2017年12月29日

2017.12.26 屋久島ぐるり一周の旅3日目

JRホテル屋久島スタート8:30→千尋滝→安房港→屋久島空港→宮之浦港→鹿児島港→鹿児島空港→羽田空港

今朝はやや曇りの天候、気温10℃。皆元気に出発です。

千尋滝(せんぴろのたき)。
滝を正面に見て左手には約400m×200mの巨大な花崗岩の1枚岩が渓谷を作り正面には落差66mの滝が2段になって見えました。岩肌と木々の緑、そして滝の勢いを眼前に見て感嘆!!
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お土産は焼酎やグァバ茶も良さそうでしたが自分の好みでたんかん、杉細工のストラップ、フルーツジャムとトビウオのあごだし、そして焼きあご。やはり家族全員が食することが一番ですから、、、。それにしても荷物は膨らむ!!ということでザックひとつで帰路としたいため宅急便をお願いしましたら何と!3日間!それでもお願いして身軽に出発しました。
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心残りはもちろん縄文杉を見られなかったことですがこれは山深く入らねばならず初めからあきらめていました。しかし屋久杉の知識をまとめて知るには屋久杉自然館が見る価値があったと思いこちらは残念。

さて長い行程ながらほとんど歩くことなく軽々で高齢者の旅行には最適でした。一番の収穫はお天気に恵まれたこと。ヤクシギランドの木道を進むにつれ気温は5℃まで下がり寒かったですがマイナスイオンいっぱいでとても満足。島の生活は東西南北により気候や風土が違い面白いと思いました。やはり厳しい現実もあるようでした。島の皆様が自然を大切に今後も過ごされることを祈りサヨナラしました。感謝!!
posted by yunofumi at 20:32| あちこちウォーク

2017.12.25 屋久島ぐるり一周の旅2日目

JRホテル屋久島スタート→安房→紀元杉→ヤクスギランド→安房港 屋久杉の郷杉匠→屋久島空港→小瀬田→屋久島大社→宮之浦港→志戸子→一湊→永田いなか浜→永田岬・屋久島灯台→川原・西部林道→大川の滝→中間・中間ガジュマル→ 16:00ホテル到着

朝目覚めると晴天の様子。意気揚々とお出かけしました。気温12℃、朝にしては暖かい。
ホテルの外周を一回り。すっかり元気になっていました。
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紀元杉。
細い安房林道をバスがやっと入り、ゆっくり上り標高1230m辺りにありました。木の先端は枯れており20種類以上の着生植物があるとのこと。初夏にはヤクシマシャクナゲ、秋はナナカマドが紅葉するとのこと。推定樹齢約3000年、胸高周囲8.1m、横に張り出した枝が折れそうで太いベルト?で釣り上げていました。
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ヤクスギランドは杉やツガの大木が多く立ち並んだ原生林。木道ができており、私たちはときめきの径30分コースをゆっくり1時間弱でウォーキングしました。
杉は一般的には樹齢500年前後でそもそも屋久杉とは樹齢1000年以上の杉をいい、数百年の杉は小杉というとのことです。屋久島の杉の樹齢が長いのは雨量が多いこと、花崗岩の地盤のため栄養が乏しく時間をかけて生育しているからなのです。この森では植物が岩や樹に根を這わせる着生、倒木となった過ぎに若い杉が育つ倒木上更新、切株更新、樹脂が多い屋久杉が伐採後も腐らずにそのまま倒れているのは土埋木、数本の杉が癒合した合体木など色々見ることができました。原生林の奥に進むにつれ気温が下がり、折り返し地点では5℃になっていました。切株はほとんど江戸時代に切られたようです。
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安房港にある屋久杉の郷「杉匠」で昼食と買い物。
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屋久島のトビウオ漁獲量は日本一とのこと。2階レストランでの昼食はトビウオのから揚げがメインの定食御膳。
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トビウオは一匹まるごと羽がついたままの姿で唐揚げになっており、頭からしっぽまですべて食べられるとの説明がありました。私は初めてでしたが身は白身、羽はこりこり。背骨以外は本当にたべられそうでした。私もいつもよりは結構きれいに食しました。吸い物はトビウオ出汁のあごだしを使っていました。この味はちょっと魚っぽい味でしたが珍しかったこと、粉末になっていたのでお土産に購入しました。
1階は土産物店。杉材の品物が多かったです。高価でちょっと手が出ませんでした。そうそう、これらは江戸時代に伐採された切株から作られているとのことでした。
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これまでにはこの島内で景色とお花を十分に堪能。
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永田いなか浜はどこまでも続く海面と約800mはある白砂の浜でした。今日は波が大きくうねり口永良部島は見えませんでした。ここは国内随一のウミガメ産卵地として有名で5〜7月に産卵のためにウミガメが上陸するとのことでした。
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屋久島灯台は永田岬の断崖に真っ白な姿を見せていました。地上から約20m、光到達距離41km、1897年建設。今日は晴天でしたからここから沈む夕日を見たかったです。
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西部林道は島の外周道路の一部で世界遺産に登録されているエリア。山間部ではカシ、イスノキ、シなどの照葉樹林をはじめ亜熱帯から亜寒帯までの植物があるそうです。ここは道幅狭く、ヤクザルやヤマシカも出ることから小型の自動車やバスでないと通行が難しそうでした。ヤクザルは人に慣れているのか車が近づいても悠然としていました。でも2回ほど見かけたヤマシカはすぐに逃げていきました。
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大川の滝(おおこのたき)。
高さ88m、日本の滝百選のひとつだそうです。岩肌と水しぶきはダイナミックな感じ。
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中間川沿いに進むとアーチ状になった樹齢300年以上の中間ガジュマルがありました。
個人宅の門の役目に見えました。この家の近所にはガジュマルが幾本も見えました。ガジュマルはクワ科の常緑高木で屋久島が北限だそうです。
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ここで無人の販売店でタンカン6個100円をゲット。

