2017年07月24日

2017.7.22 横浜散策第3回 都筑区

本日は横浜市都筑区のウォーキング。
講師は浅井先生、CDは金子さん。ということでまずは先生から都筑区についての説明がありました。
都筑区は横浜市の北部に位置し、平成6年、港北区と緑区の再編成により誕生した新しい区。 区域の北部と中央部は港北ニュータウン地域で、豊かな自然と緑を残しており、都市と農業が調和した新しい街づくりが進んでいるとのこと。区の中心となるタウンセンター地区は横浜の副都心として、商業・業務・サービスの集積や、文化施設の整備が計画されているようです。現在、総合公園の整備が進み、区総合庁舎・警察署・病院・郵便局・銀行・商業施設などはすでに開業すみ。また、区内には市営地下鉄が開通しています。また区内には農地が多くあり、野菜を中心に都市農業がさかん。また、数多くの企業の本社・研究所・研修所が進出しており、鶴見川沿いに工業地帯が形成されてきているようです。人口は18区中8番目で、平成26年に21万人を超え、今でも人口の増加が著しく、平均年齢が市内で最も若い区だそうです。

横浜市営地下鉄ブルーライン中川駅⇒くさぶえの道⇒山ア公園⇒牛久保西公園⇒ふじやとの道⇒徳生公園⇒南山田小学校⇒城山東急バス停⇒堀之内稲荷神社⇒山田神社⇒中央大学附属横浜中学校高等学校⇒牛久保東町⇒都筑民家園横浜市歴史博物館⇒大塚歳勝土遺跡公園⇒横浜市営地下鉄ブルーラインセンター北駅

私は東京メトロの副都心線で渋谷に出て東急田園都市線であざみ野まですんなり来ました。そして横浜市営地下鉄ブルーラインの中川駅で下車。
横浜市営地下鉄ブルーラインは横浜市青葉区のあざみ野駅から藤沢市の湘南台駅までを結ぶ横浜市営地下鉄の路線で32駅、約40kmあるとのこと。本日は初めて乗りました。

「くさぶえのみち」は都筑区にある北ルートの緑道のこと。
中川駅そばの烏山公園や山ア公園から、牛久保公園をぬけて、徳生公園へつながっていました。
くさぶえのみちスタートの表示
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まさに緑道です。
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山ア公園には池もあり、本当に憩いの場所になっていました。
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牛久保西公園では花が咲き、大きな竹林もありました。筍の産地なのです。
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徳生公園からは、なつみかん公園までつながる道と、山田富士公園を通り、のちめ不動前の交差点あたりまでつながる道、「ふじやとのみち」があります。ふじやとのみちには、十二支の文字が彫られた石が点在していました。この辺りでは十二支の石を探しながらウォーキングしました。
徳生公園の池はなるほど涼しげでした。
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「ふじやとのみち」では最初に「とら」の石。
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その後、ボチボチ石を探しながら歩を進め「さる」はちょっと意外なところに。
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また「いぬ」は石ではなく城山歩道橋の上に鉄を細工して鎮座していました。
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最後の「ゐ」はゴール地点の傍にありました。ここまでで4.1km.
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山田神社(やまたじんじゃ)には裏手から上りました。
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金網で保護されていた竜や鳳凰などの精巧な彫刻が施されている本殿は、市の有形文化財。 また、市の民俗芸能に指定されている、7月の「虫送り」行事は、この境内が出発点とのことです。長く続く階段が多い参道の両側には、12月ごろサザンカの花が見事だそうです。
1910年に近隣の神社が合併し、妙見社という神仏習合の神社が建っていた場所に山田神社が建立された。釣鐘は妙見社のころから設置されていたとのことでした。
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横浜市歴史博物館は1995年(平成7年)開館。20年を経過しました。活動のポリシーは「ムラと人々のくらし」。博物館の使命は、地域の文化資源、つまり文化財を収集、保存、研究し、展示や講座などでその成果を多くの市民に公開していくべきということで住民、特に小学生の教育に深くかかわっているようです。施設、学芸員ともとても充実しているよで市の施設としては今まで見た中でも一番の充実ぶりでした。
博物館入口。
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展示の様子。
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歴史博物館は隣接地に国史跡の弥生時代の大塚・歳勝土遺跡公園があり、大規模環濠集落跡が見られました。
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横浜市営地下鉄ブルーラインセンター北駅は商業施設も多く、ゆったり休憩の後、帰路につきました。
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本日は34℃、晴天。それでも午前は10:00から緑道のウォーキングが主で心地よく過ごしました。昼食は「つくし」で昼膳をいただき、満たされました。
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午後は炎天下でかなり状況は厳しくへばりました。しかし参加者22名、途中リタイアもなく約20000歩を15:30には完歩。いかに日影やそよ風が有難いかを実感した半日でした。
次は9月のウォーキングとなりますので脚力が落ちないように適度に運動をしながら暑さを乗り切りたいと思います。
posted by yunofumi at 21:06| あちこちウォーク

2017年07月19日

2017.7.15 第17回東京の新発見「世田谷区」

東急田園都市線駒沢大学駅⇒駒沢大学駅前商店街⇒駒沢大学⇒駒沢大学耕雲館⇒向井潤吉アトリエ館⇒親和橋商店会⇒世田谷1丁目⇒松崎煎餅⇒松陰神社通り⇒松陰神社前駅⇒櫻井米店⇒松陰神社・吉田松陰先生他烈士墓所・松下村塾⇒国士館大学⇒勝国寺⇒世田谷区役所城山分庁舎⇒城山小学校⇒豪徳寺2丁目⇒豪徳寺・本殿・六地蔵・井伊直弼墓⇒世田谷城跡⇒旧玉電踏切⇒SAIGON(昼食)⇒大場家住宅・郷土資料館・世田谷ボロ市⇒桜小学校バス停⇒世田谷警察署松ヶ丘交番⇒東京農大第一高校⇒東京農大食と農の博物館⇒馬事公苑⇒桜新町駅

東急田園都市線駒沢大学駅から約10分で駒沢大学到着。
駒沢大学は日本の仏教宗派の一つである曹洞宗が1592年(文禄元年)に設立した吉祥寺の学寮(吉祥寺会下学寮)を起源とする旃檀林(1657年命名)が発展した大学。曹洞宗の開祖は道元禅師。駒澤大学の建学の精神は、「仏教」の教えと「禅」の心を現代的教育に活かしてゆくこと。このことは「行学一如」と「信誠敬愛」の言葉で示されているとのこと。
現在、コメディアンの萩本欽一さんが学生となっていることは有名なことです。
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駒澤大学禅文化歴史博物館は、1928年(昭和3年)に菅原榮蔵によって図書館として建築されたのが「耕雲館」。2002年(平成14年)6月からは、禅文化関係の文物を収集・保存・展示する博物館となったとのこと。図書館が所蔵していた貴重書や禅堂の彫刻などを移転して再構成し、その特徴的な建築は東京都選定歴史的建造物に認定されており、また世田谷芸術百華にも参加しているとのことです。本日はお化粧直しで布に覆われており外観はよくわかりませんでした。
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修行僧の食事です。
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天井のステンドグラスが綺麗でした。
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向井潤吉先生は、戦後より一貫して、日本の風土に根ざした茅葺き屋根の民家をモティーフとして、制作してきた画家。戦後の高度経済成長の中で次々にその姿を消していく民家を求め、つねに現場におもむき、誇張のない的確な写実表現によって、民家のありのままの姿を生き生きととらえ、日本の美しい風土そのものを描き残してきたのです。
向井潤吉アトリエ館は、向井先生と家族が昭和8年より住まわれてきた世田谷区・弦巻の閑静な住宅地にありました。クヌギ・コナラ・ケヤキなど、武蔵 野の面影を今に残す樹木に囲まれたアトリエ館は、瀟洒な雰囲気を醸し出し、潤いのある憩いの場と感じさせました。アトリエ館は、昭和37年に建てられた、アトリエと住まいを兼ねた建築と、昭和44年に岩手県一関より移築された土蔵が対になっていました。 
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松陰神社の鎮座地にはかつて長州藩主の別邸があった所。松陰が安政の大獄で刑死した4年後の1863年(文久3年)、高杉晋作など松陰の門人によって小塚原の回向院にあった松陰の墓がここに改葬されたのです。1882年(明治15年)、門下の人々によって墓の側に松陰を祀る神社が創建された。現在の社殿は1927年から1928年にかけて造営されたものである。松陰神社はこの世田谷区と山口県萩市にあります。
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松陰の50年祭に際して寄進された26基の燈籠には伊藤博文、木戸孝正、山縣有朋、桂太郎、乃木希典、井上馨、青木周蔵などの名前があります。松下村塾を模造した建物や頼三樹三郎、広沢真臣らの墓もありました。松陰らが眠る墓域は幕末時代、徳川勢により一度破壊されましたが、明治元年(慶応4年)、木戸孝允がこれを修復整備しています。墓域には現在も、木戸が寄進した鳥居があります。また、敷地に隣接する形で桂太郎の墓もあります。桂自身の遺言により、この地に埋葬されたとのことです。

