け、「小机はまず手習いの初めにて、いろはにほへとちりぢりとなる」と歌を詠んで味方を鼓舞したようです。程なく、鶴見川対岸の亀の甲山に陣をとり、約2か月かけて落城させたとのことです。道灌が歌を詠んだ松は以後「硯松」と伝えられ、三度の植えなおしを経て現存されていました。その後北条氏綱の家臣の笠原信為が城主として配置され城下の整備に力を注いだと見られ、江戸時代になってもその子孫は代々この地の付近に住んでいたようです。最後は徳川家康の関東入府のときに廃城とされたとのことです。2017年(平成29年)、「続日本100名城」(125番)に選定されたため近頃訪れる人が多いとのことです。

雲松院・旗本笠原家墓所。
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雲松院は字愛宕下という所にありました。小机の城主笠原越前守信為が開基。信為が法名を乾徳寺雲松道慶と云うことで寺名がついたようです。
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笠原越前守信為はじめ一族のお墓が本堂の後の山の半腹にありました。

本日の講師浅井先生、TD田村さんのお世話で今日は参加者23人、朝自宅出発時は5℃くらい。でも日中は12℃くらいにまでなったようです。梅の花も咲き、とても良いウォーキングでした。鶴見川流域センター、日産スタジアムのことは特に印象深かったです。9:30〜16:00、1日の歩程約8kmはやや歩程が短かったのかもしれませんが、スタートすぐの大倉山への上り、終了間際の小机城址までの上りはちょっときつく十分歩いた!の気分でした。まだまだ続く横浜散策です。今後も楽しく、頑張ります。
posted by yunofumi at 21:35| あちこちウォーク