島内で製造されている「恵命我神散」は老舗恵命堂製造のOTC薬。生薬ガジュツ末が主成分の胃もたれなどに皆さんが気軽に使っているようです。昭和8年創業。創始者、柴 昌範は「病に苦しむ人を助け、命を救うことほど尊い事業はない」との理念から胃腸薬 恵命我神散を創製し、老舗恵命堂を設立。生薬ガジュツは屋久島や種子島産。屋久島と種子島に工場があり本社は東京とのことでした。

そして途中には徳洲会病院がデーンとありました。創立者徳田虎雄さんは鹿児島県大島郡徳之島町出身。いつでもどこでもだれでも最善の医療を受けられることをスローガンにした大病院グループの創設者。現在も筋萎縮性側索硬化症(ALS)ながら存命のようです。

本日は朝8:30スターから16:00ホテル帰着まですべてまつばんだ交通のガイド羽生さんが先導、CD福井さんが面倒を見たことで無事に1日の行程を安全に元気に終了。
本日は晴天で気温16℃と過ごしやすかったです。
ホテルの夕食は本日も素晴らしく満腹!満腹!
ホテルの温泉も柔らかい源泉。おまけに満点の星空でした。ウン十年ぶりに星が降り注ぐような感じでした。
posted by yunofumi at 19:20| あちこちウォーク

2017.12.24 屋久島ぐるり一周の旅1日目

本日より2泊3日の屋久島の旅のはじまりです。
本日はとにかく屋久島のホテルを目指す行程。
参加者女性のみ6名、CDは女性の福井さん。最後まで元気に頑張りましょうと挨拶しました。

羽田空港9:00ANA078便→鹿児島空港16:05
鹿児島空港→バス→鹿児島港(約1時間)
鹿児島港13:20→ジエット高速船Rocket2→屋久島宮之浦港15:10
屋久島宮之浦港→まつばんだ交通バス→JRホテル屋久島16:00