吉田松陰先生他烈士墓所
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松下村塾
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勝国寺(しょうこくじ)は、新義真言宗の寺院。この地が世田谷城の裏鬼門に位置しており、鬼門除けのために薬師如来を安置して祀ったのが起りとのことです。
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豪徳寺(ごうとくじ)は招き猫発祥の地といわれ、境内には招き猫が一杯でした。
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この辺りは中世の武蔵吉良氏が館を構え、1590年(天正18年)の小田原征伐で廃城となった世田谷城の主要部だったようです。
1480年(文明12年)、世田谷城主吉良政忠が伯母で頼高の娘である弘徳院のために「弘徳院」と称する庵を作ったのです。当初は臨済宗に属していましたが、1584年(天正12年)曹洞宗に転じています。
1633年(寛永10年)、彦根藩主・井伊直孝が井伊氏の菩提寺として伽藍を創建し、整備したとのこと。寺号は直孝の戒名である「久昌院殿豪徳天英居士」によるとのことでした。
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なお、徳富蘆花の「謀反論」にもあるとのことですが、松陰神社とは谷を挟んで目と鼻の先でした。豪徳寺は吉田松陰を刑死させた安政の大獄を起こした井伊直弼の菩提寺であることも不思議でした。

三重塔
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井伊直弼墓
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世田谷城跡。
世田谷城は、吉良氏によって築かれた平山城で世田谷に本拠を置いた奥州吉良氏が代々居を構えた場所。世田谷城は経堂台地から南に突き出た舌状台地上に占地し、城域の三方を取り囲む様に麓を烏山川が流れ天然の堀を成していたとのこと。豪徳寺付近に本丸を置き、現在の世田谷城址公園付近まで城域が拡がっていたものと考えられているとのこと。世田谷城址公園内から北に向けて延びる、空堀及び土塁が現存していました。
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仲良し3人のおじ様は本日も元気に参加されていました。
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大場家住宅は世田谷代官屋敷といわれ、彦根藩世田谷領の代官を世襲した大場家の私邸と役宅でした。敷地内には、表門と主屋、お白洲の玉砂利が白洲跡として残っていました。表門はボロ市の開かれるボロ市通りに面して建つっており、主屋は約70坪で茅葺、寄棟造りでした。世田谷ボロ市は世田谷区で毎年1月15・16日と12月15・16日に開かれるボロ市のこと。また本日はホタル祭りとサギ草市の日で表門も開いており、賑わっていました。
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サギ草
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大場家住宅に隣接して郷土資料館がありました。さまざまな資料や模型で世田谷の歴史が細かく説明されており、世田谷にも古墳があったことも示されていました。
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入口傍には擂臼、麦打ちコロ、狐の石像、地蔵菩薩など集めてありました。
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1578年、北条氏政の「楽市掟書」により世田谷城下で始まった楽市を嚆矢としているとのこと。江戸と小田原の間にある世田谷宿において伝馬の確保のため、宿場を繁栄させようという目的があったと思われるようです。その後、北条氏が豊臣秀吉により1590年の小田原征伐で没落し、北条氏の配下であった吉良氏の世田谷城も廃止されたことから、楽市は急速に衰えたのですが、その後も近郊農村の需要を満たすため、農具市として年末に開かれる歳市に形を変えて現在につながっているのです。
ボロ市名物は味があんこ、きなこ、からみの3種類の代官餅だそうです。

東京農大食と農の博物館は食と農を通して、生産者と消費者、シニア世代と若い世代、農村と都市を結ぶことがコンセプト。 様々なイベントや隣接する展示温室“バイオリウム”では、楽しい学びの場を提供しているようです。ということで“見る、聞く、触る、味わう”という食と農、そして環境について見分できました。
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カフェ プチ・ラディッシュではビタミンCが豊富なカムカムドリンクをいただきました。
珍しい味だったのでとちのはちみつと共にお土産にゲットしました。
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帰路の終点は東急田園都市線桜新町でした。ここではサザエさん一家のお見送りをいただきました。
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本日も14名が参加。講師は牧さん、CDは長身の小玉さん。晴天のもと、暑さは厳しく34℃でしたので施設に伺っては調子を整え、一気にウォーキングというパターンを繰り返し、朝10:00〜15:00で約11km、歩程20000歩を全員が完歩。
少し残念だったのは世田谷美術館が改修工事のため休館中で見られなかったことです。でもきちんとそれを補うべく向井潤吉アトリエ館を組み込んでいたのはサスガ!!と思いました。
本日で都内23区中17区終了。まだまだ先が長いので気長に楽しく回を重ねたいと思っております。
posted by yunofumi at 04:09| あちこちウォーク

2017年07月17日

2017.7.11 銀座線ウォーク第4回 

上野広小路〜浅草

銀座線は浅草から渋谷まで19駅、15km、乗車時間は32分。
このシリーズではこのコースを4回として地上部分をウォーキング。
第1回は渋谷・表参道・外苑前・青山1丁目・赤坂見附。
第2回は赤坂見附・溜池山王・虎の門・新橋・銀座・京橋。
第3回は京橋・日本橋・三越前・神田・末広町・上野広小路。
そして本日、第4回目は上野広小路・上野・稲荷町・田原町・浅草まで。

上野広小路駅⇒あすか信用金庫上野支店⇒箭弓稲荷神社⇒湯島中坂下交差点⇒本富士警察署天神町交番⇒湯島駅⇒上野恩賜公園・上野公園野外ステージ・不忍池・彰義隊戦争の黒門跡・西郷隆盛銅像・彰義隊の墓・清水観音堂・上野精養軒・パゴダ薬師堂・上野大仏⇒正岡子規野球場⇒摺鉢山古墳⇒上野駅・パンダ橋⇒東京メトロ銀座線踏切⇒日本警察犬協会⇒広徳公園・広徳禅寺遺跡⇒台東区役所⇒上野消防署⇒下谷神社・寄席発祥の地碑⇒稲荷町駅⇒誓教寺・葛飾北斎の墓⇒光明寺⇒妙音寺⇒聖徳寺・玉川庄右衛門および清右衛門の墓⇒
本覚寺・ガンダーラ仏⇒福徳稲荷神社⇒矢先稲荷神社⇒合羽橋商店街・かっぱ河太郎⇒浅草みよし(昼食)⇒東本願寺⇒西浅草1丁目⇒等光寺・石川啄木碑⇒宗吾霊堂⇒黒船神社⇒浅草消防署前交差点⇒バンダイ⇒駒形1丁目・駒形どぜう⇒世界のカバン博物館・新川柳作記念館⇒都営地下鉄浅草駅⇒雷門そば⇒駒形橋⇒駒形堂⇒雷門郵便局⇒東京メトロ浅草駅⇒松屋浅草7階駅見世・六本木六丁目食堂

今日も朝から陽ざしが厳しく暑い!20人が参加、3グループに分かれ東京シティガイドクラブの女性3人が説明役。私はB班で大和さんが担当。

上野恩賜公園は上野駅下車でいつも桜や動物園、博物館などを見に来る所。元々は江戸城の鬼門だったということで寛永寺などができたようです。オランダ医師アントニウスボードウィンの提案で公園になったとのこと。今日は不忍池の池のスイレンが綺麗に咲いていました。
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上野は1868年1月鳥羽・伏見の戦で始まる旧幕府佐幕派諸藩軍と朝廷側の倒幕軍との内戦だった戊辰戦争で寛永寺に立て篭った旧幕府軍の彰義隊を新政府軍が包囲殲滅した上野戦争があった場所。彰義隊戦争の黒門跡、西郷隆盛銅像、彰義隊の墓を見ました。
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清水観音堂は寛永8年に天台宗東叡山寛永寺の開山、慈眼大師天海大僧正によって創建。天海大僧正は寛永2年に、二代将軍徳川秀忠から寄進されていた上野忍が岡に平安京と比叡山の関係に倣って「東叡山寛永寺」を開山と同時に、比叡山が京都御所の鬼門を守護、王城の鎮護を担うと伝えられるのに倣い、江戸城の鬼門の守りをも意味したとのことです。その時に建立されたのが清水観音堂です。
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パゴダ薬師堂と上野大仏がある丘に釈迦如来坐像が安置されていました。 
最初の大仏は越後村上藩主堀直寄が寛永8年(1631)に造立し、2.8mの釈迦如来像だったようですが粘土を漆喰で固めたものであった為、1647年(正保4年)の地震により倒壊してしまったのです。その後再建されたようですが1873年(明治6年)上野公園開設時に仏殿が取り壊され、1923年(大正12年)の関東大震災では大仏の面部が落下、また第二次世界大戦における金属供出令により大仏の体・脚部を国へ供出した為、面部のみが寛永寺に遺ったようです。寛永寺では、1972年(昭和47年)丘陵上野左手に壁面を設け、いまのように「上野大仏」の顔をレリーフ状に奉安のです。
時の鐘は上野精養軒の看板傍にありました。
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摺鉢山古墳にはびっくり。上野公園内にある全長約70mの前方後円墳。後円部径約43m・高さ約5m、前方部最大幅約23m、埴輪片が出土しており内部構造は不明とのこと。5世紀頃の築造のようです。
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東京メトロ銀座線唯一の踏切で上野検車区の出口。遮断機の先は、下り勾配になっていて、トンネルに入り、地下鉄の上野駅へ続いているのです。
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広徳禅寺遺跡は区役所に隣接している「広徳児童遊園」に「広徳禅寺遺跡」の碑がありました。広徳禅寺はもとは台東区役所となっている所。
 「びっくり下谷の広徳寺、おそれ入谷の鬼子母神」と入谷の鬼子母神と並び江戸を代表する寺院として知られ、加賀前田家・会津松平家など多くの大名家菩提寺となっていました。墓所には大名家の多宝塔などが林立する壮観な寺院でしたが関東大震災により焼失し、現在は練馬区桜台に移転しています。 
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下谷神社・寄席発祥の地碑
下谷神社は、第45代聖武天皇の730年(天平2年)に峡田稲置らが、日本武尊の神徳を崇め奉って上野忍ケ丘の地にお祀りしたのが創まりとのこと。
東京大空襲では焼失しなかったとのこと。
また、下谷神社は1798年(寛政10年)に初めて寄席が行われた地で、境内には「寄席発祥の地」の石碑がありました。
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誓教寺・葛飾北斎の墓
葛飾北斎は江戸後期の著名な浮世絵師で葛飾流の始祖。本姓は中島、名は時太郎のち鉄蔵。号は春朗、宗理、可候、画狂人、卍翁など三十余あったとのこと。1760年(宝暦10年)江戸本所割下水の生まれ、父は徳川家用達の鏡師中島伊勢とのこと。十四、五才の時彫刻師に学び、十九の時に浮世絵師勝川春章の門に入ったが、ひそかに狩野派の画法を学び破門。以来土佐派、淋派、洋風画、中国画などを学び独自の画境を開いたのです。肉筆画、版画、絵本、さし絵などに手腕をふるい、特に風景画は広重とともに称賛され、「富岳三十六景」をはじめ傑作が多い。彼の作品はヨーロッパに多く流れ、フランスの印象派の人びとに大きな影響を与えたのです。
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聖徳寺には玉川庄右衛門および清右衛門の墓がありました。この二人は江戸時代初期に江戸市民の飲料水を確保するために、玉川上水を開発したのです。
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本覚寺・ガンダーラ仏
祖師堂はとても雰囲気が良かったです。
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矢先稲荷神社(やさきいなりじんじゃ)には福禄寿が祀られていました。1642年(寛永19年)、時の三代将軍徳川家光公が国家の安泰と市民の安全祈願ならびに武道の練成のために、江戸浅草のこの地に三十三間堂を建立し、弓の射技練成のために「通し矢」が行われたとのこと。また京都の三十三間堂にならって建立されたこの堂の守護神として稲荷大明神を勧請し、その場所がちょうど的の先にあたっていたので「矢先稲荷」と名づけらたのです。 1698年(元禄11年)浅草の大火や関東大震災、東京大空襲などにもあったのですが現在地に再建されています。
浅草名所七福神(あさくさなどころひちふくじん)は浅草寺(大黒天)・浅草神社(恵比須)・本龍院(毘沙門天)・今戸神社(福禄寿)・不動院(布袋尊)・石浜神社(寿老人)・吉原神社(弁財天)・鷲神社(寿老人)そして矢先稲荷神社(福禄寿)。いつか一巡してみたいものです。
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合羽橋商店街・かっぱ河太郎
東京合羽橋商店街振興組合が平成15年に「合羽橋道具街」が誕生90年を記念してシンボル像「かっぱ河太郎」を建立。「合羽橋道具街」は、明治末期から大正初期に古道具を取り扱う店の集まりから発生、第二次世界大戦後に主に料理飲食店器具や菓子道具を販売する商店街へと発展したのです。現在では、和、洋、中華食器、漆器、和洋菓子機器、厨房設備器具、ショーウインド、和洋家具、店舗装備デザイン施工、サンプル、看板、食料原材料、包装用品等を取り扱う 170店舗、約 800mの専門店街となっています。
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浅草みよし(昼食)は素晴らしく美味しいお店でした。色々次から次のお料理が並び、これは個人で来るとかなり良いお値段かもしれません
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東本願寺(ひがしほんがんじ)は、浄土真宗東本願寺派の本山。ご本尊は阿弥陀如来。2017年現在の住職は、浄土真宗東本願寺派第26世法主である大谷光見(聞如)師。境内は4252坪と広く荘厳な雰囲気が満ちていました。
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等光寺・石川啄木碑
等光寺は、斎藤道三に殺された土岐頼藝の遺子大圓が、父祖を追福するため三河國宝飯郡廣石村に創建、慶長14年(1609)神田旅籠町へ移転、明暦の大火により浅草へ移転したということです。ここには明治時代に活躍した詩人、石川啄木の歌碑があり、啄木の処女歌集「一握の砂」に収められた「浅草の夜のにぎわひに まぎれ入り まぎれ出で来しさびしき心」の句が刻まれていました。啄木生誕70年にあたる1955年(昭和30年)に建立されたのです。
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宗吾霊堂は桓武天皇の時代に、征夷大将軍坂上田村麻呂が房総を平定し、戦没者供養のため建立された真言宗豊山派の寺院。義民といわれる佐倉宗吾(木内惣五郎)は、350年前に佐倉藩国家老による暴政のため領民の救済を4代将軍家綱公へ直訴し、その罪により公津ケ原刑場で磔刑(はりつけ)に処せられのです。
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黒船神社は、平将門の乱を平定した平貞盛・藤原秀郷が造営、黒船稲荷大明神と号して天慶3年(940)に創建。藤原秀郷は、財宝を積んだ黒船に白狐がいる霊夢を見、墨田川の浜の石上に当社を勧請したとのこと。江戸時代に入り散穂稲荷大明神、紅葉山稲荷大明神を合祀、黒船三社稲荷大明神と称されたのことです。狛犬から見てもっと大きな神社だったと思われました。
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世界のカバン博物館は大手カバンのメーカーのエースが運営する施設。中はカバンに関するパネル展示、現物展示、ビデオ展示など、想像以上におもしろかったです。8階はカバンのエースの創業者・新川柳作氏の記念館とラウンジになっていました。新川柳作さんが石川県旧松任町の出身とはじめて知りました。
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駒形堂
駒形堂は隅田川にかかる駒形橋の傍らに建つています。628年に浅草寺ご本尊の聖観世音菩薩が宮戸川(隅田川)で発見されたこの地に設けられたお堂。 江戸時代は駒形堂のすぐ前に船着き場があり、ここから上陸した人びとはまず駒形堂を拝み、次に浅草寺に参拝したとのことです。
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東京メトロ浅草駅
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銀座線は1927年(昭和2年)に浅草 - 上野間で営業を開始した日本で最初の地下鉄。当時のポスターでは「東洋唯一の地下鉄道」というキャッチコピーが使われ、アジア・オセアニア地域では初めての地下鉄路線だったのです。今回4回シリーズで路線に沿いウォーキングできて面白かった!!東京は実に名所旧跡が多く、ウォーキングにはとてもよいのです。
今朝は9:30〜15:00、32℃の炎天下の中、すべての参加者がペースも落とさず、完歩。朝日旅行では完歩賞は特になく、ケーキセットがふるまわれました。最近ウォーキング参加者は80歳以上も多く、皆さんが驚くばかりの元気さです。またお会いしましょう。
posted by yunofumi at 04:51| あちこちウォーク