曇り空の羽田空港9:00からホテル到着16:00、もっともその前に自宅5:00出発でしたから実質11時間。それぞれ待ち時間が十分あるように動いていたとはいえ、やはりちょっと長かった!
初めてのジェット高速船は時速80kmとのこと。揺れはほとんどありませんでした。
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鹿児島は小雨。気温14℃、やや暖め。傘をさすこともなくホテル到着。
JRホテル屋久島は素晴らしい立地、お部屋も素晴らしい!食事も素晴らしい!
以下島内の案内はまつばんだ交通のガイド羽生さんからの受け売りです。
屋久島(やくしま)は、鹿児島県熊毛郡屋久島町で面積504.29 km、周囲130km(東西約28km、南北24km)[2]。円形に近い五角形で、淡路島よりやや小さい。鹿児島県の島としては奄美大島に次いで2番目、日本全国では7番目の面積。島の90%は森林。島の中央部の宮之浦岳(1936m)を含む屋久杉自生林や西部林道付近など、島の面積の約21%がユネスコの世界遺産に登録されている(登録は1993年)。
島民は14000人、小学校8校、中学校3校、公立高校1校。島内の発電は、屋久島電工が製錬所の自家発電のために建設した火力発電所と水力発電所からの電気を、屋久島電工と九州電力を含めた4事業者が分担して供給しており、日本では唯一の発送電分離の形式。平素は島内の電力は水力発電で賄われ、火力発電は緊急時に限って活用されるとのこと。
島のほぼ全域が山地。中央部には日本百名山の一つで九州地方最高峰の宮之浦岳 (1,936m) 。宮之浦岳、永田岳および栗生岳は屋久島三岳といわれているのです。
海岸部から間近に聳える山々は前岳と呼ばれ、本富岳、国割岳および愛子岳があるのです。
屋久島の高山はこの1550万年前にできた花崗岩がその後隆起して形成された様子。
屋久島を流れる河川は放射状に広がり、その数は140もあるといい、主な河川は安房川、宮之浦川、永田川、栗生川の4つ。また急峻な山々と日本一を誇る雨量のため深い渓谷が刻まれ、河床は急勾配で滝が発達している。大川の滝(おおこのたき)、千尋の滝(せんぴろのたき)などがをみました。
屋久島は月のうち、三十五日は雨」といわれるほどの所。年間降水量は平地で約4,500mm、山地では8,000mm〜12,000mm。特にヤクスギランドで2012年に11,129.5mmを記録、毎年10,000mm前後の降水量が観測されているとのこと。
また、山頂付近の年間平均気温は約6-7℃で積雪が観測され、日本国内での積雪観測最南端、60cm以上の積雪もありとのこと。
これらのことから豊富な流水や湧水に恵まれ、1985年、宮之浦岳流水は名水百選に選ばれ2007年には日本の地質百選にも選定されているのです。

JRホテル屋久島。
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お部屋のベランダからの景色。
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お部屋はスタンダードツインに一人で宿泊し大いに贅沢。宿泊費2万円?
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夕食は和洋折衷コースで満腹。皆さんがオーダーしたお酒はどれも美味だったようです。
本日はクリスマスイブなのでデザートは特別でした。
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大浴場は天然温泉。アルカリ単純温泉。PH9.7。とろりとしたお湯でお肌はしっとりすべすべになり大満足。
今日は遠い屋久島まで来たのにテレビドラマ「陸王」最終回を見て大満足で就寝しました。
posted by yunofumi at 01:25| あちこちウォーク

2017年12月21日

2017.12.13 横浜散策第6回 磯子区

JR根岸線磯子駅⇒Barilla City 横浜磯子⇒中村孝明貴賓館⇒汐見台ストア前バス停留所⇒久良岐公園⇒久良岐能舞台⇒藤の木中学校⇒岡村6丁目⇒天神前バス停留所⇒とんかつ美とんさくらい(昼食)⇒岡村天満宮⇒横浜学園前⇒岡村共栄会⇒滝頭2丁目・岩瀬商店街⇒横浜滝頭郵便局⇒たきがしら芭蕉苑⇒丸山市場・魚増跡⇒滝頭第三住宅⇒横浜市電保存館⇒坂下橋・掘割川⇒磯子橋東詰⇒根岸なつかし公園・旧柳下邸⇒根岸八幡神社⇒米国政府専用区域・根岸森林公園⇒馬の博物館⇒レストランドルフィン⇒根岸駅