2017年07月14日

2017.7.8 東京まちさんぽ

メトロ飯田橋駅〜水天宮前駅

本日は友人のUさんに誘われ東京メトロのウォーキングイベントに参加。
朝8:30から5回に分けてのスタート。1回あたり約1000名、ということで合計5000名!にはびっくり。最終スタート11:00、ゴールは15:30までと規定されていました。歩行距離約12.3km、時間とすれば3時間50分とのこと。
参加費無料!私たちは9:30スタート時には特定保健用食品ヘルシアとコース地図をいただきました。またコース途中では、右折、左折のポイントでは誘導係が立ち、進行方向を示しながら励ましてくださいました。
ということで元気にスタート。

メトロ飯田橋駅⇒善国寺⇒安養寺⇒大吉飯店⇒牛込神楽坂駅⇒南蔵院⇒MAISON KAYSER⇒牛込北町交差点⇒法政大学新見附校舎⇒東京市外濠公園⇒一口坂交差点⇒FACTORY⇒靖国神社南門⇒二松学舎大学⇒宝来屋⇒九段坂上交差点⇒千鳥ヶ淵⇒北の丸公園⇒九段坂⇒昭和館⇒九段坂下駅⇒九段郵便局⇒俎橋⇒さばうる2⇒神保町交差点⇒協立女子大学前交差点⇒学士会館⇒興和一橋ビル⇒一ッ橋⇒竹橋駅⇒国際協力銀行⇒大手町駅⇒丸の内永楽ビル⇒東北線呉服橋ガード⇒SAPIA TOWER⇒東京駅日本橋口⇒日本橋駅⇒魚新・コレド日本橋⇒千代田橋⇒茅場町交差点⇒新大橋通り⇒八丁堀交差点⇒堀部安兵衛武庸之碑⇒亀島橋⇒新川バス停⇒新川2丁目交差点⇒永代橋西交差点⇒遠因教育発祥之地⇒隅田川テラス⇒福島橋⇒深川消防署永代出張所⇒陽岳寺⇒法乗院・深川えんま堂⇒心行寺⇒採茶庵⇒海辺橋⇒パタシュー清澄⇒深川江戸資料館⇒清澄庭園⇒清澄1丁目バス停⇒深川萬年橋南交差点⇒萬年橋・川船番所跡⇒芭蕉稲荷神社⇒旧新大橋跡⇒芭蕉記念館⇒新大橋交差点⇒隅田川・新大橋⇒浜町中ノ橋交差点⇒水天宮前駅

メトロ飯田橋駅を出るとすぐ善国寺、安養寺、大吉飯店、MAISON KAYSERを通過。早々と美味しいと知られているお店ですが通過です。
法政大学新見附校舎を過ぎお濠が見えてきたところに「東京市外濠公園」の石柱、これは初めてみました。
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本日は直射日光も厳しく暑い!早々と涼を求めてFACTORYでおやつタイム。
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千鳥ヶ淵では濃い緑と蓮の花に暑さもひと時忘れました。
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九段下にでると昭和館がデンと登場。昭和10年頃から昭和30年頃までの国民生活上の労苦を伝える実物資料が展示とのこと。今までまったく知らなかったので今後機会を見て伺うということで今日は通過です。
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俎橋(まないたばし)を抜け神田神保町の書店街を通過。学士会館前では「日本野球発祥の地」碑はかなりの方が見入っていました。

気象庁1階には気象科学館があるとのこと。ここまでで歩程約4.8km、約1時間半と地図にあり、お茶休憩を1回した私たちですがまずは順調。
大手町交差点辺りでなんとUさんの知人にバッタリ!お互いに健闘を称えあいました。
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東京駅日本橋口はいつもツアーの待ち合わせ場所ですが今日は外から見て随分巨大な建築物と実感。
日本橋に入ったので昼食のため小一時間休憩。魚新さんにててんぷら定食をいただきました。さすがに美味しかったです。

八丁堀駅をすぎ亀島川に架かる亀島橋西詰の公園に「堀部安兵衛武庸之碑」がありました。彼は本所吉良邸に討ち入りし上野介の首級をあげた赤穂浪士四十七士の一人です。
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隅田川に架かる永代橋の西詰南側の歩道の植込みに、船員教育発祥之地碑がありました。
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かって、黒船来航で開国を余儀なくされた江戸幕府が海軍講習所・軍艦操練所などを設置して日本人による軍艦の運航ができる体制を整えようとしたことの現れです。すなわち明治になり日本の商業海運界も国際的には立ち後れていることがわかり、船員教育の制度が必要となったということでしょうか。1875(明治8)年、岩崎弥太郎が大久保利通・内務卿の命により「三菱商船学校」を設立。これがのちの東京商船大学(2003に、その後東京水産大学と合併して現在の東京海洋大学になったとのことです。

法乗院・深川えんま堂は本日は門前でお詣りのみにしました。
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芭蕉は、1689年(元禄2年、採茶庵(さいとあん)から「おくの細道」の旅に出発したのです。 採茶庵は、芭蕉の門人、杉山杉風(さんぷう)の別宅だったとのこと。芭蕉は「奥の細道」の旅に出る前に、それまで住んでいた隅田川と小名木川の合流地点あたりの芭蕉庵を手放していたのです。採荼庵に芭蕉を住まわせた杉風は、日本橋で幕府御用の魚問屋を営み、豊かな経済力で芭蕉の生活を支えていたとのことです。
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海辺橋、深川江戸資料館、清澄庭園、萬年橋・川船番所跡を過ぎると芭蕉稲荷神社がありました。
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清澄庭園は先日伺ったばかりなので本日は通過です。ここで歩程約10.2km、3時間越となっています。

またそばには芭蕉記念館があります。こちらは街道歩きで見物すみです。
こうしてメトル水天宮前駅に15:00過ぎにゴール。完歩記念はメトロの電車をイメージしたラップでした。
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本日は35℃、ほとんど風なし。とっても熱く、水分はいつになく多めにとっていました。歩程12.3km、ランチ、お茶時間を除けばまずまずのテンポでのウォーキングでした。皆さんががんばっている姿に励まされ、Uさんが調子を合わせてくださり、私も完歩出来た次第です。お世話になりました。ありがとう!!
posted by yunofumi at 21:06| あちこちウォーク

2017年07月11日

2017.7.5 水戸日帰りバスツアー

今日は知人のKさんとステップトラベルのバスツアーに参加。
ウエスタ川越→石切山脈鑑賞→めんたいパーク大洗→森田水産→水戸ドライブイン(昼食)→袋田の滝→ウエスタ川越

川越7:40出発、川越ICから圏央道、東北道と直走り、まずは石切山脈鑑賞。
茨城県笠間市稲田に産する黒雲母花コウ岩の石材を稲田石というそうです。中粒で,黒雲母が目立たず白っぽく見えるので自御影ともいわれ、均質のものが大量にとれ,明治以降,土木・建築用材として広く使われているのです。現在は日本最大の御影石産地。東京における白御影の建築は,古くは日本橋や明治生命本社,新しいものでは最高裁判所,日本銀行本店新館など、ほとんどがこの石だそうです。また墓石材としても利用されているとのことです。
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モニュメントがいっぱいありました。
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額縁のようなモニュメントがあったのでちゃっかり記念撮影。
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切り出された石が所かまわずゴロゴロ。
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見せていただいた会社は中野組石材工業鰍ナした。

めんたいパーク大洗は茨木県大洗町にありました。
福岡県での生産が主だったかねふくの明太子を関東でもできたてを提供したいと大洗にオープンしたようです。辛子明太子のできるまでを工場見学させていただきました。またできたての明太子を使ったおにぎりやソフトクリーム販売もありました。直売カウンターでは皆さんが買い物をしていました。
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森田水産那珂湊店はお魚売り場、回転寿司、レストランもある大きな市場でした。生牡蠣を剥き速攻、召し上がっている方も大勢いました。こちらの回転寿司は見るからに美味しそうでした。
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ひたちの里水戸ドライブインでは昼食に立ち寄っただけの感じ。団体専用席だったこともあり先ほど見た生きの良い魚がちらつき、箱膳の数切れのお刺身にはちょっと引いてしまいました。

茨木県大子町(だいごまち)の袋田の滝は昨日雨が降ったこともあり、滝のしぶきと音がすごかったです。
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袋田の滝は日本三名滝のひとつ。高さ120m、幅73m、四段に落下していることから別名四段の滝とも呼ばれているとのこと。滝をバックに記念撮影をしました。
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滝を鑑賞するのにトンネルになっており、途中に第一観瀑台がありました。トンネルの最後にはエレベーターがあり、第二観瀑台から滝の最上段を見られました。
帰りは吊り橋を渡りました。
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滝を横に見てもすごい迫力でした。
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途中ではすっかり森林浴をした気分でした。
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本日はバスでの移動が主ですから万歩計はどうかしら?と思いきや自宅に帰って確認すると10000歩達成でホッ。何しろ先日のドライブ旅行から帰ってまだ数日なのにこのバスツアーでしたから車中ではずっと爆睡。お陰様で帰りは元気、元気で、「また明日!」と解散しました。
posted by yunofumi at 21:47| ドタバタ日記

2017年07月09日

2017.7.3 1300kmドライブ旅行 振り返り

スタート 6/23 ゴール7/2 行程9泊10日 走行距離約1300km
〇今回の旅行は梅雨の時期でしたが幸運なことにほとんど晴れや曇りで雨にあったのは9日目の半日だけでした。
〇旅行目的は@観光(明治村・彦根城・ドナルドキーン柏崎)A故郷訪問(従姉宅・寺院など墓参)に絞ったのが良かった。
〇お土産は最小限、日持ちの良いものにしてよかった。
〇愛車のコンデションを含め、自分の気力・体力が充実していたのがよかった。
〇緩いスケジュールで時間制限もなかったことも幸いでした。
ということで一念発起のドライブ旅行を無事に終了しました。また明日から、気力・体力の保持に努め、日々、明るく元気に過ごします。
posted by yunofumi at 13:51| ドタバタ日記

2017.7.2 1300kmドライブ旅行 10日目

太田市内(群馬県太田市)→関越自動車道:花園IC・高坂SA→三芳PA→自宅

太田市内出発9:30出発時にはすでに30℃、晴天。暑くなるのは良し!ということで元気に家路につきました。
高坂SAをはじめてじっくり散歩。上りと下りのエリアを行き来できるのも初めて知りました。
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家にはお昼過ぎに到着。33℃、暑い!それでも元気が十分残っていたので荷ほどき、洗濯、近所へのお土産配りを済ませ、夕方にはようやく日常になりました。
長いドライブ旅行でしたが無事に終了できたことを感謝!
また明日から日々、元気に過ごします。
posted by yunofumi at 08:50| ドタバタ日記

2017年07月08日

2017.7.1 1300kmドライブ旅行 9日目

本日の行程は新潟県柏崎市〜群馬県太田市までの約200kmを予定。
ここの所毎日天候が定まらず、全国的に大雨の所もありますとのこと。ドライブ旅行はできるだけ雨降りや嵐を避けたいのが正直なところです。ということで今朝はたまたま4:30に目覚めました。時間経過とともに雨量も増し、雷もあり、と聞いていたので今の内にと5:30にホテルを柏崎出発、気温23℃、雨。

ホテルアルファーワン→北陸自動車道:柏崎IC・大積PA・長岡JCT→関越自動車道・越後川口SA・大和PA・塩沢石打IC・関越トンネル・谷川岳PA・赤城高原SA・高崎JCT→北関東自動車道・伊勢崎IC→太田市内(群馬県太田市)

北陸自動車道大積PAでは過去の積雪の記録がありました。平成17年370cm。大変なことです。また越後川口SAの展望台からは雄大な信濃川を見ました。
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確かにずっと雨は小降り。谷川岳などの山々を見ながらでも関越自動車道に入ると何度も通ったことがあるのでちょっと気が楽。そして11kmと長い関越トンネルを抜けると雨が上がっていました。山々の緑と雲を眺めていると丸で水墨画の世界!とっても綺麗!!
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9:00前に赤城高原SAに到着。気温21℃、やや寒くレストランでモーニングをいただき、1時間休憩。
その後、太田市内に入って給油、25ℓ、@128は旅先としてはまずまず。
こうして本日の宿、義弟宅に11:00前に到着。旅の話に花が咲き、大いに楽しく本日も終了しました。
posted by yunofumi at 20:50| ドタバタ日記