磯子駅からすぐ見上げるばかりの崖をとても立派な専用エレベーターで上に上りました。
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上には「Brilla City 横浜磯子」があり、ここは平成25年竣工で、東に横浜湾、西に富士山、北にみなとみらい、南に三浦半島が望める高台にある全13棟、1230戸のマンション群でした。
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元は昭和天皇の義弟、東伏見邦英伯爵の療養のために1937年に建てられた貴賓館を含む広大な用地だったようです。貴賓館は現在、日本料理の鉄人、中村孝明さんのレストランとなっていました。
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久良岐公園(くらきこうえん)は、横浜市港南区と磯子区にまたがる、横浜市立の都市公園(総合公園)で面積は、約23万m2。汐見台団地の造成にあわせて整備され、1973年(昭和48年)に開園したのです。名称はこの一帯の古い地名である久良岐郡から採られたとのこと。
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中央付近に池があり、北側は散策路のある雑木林の先に久良岐能舞台がありました。南側は運動広場や芝生広場、桜の林、横浜市電の保存車両などがあり、春には花見客でにぎわうようです。
横浜市電1156号は1972年に廃止された横浜市電の車両。久良岐公園に保存されていました。1952年に製造された1150型のうち、2012年現在現存している唯一の車両とのことです。
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久良岐能舞台(くらきのうぶたい)。
1917年(大正6年)に東京日比谷の帝国ホテル裏に建てられ、1931年(昭和6年)に東京芸術大学の前身である東京音楽学校邦楽科に寄贈されたとのこと。同大学には1964年(昭和39年)に能舞台が新設されたため解体保存されていたのを、宮越賢治が譲り受け、ここに移築したのです。1984年(昭和59年)に横浜市に寄贈され、現在は市民の能楽・茶道・日本舞踊などの活動に使われているようです。部隊の鏡板には、日本画の大家平福百穂による老松が描かれていました。
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フォークデュオの「ゆず」は北川悠仁と岩沢厚治の二人で1996年3月に結成したとのこと。最初は路上ミュージシャンからのスタートで、横浜でライブを行っていたようです。「ゆず」の出身地はこの磯子区岡村で岡村中学卒業とのこと。磯子警察の岡村交番で「ゆず」のゆかりの地などが記された「ゆずマップ」が1998年12月に完成したとのことです。彼らは2003年には「NHK紅白歌合戦」に初出場。只今も人気者です。ということでこの交番のすぐ傍の「とんかつ美とんさくらい」で昼食。有名人の色紙などが一杯ありました。もちろん「ゆず」の写真などもありました。私は絵葉書をいただきました。
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岡村天満宮は源頼朝の家臣が京都北野天満宮の分霊をいただき、この地に創建したといわれる天満宮。大きな石の大鳥居をくぐり石段を上るといきなり「ゆずの壁画」がデーン!これって彼らがライブをしていた木町・松坂屋屋上に飾られていたのが閉店を機にこちらに移築され、ゆずの聖地巡りのスポットになっているとのことでした。
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境内には針塚や筆塚の碑、なでるとご利益があるという「天神様の撫で牛」もありました。

滝頭2丁目に入り岩瀬商店街を行くと丸山市場がありました。
ここには美空ひばりの父、加藤増吉さんが始めた魚屋『魚増」が営まれていたとのこと。市場の中を通ると今もお魚屋さんがあり、従兄弟の方が引き継いで営んでいるとのことでした。 お店は横浜市電保存館やひばりさんの出身校滝頭小学校もすぐそばにありました。