2017年07月07日

2017.6.30 1300kmドライブ旅行 8日目

今日からは帰路です。空模様を見ながら朝早く出発。お蔭で柏崎までは雨なし。その後には本日の終点ホテルでしたがほぼ10分ほどだったので有難かったです。今日は200km以上の走行、それに立山・黒部などを通過。親不知・子不知などの海岸線もあり、何しろトンネルが多いので一層慎重に運転しました。

トラスティ金沢香林坊→北陸自動車道:金沢森本IC・小矢部川SA・流杉PA・有磯海SA・名立谷浜SA・米山SA→柏崎IC→ドナルドキーンセンター柏崎→ホテルアルファーワン柏崎(新潟県柏崎市)

トラスティ金沢香林坊の朝食はバイキングでしたが和・洋と揃い、おまけに献立も色々で目移りしました。かなりしっかり食べました。
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北陸自動車道はSAやPAごとに色々工夫が見られました。
有磯海SAにある芭蕉句碑です。
「一つ家に 遊女も寝たり 萩と月」
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名立谷浜SAでは北陸自動車道全線開通記念碑が各県を形どっていました。
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ドナルドキーンセンター柏崎。
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キーン先生は1922年米国生まれ。瀬戸内寂聴さんと同年。
長年自分が抱いていた二つの疑問が解決して、すっきりしました。来てよかった!!
Q1:なぜキーン先生が日本語にこれだけ深くかかわる気持ちになったのか。
A1:太平洋戦争のころ、たまたま手にした「源氏物語」に感動し、角田柳作から日本思想史を学び日本研究をはじめたとのことです。
Q2なぜこの柏崎にこのような施設ができたのか。
A2:平成19年の中越沖地震復興のきっかけに柏崎を角書きにもつ幻の古浄瑠璃「越後國・柏崎 弘知法印御伝記(えちごのくに・かしわざき こうちほういんごでんき)」の復活上演を市民に呼びかけたのがキーン先生。その後、市民の協力で平成21年に300年ぶりで復活上演されたとのことです。さらにその後も、キーン先生は、市制70周年事業での記念講演や東京での古浄瑠璃上演など、支援を続けていたのです。2011年の東日本大震災を契機に日本国籍を取得して日本に永住する意思を表明し、実行。2013年(平成25年)菓子メーカー・ブルボンが、新潟県柏崎市にキーン先生の業績を紹介する記念館「ドナルド・キーン・センター柏崎」をオープンしたのです。思いとして日本文学の素晴らしさを伝えたいということです。
展示はとても深く日本文学を語っており、私のような浅学でも見学は3時間ほどを要しました

今日一日は曇天模様〜薄曇り〜少しばかりの日差しと青空〜小雨と移動につれ、めまぐるしかったです。
トンネルが多かった今日の高速道路ですが眺めも素晴らしく、ここでは晴れていること、風のないことに感謝しつつ、山々の緑が濃く、海原や山の頂上などは雲や霞が見られ自然の偉大さを感じた1日でした。
posted by yunofumi at 06:00| ドタバタ日記

2017年07月06日

2017.6.29 1300kmドライブ旅行 7日目

私は大学入学までは石川県能美市で育ちました。この地は九谷焼の街です。能美市出身の有名人は松井秀樹さんです。
金沢から片道30kmの能美市湯谷へ。親類縁者宅にも顔を出し、父母の墓参を済ませ、その後、いとこたちと旧交を温めました。
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何年会わなくてもすぐ方言で話ができるので嬉しかったです。

午後は金沢に戻り、市内の有名神社二社に伺いました。

尾山神社は、江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。主祭神は、加賀藩の藩祖前田利家で、創建は1873年。境内摂社に歴代藩主を祀った金谷神社があるとのこと。
写真は尾山神社神門。棟梁・津田吉之助の設計施工で1875年(明治8年)に完成。1階を木骨煉瓦造石貼付の3連アーチとし、2階・3階を木造漆喰塗りで階を追うごとに小さく作られています。各階の肩が垂直ではなく竜宮城のようにカーブしていることから、中国南方の寺院の門の作りになっているのです。用途は神社の正門ですが、最上階には色ガラスがはめられ灯台の役割を果たしていたともいわれています。
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尾崎神社には天照大神、東照大権現(徳川家康)、加賀藩三代藩主前田利常が祭られています。朱塗りの社殿には徳川家康の紋が散りばめられ、金沢城の江戸、北陸の日光と呼ばれているとのこと。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつで別名を金沢東照宮というのです。
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今日は旅行の後半に入り少し運動不足を感じました。実は旅行前に日頃お世話になっているフィットネスへ10日間のお休みを申し出た所、金沢にあるカーブスアル・プラザ金沢に都合の良い時に行けるように手配をしてくださったのです。そこで夕方、お散歩を兼ねて伺い、一汗流し、すっきりしました。
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ということで、今日は約10000歩達成!明日はいよいよ最後の目玉がある柏崎へ出発なのでまたしても早寝でした。
posted by yunofumi at 21:59| ドタバタ日記

2017.6.28 1300kmドライブ旅行 6日目

今日は福井から金沢を目指しました。
ここまでは観光三昧でしたが本日と明日は故郷でお盆前ですがお寺さんも含め、お墓参りが主です。
もちろん合間には少し観光もと思っていますけど、、、ね。

福井アカデミアホテル→従姉宅訪問→北陸自動車道:福井IC・女形谷PA・安宅PA金沢西IC→金沢の寺院2か所→ホテルトラスティ金沢香林坊(石川県金沢市)

今朝はアサイチで従姉を訪問。数年ごとに会っている方です。元気そうで何よりでした。
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本日のドライブでの移動は101km、途中の休憩は相変わらずPAで頻繁にとり疲れは覚えませんでした。とにかく晴れているのは有難かったですが27℃もあり、水を飲みながら本日も快適なドライブでした。
金沢では寺院を二つ訪問。ご先祖様とお久しぶりのご対面。
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上宮寺↑ ↓高岸寺
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そうそう面白かったのは金沢市立玉川図書館・近世史料館を訪ねたこと。
実は我が家のご先祖様が暮らしていた住所が旅行前に判ったので古地図があるか、立ち寄ったのです。職員の皆さんの協力で見つかり、コピーをいただきました。
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本日のホテルは金沢の中心の香林坊にあるホテルトラスティ金沢香林坊。
この旅行では一番の贅沢、お部屋も広く、まあ綺麗でびっくり。
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そうそう、金沢市内は交通量が凄くて一方通行や袋小路も多いことがわかっていたので危険を感じ、見物は少し贅沢をしてタクシーであちこち移動。おかげで1日の歩数は6000歩とささやかなことになりました。今日はいつもの観光と違い、心情的に様々な思いが涌き、夕方になるとそれなりに疲労感を覚え、早寝で爆睡しました。
posted by yunofumi at 02:41| ドタバタ日記

2017年07月05日

2017.6.27 1300kmドライブ旅行 5日目

いよいよ本格的に表日本から裏日本へという感じ。
山々の間を縫って進み、ここでトラブったらコワーイ!と思いつつ、愛車は順調!!