横浜市電保存館。
明治37年から昭和47年まで約70年間"ちんちん電車"の愛称で横浜市民の足として親しまれた市電が当時の姿で見られました。「横浜市電」は、明治37(1904)年から昭和47(1972)年までの約70年間、“ちんちん電車”の愛称で親しまれ、横浜市民の足として活躍したのです。横浜市電保存館は、市電が廃止された翌年の1973年(昭和48年)に滝頭車両工場跡地に開館し、その後、昭和58(1983)年には、現在の市営住宅1階に建て直されました。
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館内には、7両の市電車両、停留所標識、敷石などが昔の姿で保存され市電が走っていた時代を再現しているようでした。
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歴史展示コーナーでは、「横浜の発展と交通」をテーマとして、横浜の発展の礎となった吉田新田の干拓から、横浜開港、関東大震災、戦後の復興、市電の最盛期を経て廃止に至る経過、その後の横浜の都市計画の基となる6大事業や地下鉄への移行などが解説されていました。
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堀割川(ほりわりがわ)は、神奈川県横浜市を流れ根岸湾に注ぐ流域全長2700mの二級河川で大岡川の分流でもあります。この川は明治時代に作られた人工河川で、横浜港発展に大きな役割を果たしたようです。1870年、横浜港と根岸湾とを結ぶ水運と、吉田新田埋立用土砂確保のため、当時の神奈川県知事の井関盛艮が工事請負人を募り、吉田新田を開拓した吉田勘兵衛の子孫がこれに応じ、今の中村橋付近の丘陵を切り下げ、中村川から根岸湾まで運河を開削。その土砂で、当時の「一つ目沼」、のちに根岸線と横浜駅根岸道路の間の吉浜町・松影町・寿町・翁町・扇町・不老町・万代町・蓬莱町となる湿地帯の埋立を行ったのです。滝頭波止場(現在は動物検疫所となっている)が大波で破損するなどしたものの、1874年に完成した。2010年度には土木学会選奨土木遺産に認定されたとのことです。
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根岸なつかし公園・旧柳下邸。
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旧柳下邸(きゅうやぎしたてい)の建物は明治〜大正期の有力商人であった柳下氏により大正中頃に建設され、1923年(大正12年)の関東大震災では一部倒壊したが大部分は損失を免れ、その後、戦争など激動の昭和史の中を、柳下家の人々に受け継がれてきたのです。横浜市では1996年(平成8年)に敷地を取得し「根岸なつかし公園 旧柳下邸」として一般公開しているのです。建物は東館、西館、洋館、蔵から構成されていました。洋館の屋根は、周辺の町並みから突出しており、近隣のランドマーク的存在でした。 東館、西館の屋根は「むくり」を持たせた入母屋造りの和瓦葺き。東館は棟の向きが直交しているため、4つの入母屋屋根の複雑な構成になっているのです。洋館の屋根にはフランス瓦が葺かれていて、ドーマー窓、銅の棟飾りがついていました。柳下家はもともと明治初頭より、横浜でも有数の「銅鉄引取商」として弁天通に「鴨井屋」の屋号で店を構え、金属の輸入業を営んでいました。平次郎、達蔵兄弟の二家がありました。旧柳下邸の表玄関の横には、鴨井屋の屋号が彫られた鉄製の天水桶がありました。
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根岸八幡神社は、551年(欽明天皇12年)に海上に出現した八幡宮神体を祀り、八幡橋八幡神社の地に創祀、1766年(明和3年)この地に遷座したといわれているようです。明治8年村社に列格、伊勢社、宇佐八幡神社、山王社を合祀したとのことです。
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根岸森林公園は横浜競馬場(根岸競馬場)の跡地。公園は根岸住宅地区の施設を挟んで馬場内エリアとスタンドエリアがあり、馬場内エリアには広大な芝生エリアが広がっており、特に桜は有数の見所で、花見シーズンには人出が多いとのことでした。スタンドエリアには、現在でも横浜競馬場の遺構である旧一等馬見所が現存しており、横浜競馬場の説明文などがありました。高台にあるため、みなとみらいや、晴れた日には富士山なども見えるようです。
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横浜競馬場は1866年(慶応2年)に開設。1867年(慶応3年)に日本初の洋式競馬が行われた横浜競馬場の跡地で、現在も残る「旧一等馬見所」は関東大震災後に建築家のJ・H・モーガンの設計で再建されたもの。戦前には「帝室御賞典(現:天皇賞)」や「横浜農林省賞典四歳呼馬(現:皐月賞)」などの大レースが行われるなど、日本における洋式競馬の黎明期を代表する競馬場で、各地に設立された競馬場のモデルともなったようです。戦争が激化した1942年(昭和17年)に競馬の開催を中止。翌1943年(昭和18年)には海軍により接収され閉鎖。終戦後の1945年(昭和20年)9月、他の軍事施設と同様にアメリカ軍により接収され、1947年(昭和22年)からはアメリカ軍の管理下に置かれたのです。接収中、馬場内エリアは米軍専用のゴルフ場となっており、現在の芝生はその名残でもあるのです。1969年(昭和44年)に旧スタンドなど一部を除き接収が解除され、国有地となった敷地の大部分を横浜市が無償で借り受けて整備し、1977年(昭和52年)10月に根岸森林公園として開放されたのです。その他のエリアも1969年(昭和44年)より日本中央競馬会が整備を進め、1977年(昭和52年)に「根岸競馬記念公苑」として開設。馬の博物館もここに含まれていました。1982年(昭和57年)には旧スタンドも返還され、「旧一等馬見所」の裏手にはモーガンの設計図や竣工当時の写真パネルが展示されています。
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ユーミンの曲に出てくる根岸森林公園の高台にあるカフェ・ドルフィン。
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1974年(昭和49年)に荒井由実でリリースされたアルバム『MISSLIM』。そのA面4曲目に収録されている『海を見ていた午後』に♪山手のドルフィンは静かなレストラン、、とあるようです。
リリースから42年経った今でも、この曲の面影を求めて多くの人が店を訪れるとのことです。「ドルフィン」が店を構えるこの根岸旭台は、高級住宅地の様子でした。

今日は参加者28名、講師浅井先生、CD清水さん。晴天で気温12℃、歩程7km超、ほぼ無風だったことが幸いでした。まさに今年最後の紅葉を楽しんだ感がありました。しかし競馬場跡は広大でやや草臥れました。また根岸森林公園すぐわきに「米国政府専用区域」とあったのがなんとも複雑。終戦後70年以上たっても戦争の跡があるということです。
横浜は広い!18区もあるのです。今日はこれでやっと1/3を終了しました。今後も何が見られるか楽しみです。
posted by yunofumi at 22:17| あちこちウォーク

2017年12月15日

2017.12.7 第20回東京の新発見「新宿区」

副都心線西早稲田駅3番出口⇒タリーズコーヒー⇒早稲田大学西早稲田キャンパス⇒新宿コズミックセンター・戸3丁目⇒箱根山・箱根山陸軍戸山学校址⇒都立戸山公園⇒箱根山通り⇒早稲田大学正門⇒穴八幡宮・馬場下交番⇒木組博物館⇒高田馬場跡・堀部武庸加功遺跡の碑⇒甘泉園公園⇒水稲荷神社⇒甘泉園⇒大隈通り⇒観音寺⇒早稲田大学・大隈講堂・会津八一記念博物館・坪内博士記念演劇博物館「シェークスピア」完訳記念⇒トラード早稲田⇒
成文堂⇒鶴巻公園⇒牛込弁天町・幸和印刷⇒宗参寺・牛込氏墓・山鹿素行墓⇒漱石山房記念館・漱石公園⇒草間彌生・草間彌生ミュージアム⇒晴和病院⇒林羅山墓地・北山伏町⇒市谷小学校⇒市ヶ谷加賀町アパート⇒峰隆太氏宅⇒牛込第三中学校⇒なんど児童遊園⇒中華料理月下炉(げっかろ)(昼食)⇒宮城道雄記念館⇒フルオンザヒル⇒神楽加賀⇒善国寺⇒寺内公園⇒本多横丁⇒神楽坂通り⇒JR飯田橋駅