ホテルサンルート彦根→名神高速道:彦根IC・米原JCT・賤ヶ岳SA・南条SA・福井IC→福井城址・福井神社・福井市立歴史博物館・養浩館庭園・福井市美術館→福井アカデミアホテル(福井県福井市)
本日のドライブでの移動は114kmを2時間30分で終了。午後雨が降るかも!と思い素直に急いだのです。

福井城址公園。
福井城は城郭の一部が現存するのみでした。形式は平城。本丸と二の丸の縄張りは徳川家康によるものとされているようです。この城は福井藩主越前松平家の居城、城下町として栄えたのです。別名、北ノ庄城といわれ築城は柴田勝家とのことですが1583年の賤ヶ岳の戦いに勝家が敗れ、妻・市と共にここで自害したのです。
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天守跡には福井の名前の元となった「福の井」が復元されていました。
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またお濠をぐるりと歩くと山里御門が復元中とあり、それに続くお殿様が渡った御廊下橋も復元中でした。
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明治維新の際には徳川親藩、または譜代大名の尊王派の中心人となっていた松平慶永公を祀る神社として知られるのが「福井神社」。1943年に創建されました。当時は総檜造りの社殿だったのが創建後間もなく戦災で焼失し、昭和32年には福井大学工学部の設計により、総コンクリート造りという独特の様式で再建されたのです。近代的な建築でありながら、境内には、幕末の福井藩士の他、橋本左内などが祀られています。
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福井市立歴史博物館は元々、1953年(昭和28年)に足羽山に開館して以来、福井に関する史料を収集し、福井市春嶽公記念文庫をはじめとする福井藩、越前松平家に関する資料が充実していました。2004年(平成16年)に越前松平家の別邸であった養浩館庭園に隣接して福井城の門舎人門が復元されたことで現在地に移転し、新築開館したのです。現在はこの一帯は福井歴史の庭散策ゾーンとして整備されていました。
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養浩館庭園は、江戸時代には「御泉水屋敷」と呼ばれ、福井藩主松平家の別邸だったようです。明治時代、廃藩置県となった後も御泉水屋敷の敷地は引き続き松平家の所有地とでその福井事務所や迎賓館として機能したようです。明治17年には松平春嶽によって「養浩館」と名づけられたのです。また養浩館は、その数寄屋造邸宅や回遊式林泉庭園が早くから学会で注目され、すでに戦前には建築史・庭園史の専門家の調査があったようです。
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福井市美術館。
ユニークな建物は黒川紀章の設計。外壁のほとんどがガラスで曲線を多用した不思議な形でこれは黒川紀章が提唱した「共生」の思想を表現しているとのこと。ここでは彫刻ならではの自然光による作品鑑賞や、明るい雰囲気の中で行う創作など、豊かな創造活動が行えるのです。第二次世界大戦前後の動乱期をフランスで過ごした彫刻家・高田博厚の作品が収蔵、展示されているようです。本日はこドライブ中にカーラジオで企画展 “版画にみる『美しき時代 ベル・エポック展』〜ロートレックたちが描いた華麗なる巴里〜”を、開催中との情報があり急遽、立ち寄りました。
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福井県には子供のころからよく来ていましたが東尋坊以外の観光ははじめてでした。本日はまったく優雅な観光三昧!でした
普段、時間にかまわず行動することがなかなか難しい日々です。
有難く、のんびり、気ままで、今日も感謝。13000歩もありがとう。
posted by yunofumi at 23:14| ドタバタ日記

2017年07月04日

2017.6.26 1300kmドライブ旅行 4日目

ワーイ!青空いっぱいの朝です。今日は一宮から彦根までなので走行距離ははじめて100km未満。ということで、のんびり出発。
一宮シティホテル→名神高速道:一宮西IC〜養老SA〜彦根IC→彦根城→ホテルサンルート彦根(滋賀県彦根市)

結果としては、途中休憩も含め1時間半で彦根城到着。その後、昼食を含み、5時間もお城などを見物。本日の走行距離は64km。

彦根城に着くとまず石垣と石段!広大な趣を予感させます。
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そしてひこにゃんとご対面。フワフワ動いてほんわか、ほのぼのの気分になりました。
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ひこにゃんは、滋賀県彦根市のマスコットキャラクター。愛称は一般公募から選定されたとのこと。 江戸時代の彦根藩2代目藩主・井伊直孝に縁ある1匹の白猫をモデルとしているとのことでした。

彦根城は江戸時代初期、彦根山に、鎮西を担う井伊氏の拠点として置かれた平山城(標高50m)。この地の山が「金亀山(こんきやま)」との異名を持つため、城は金亀城(こんきじょう)ともいわれます。多くの大老を輩出した譜代大名である井伊氏14代の居城でもありました。
天守は複合式望楼型 3重3階地下1階でとても姿が綺麗。
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中の急な階段を上ると素晴らしい眺め。
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ちょっと天守をバックに記念撮影。
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西の丸三重櫓は、東側と北側にそれぞれ1階の続櫓(つづきやぐら)を「く」の字に付設しています。三重櫓には天守のように装飾的な破風(はふ)などはありません。櫓全体を総漆喰塗り。この建物は浅井長政の居城であった小谷城の天守を移築したとの伝えもあるとのことです。彦根藩主井伊家の歴史を綴った『井伊年譜』では、築城当初、西の丸三重櫓は家老の木俣土佐(きまたとさ)に預けられていたようです。
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楽々園(らくらくえん)は、江戸時代初期 (1677年) に彦根藩4代藩主井伊直興によって造営が開始された井伊家の下屋敷だった所。江戸時代後期の数奇屋建築が見られ、江戸時代は「槻御殿」とか「黒門外御屋敷」と呼ばれていたようです。明治時代以降に「楽々園」と呼ばれるようになったようです。 御書院から見る庭園は玄宮園の池泉を借景とする枯山水で優雅な味わいでした。
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楽々園に続く玄宮園は、江戸時代後期の文化10年(1813年)には第11代藩主井伊直中の隠居屋敷として再整備され、現在に至っているとのことでした。庭園も素晴らしい。
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歩き疲れたところで屋形船に乗り、お濠からお城や石垣を眺め、いい気分。
この位置からの天守が一番きれい。船からだからとれる構図です。
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開国記念館は、昭和35年(1960年)に井伊直弼の没後100年を記念し、彦根市民の浄財によって、彦根城の佐和口多聞櫓を再現したものとのこと。その後は直弼を顕彰する展覧会などが継起的に催される展示があるようです。
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いつの間にかここにもひこにゃんがいました。

彦根城博物館は1987年(昭和62年)彦根市市制50周年記念で彦根城表御殿跡地にこれの復元で建てられた施設とのこと。井伊家代々の美術品、工芸品、古文書と収蔵品はとても多いようです。
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彦根市は彦根城を中心に長年、井伊氏が中心で盛り上がった街のようで静かで落ち着いた雰囲気でした。
しかし今年は彦根城築城410年祭と大河ドラマの影響で賑わっているようです。また浜松市みをつくし文化センターではおんな城主直虎大河ドラマ館も開館中とのことでした。
すっかり心身ともに旅行気分を満喫の今日は自分の誕生日。元気、元気で日々を過ごせていることに感謝!きっとこのスローペースの旅行が一段と元気を与えてくれているかも!
気温27℃の中、13000歩達成!長年見たいと思っていた彦根城を訪れて大満足の一日でした。
posted by yunofumi at 21:28| ドタバタ日記

2017.6.25 1300kmドライブ旅行 3日目

本日は休養日。天気予報で雨降りとわかっていたので少し寝坊していたところ7:02鉄筋コンクリートのホテルもユラユラ。長野県王滝村、木曽町が震源震度5の地震でした。ホテルは愛知県一宮市ですから左程遠くない場所、それでも震度3ということで事なきを得ております。
やはり、どんより厚い雲が空いっぱいです。まずは一宮モーニングをいただき、大満足。実はこの地がよく言う名古屋モーニングの始まりの地だそうですから。
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9:30愛車でイオンモール木曽川へ。10:20〜野村萬斎主演の「花戦さ」を鑑賞。
茶道、華道のお点前を久しぶりにじっくりと拝見。とても心洗われました。
午後はホテルで今後のプランを確認、その後JR一宮駅まで散歩、ようやく10000歩となりヤレヤレ。夜は、新聞、週刊誌、小説などを乱読して大満足。また明日から頑張ります。
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posted by yunofumi at 02:10| ドタバタ日記