都立戸山公園は箱根山を中心とした箱根山地区と、明治通りを隔てた広場・大久保地区に分かれていました。箱根山(はこねやま)は、都立戸山公園内にあり、山手線内で一番標高が高い人造の山(築山)とのこと。山頂の水準点の標高は44.6m。紅葉が美しく近所の保育園児が多くお散歩に来ていた。また本日はこれmでのウォーキングでご一緒になった叔父様3人組と記念撮影をしました。
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箱根山は尾張徳川家のシミ屋敷があったところ。そこには見事な大名庭園戸山荘があったとのことですがこれがのちに陸軍戸山学校になり、今は記念碑がありました。この学校は日本陸軍の軍学校(実施学校)の一つで、歩兵戦技(射撃、銃剣術、剣術など)、歩兵部隊の戦術、体育、軍楽の教官・生徒育成と研究を行い、また陸軍を代表する軍楽隊として陸軍戸山学校軍楽隊を有していたとのこと。現在、歩兵戦技・体育の教官育成と研究は自衛隊体育学校に、軍楽は陸上自衛隊中央音楽隊教育科に引き継がれているとのことでした。
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穴八幡宮(あなはちまんぐう)は、旧称は高田八幡宮。
1062年(康平5年)源義家が奥州からの凱旋の途中、この地に兜と太刀を納め、八幡神を祀ったのがはじまりとのこと。1636年(寛永13年)に的場が造られ、この八幡宮を守護神としたのです。1641年(寛永18年)宮守の庵を造るため、社僧良晶が南側の山裾を切り開いていると横穴が見つかり、中から金銅の御神像が現れ、掘った人は「芽出度い」と大喜びし、以来、「穴八幡宮」と称したのです。3代将軍徳川家光は、この話を聞いて穴八幡宮を幕府の祈願所・城北の総鎮護としその後も歴代将軍がたびたび参拝し、8代将軍徳川吉宗は、1728年(享保13年)に世嗣の疱瘡平癒祈願のため流鏑馬を奉納したのでした。流鏑馬はその後も世嗣誕生の際や厄除け祈願として奉納され、穴八幡宮に伝わる「流鏑馬絵巻」には1738年(元文3年)に奉納された竹千代(後の10代将軍徳川家治)誕生祝の流鏑馬が描かれているとのことです。
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木組博物館は西早稲田2-3-26ホールエイト3階にあり、清水建設の関連施設です。木組みを中心に左官、漆などの伝統技術や素材、道具などを展示していました。 約40年に渡り数寄屋や社寺建築などの日本伝統木造建築の施工管理に携わってきた方々ではじめたとのこと。伝統工法で建てようとする人の減少、作り手の後継者がいない、材料が枯渇してきているなど日本の伝統木造建築の文化が、危機的状態に向かっているのを肌で感じ必要性を感じたのです。また木組み博物館は、従来の展示中心型、五感体験型からより能動的で深く心に刻まれる参画型の生きた博物館にしたいとの趣旨のようです。
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高田馬場跡・堀部武庸加功遺跡の碑(ほりべたけつねかこういせきのひ)。
早稲田大学のすぐ西側にある水稲荷神社の石段を登ったところに、この石碑がありました。
建碑年は1910年(明治43)とのことです。江戸の昔、この近辺には「高田馬場」と呼ばれた馬の練習場があり、元禄7(1694)年に「高田馬場の決闘」として有名な果たし合いがあり、助太刀をした堀部安兵衛は、ただ1人生き残って名を挙げ、さらに7年後には赤穂浪士の仇討ちにも参加して、伝説的な豪傑となりました。そんな彼のことを記したのが、この石碑で題額は、西園寺公望で清書したのは、当時の最高の書家の1人、日下部鳴鶴。文章を書いたのは信夫粲当時有名な漢学者。所在地】新宿区西早稲田3-5-43 
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水稲荷神社には太田道灌「道渡つかみさしの榎」を植え、榎の空洞から水が湧き出たのです。
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甘泉園公園(かんせんえんこうえん)は江戸中期の清水家の大名屋敷跡につくられた日本庭園で新宿区立唯一の回遊式庭園。「甘泉園」の名は、ここの山吹の井から出る湧き水がお茶に適していたところからきたとのことです。池を抱く森は周辺とは別世界の静けさを演出し、四季を通して、訪れた人々をもてなしているのです。
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早稲田大学(わせだだいがく)は1920年に設置。江戸時代末期の蘭学校であった北門義塾(柳田藤吉の創設)が明治5年閉校後、その意思を受継ぎ隣地に大隈重信が明治14年の政変で下野した後に設立した東京専門学校が前身。日本の私立大学としては慶應義塾大学(「早慶」の慶)などと共に最も古い段階で大学令に基づく大学となったのです。2011年現在、10の学術院のもと13学部・21研究科(大学院)を設置している。国際交流が盛んで、特にアジアからの外国人留学生が多い。また大隈重信が明治を代表する政治家であり、イギリス流の政治経済学を中心とする大学をモデルに設計されていることから、政治経済学部を中心に政界・財界に多くの逸材を輩出している。

大隈講堂(おおくまこうどう)は、早稲田大学早稲田キャンパスにあるチューダー・ゴシック様式の講堂。 正式名称は「早稲田大学大隈記念講堂」。 早稲田大学建築科の創設に携わった佐藤功一をはじめ、建築学科の教員らを中心に設計された。
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会津八一記念博物館。
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会津八一は東洋美術史の研究者、歌人、初夏でもあり、早大卒で教鞭も取ったようです。
ここには早大創立以来の学術研究成果、大隈重信遺品、富岡重憲コレクションなど収蔵品は2万件あるとのこと。本日は幸運にも横山大観・下村観山による名画「明暗」が見られました。

坪内博士記念演劇博物館。
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演劇博物館は、1928(昭和3)年10月、坪内逍遙博士が古稀の齢(70歳)に達したのと、その半生を傾倒した「シェークスピヤ全集」全40巻の翻訳が完成したのを記念して、各界有志の協賛により設立されました。
以来、演劇博物館には日本国内はもとより、世界各地の演劇・映像の貴重な資料を揃えているとのこと。錦絵46,800枚、舞台写真400,000枚、図書255,000冊、チラシ・プログラムなどの演劇上演資料80,000点、衣装・人形・書簡・原稿などの博物資料159,000点など。
演劇博物館の建物自体が、ひとつの劇場で、舞台正面にはTotus Mundus Agit Histrionem“全世界は劇場なり”というラテン語が掲げられているとのこと本日は工事中で詳しくみられませんでした。

トラード早稲田
早稲田大学の大隈講堂の南側の道路を挟んだはす向かい辺りに、この奇想天外な建物がありました。1983年早稲田大学理工学部建築学科を卒業した梵寿綱(ぼんじゅこう、本名田中俊郎)という「日本のガウディ」と呼ばれる建築家の作品だそうです。
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宗参寺(そうさんじ)は、天文12年(1543年)に没した牛込重行(法号:宗参)の墓所を、息子の牛込勝行が造ったことが始まり。
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牛込氏は、元は上野国(現在の群馬県)の領主で、室町時代に後北条氏の家臣となって現在の牛込地域を領した。その後、徳川家康に仕えて幕末まで旗本として続いたということです。
宗参寺内には牛込氏累代の墓がありました。また、江戸時代の兵学者・儒学者の山鹿素行の墓もありました。

漱石公園には夏目漱石が暮らし、数々の名作を世に送り出した「漱石山房」の書斎、客間、ベランダ式回廊を、漱石山房記念館に再現されていました。
本年9月に都立の施設として開館したのです。
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草間彌生ミュージアムでは今、草間彌生美術館開館記念展をこけらおとしとして開催中のようでした。近くには彼女のスタジオもあるようでした。
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宮城道雄記念館は宮城道雄の偉業を顕彰するとともに、今後の日本音楽の発展に寄与するため、昭和53年(1978)12月6日、故人が晩年まで  住んでいた敷地に建設された日本で最初の音楽家の記念館。宮城道雄の生涯や楽器もみられました。館内には名曲「春の海」が流れていました。
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毘沙門天で有名な善國寺は創設されたのは、桃山時代末の文禄4(1595)年で、今からおよそ400年前に麹町に創建。1793年(寛政5年)にこの地に移転。初代住職は佛乗院日惺上人と言い、池上本門寺十二代の貫首を勤めた方。上人は、二条関白昭実公の実子であり、父の関係で徳川家康公と以前から親交を持っていた。上人が遊学先の京都より、本門寺貫首として迎えられてから九年後の天正18(1590)年、家康公は江戸城に居を移し、二人は再会することになった。 そこで上人は、直ちに祖父伝来の毘沙門天像を前に天下泰平のご祈祷を修した。それを伝え聞いた家康公は、上人に日本橋馬喰町馬場北の先に寺地を与え、さらに鎮護国家の意を込めて、手ずから『鎮護山・善國寺』の山・寺号額をしたためて贈り、開基となったのです。
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本日は見るところが多く歩程11km、16000歩だったのですがやや疲れました。日本晴れで気温12℃、絶好のコンディションの中、講師信野先生、CD菅野さんで参加者20人は最後までどうにか元気でした。本日でこの23区めぐりは一応完結。しかし私はお休みしたのが3回あり、来年に持ち越しです。一巡完歩されたお二人におめでとう!の拍手を送りました。
posted by yunofumi at 20:45| あちこちウォーク

2017年12月03日

2017.11.19〜12.3 紅葉を楽しむ

11/19 代々木公園にてノルディックウォーキング。紅葉が始まっていました。
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この青空も素晴らしかったです。

11/20大島小松川公園にてノルディックウォーキング。こちらの紅葉はいよいよ本格的でした。
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坂道の紅葉に癒されました。

11/26駒沢公園の紅葉。オリンピックの準備も本格的になっている様子。広々した中での紅葉は美しかったです。
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12/2国立西洋美術館の「北斎とジャポニズム」、東京都美術館の「ゴッホ展」へ。
北斎、モネ、ゴッホで頭と心が満杯になり、広々した上野公園で大いに紅葉を楽しみました。
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12/3 代々木公園にてノルディックウォーキング。いよいよ紅葉は終盤でした。
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この秋は遠出をせずに大いに紅葉を楽しみました。
posted by yunofumi at 21:31| ドタバタ日記