2017年07月03日

2017.6.24 1300kmドライブ旅行 2日目 

朝6:00起床、7:30ホテル東横インTを出発。本日も晴れているけれど徐々に気温上昇との天気予報でした。

東横インT(山梨県甲府市)→中央自動車道:甲府昭和IC・八ヶ岳SA・諏訪湖SA・神坂IC・恵那峡SA・小牧東IC→明治村→一宮シティホテル(愛知県一宮市)

ドライブ途中では山々が実に綺麗でした。
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本日は昨日よりさらに長距離となるのでまたたっぷり休憩をしながらドライブしました。結局4時間で明治村到着。その後ホテルへ行き、本日の走行距離は260kmでした。

博物館 明治村は、犬山市にある野外博物館で特に明治時代をコンセプトとしたテーマパーク。 明治時代の建造物等を移築して公開しており、また明治時代の歴史的資料も収集し、社会文化の向上に寄与することを目的としているとのこと。非常に大規模で敷地面積は日本のテーマパークでは第3位。 歴史的建造物の多さやその広さからドラマの撮影やアニメのモチーフに頻繁に使われるとのこと。NHKの「花子とアン」のロケ地MAPもありました。
入村後すぐにボランティアさんの案内があることを知り、お願いしました。
第八高等学校正門は明治村の正門となっていました。
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この門は、もと名古屋の旧制第八高等学校の正門。この学校は1908年(明治41年)に設立され、愛知県立第一中学校の旧校舎を借りて開校。四本の門柱は、赤いレンガに白い花崗岩を帯状に配して作られており、この構成は明治洋風建築によく用いられたもの。また中央の両開門扉、脇門の片開門扉、袖柵は細い鉄材で作られていました。これらは、いずれも当時の洋風建築を語る時欠くことのできないものとのことでした。
1872年(明治5年)の学制公布から十数年を経て、明治19年森有礼によって一大教育改革が行われ、「小学校令」「中学校令」「帝国大学令」「師範学校令」が定められた。これにより小学校、中学校、師範学校にはそれぞれ尋常と高等の二段階の学校が設けられ、四年間の尋常小学校は義務教育とされ、遅れて1894年(明治27年)には「高等学校令」が定められ、それまでの高等中学校が高等学校に改称・改組された。この改革により、その後数十年にわたって整備・拡充されていく学校制度の基礎が築かれたのです。

そしてボランティアさんと記念撮影。
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森鴎外・夏目漱石住宅では中も見ることができました。
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1887年ごろに、医学士中島襄吉の新居として建てられた典型的な和風中流住宅。この家は偶然、鴎外と漱石が相次いで暮らしたとのことで、鴎外はこの家で「文づかひ」を、漱石は「吾輩は猫である」を執筆したとのことでした。

聖ヨハネ教会堂はとても神々しかったです。
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アメリカ人宣教師で建築家のガーディナーが1907年、京都に建てた教会堂。1階はレンガ造り、2階の会堂内部はテントのように木が組まれ、天井にはられた竹のすだれ、ステンドグラスの大窓が明るく開放的な空間を作り出しているとのことです。

一番見たかったのが帝国ホテル中央玄関。
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米国の建築家F.L.ライトの設計。幾何学的に彫られた大谷石や透かし入りのレンガが使われた姿は、宮殿のような品格があり、積み木の楽しさを持ち、20世紀を代表する名建築の一つといわれている様子です。

ということで明治村ではボランティアさんの案内、一人での散策、村営バスの利用を組み合わせて歩き回り、色々な建物を楽しみ、ホテルに到着後の散策も含め歩数は17000歩をクリア。こうして運動量もまずまずで一日を終えました。明日が雨降りとわかりましたので大忙しの見物でした。
そうそうホテルのチェックイン後、尾張一宮駅を一目見ようと散策し、途中にあったのが真実清田神社です。
一宮市は、古くは木曽川の流域に沿っていたとのこと。今は繊維の街として有名。しかしもともとは、木曽川の灌漑用水による水田地帯として、清く澄んだ水によって水田を形成していたため、真清田(ますみだ)と名付けられたといわれています。
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真実清田神社は、平安時代、国家から国幣の名神大社と知られているとのこと。神階は正四位上で、尾張国の一宮として、国司を始め人々の崇敬を集めたのです。鎌倉時代には、順徳天皇がこの神社を崇敬されたとのこと。その舞楽面は、現在も、重要文化財だそうです。江戸時代には、徳川幕府は神領として、朱印領333石を奉りまた、尾張藩主徳川義直は、1631年(寛永8年)この神社の大修理を行うことに大きく貢献したのです。明治18年には国幣小社、大正3年に国幣中社に列し、皇室国家から厚待遇を受けたようです。戦後は、一宮市の氏神として、尾張全体及び近隣からの厚い信仰心が寄せられているとのこと。尚「一宮市」の名称はこの神社が尾張国一宮であることに由来しており、全国で「一宮」の名称を冠する自治体は1市6町のみと伺いました。
こうして2日目も無事に終了。明日の休養日は雨降りとはいえ何をしようかと色々楽しく妄想しながら眠りにつきました。
posted by yunofumi at 21:46| ドタバタ日記

2017.6.23 1300kmドライブ旅行 1日目

今朝は青空!有難い!本日より単身で10日間のドライブ旅行です。

自宅→圏央道:三芳IC・狭山SA・八王子JC〜中央自動車道:藤野PA・初狩PA・甲府昭和IC→山梨県立美術館→東横インT(山梨県甲府市)

自宅出発8:30、途中休憩3回の後、12:00山梨県立美術館到着。道路地図からは2時間30分のコース。実質144km。でも初日なので休憩は長めにとり、3時間30分のかなりのんびりドライブとなりました。そして途中休憩ではなるべく歩くことを心がけ13000歩クリア。まずまずの歩数を確保でき、一安心。

山梨県立美術館。
山梨県甲府市貢川の「芸術の森公園」内にある美術館。1978年開館。
本日の目的地です。日本全国をみてもミレーの作品をこれだけ多く貯蔵している美術館はほかにないのではないでしょうか。ミレーの作品では「落ち穂拾い夏」「種をまく人」がとても有名。キャンバスは麻布、油絵ということもよくわかりました。またナダール作の「ミレーの肖像」は銀塩写真だそうです。本日はそのほかに風景画や夏の情景を集めた日本人画家の作品など沢山の作品を見られました。今日は平日のためほとんど独り占めでゆっくり鑑賞でき、とても満足しました。
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山梨県立文学館。
美術館と同じ敷地にある文学館は1989年開館。山梨県出身者やゆかりの文学者の資料などを展示してありました。樋口一葉、芥川龍之介、太宰治、檀一雄などのゆかりの品が多くあり、驚きでした。
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甲府駅前にはデン!と武田信玄公銅像が鎮座!凄い迫力の銅像でした。これが郷土の偉人よ!という感じ。

藤村記念館(旧睦沢学校校舎)
1875年(明治8年)に現在の甲斐市亀沢(旧睦沢村)に建立され、1957年(昭和32年)まで睦沢学校の校舎として使われていたとのこと。甲府駅前に移築後は昔からの民族・歴史・教育・考古資料を展示しているのです。昔の小学校の教室も再現されていました。
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舞鶴城公園にある甲府城跡。
甲府は1519年(永正16年)に武田信玄の父信虎がつつじが崎に館を移し、城下町にしたのが始まりとのこと。
江戸時代に柳沢吉保が城主となり甲府の城下町は繁栄したのです。鶴が羽ばたく姿のように美しかったことから「舞鶴城」とも呼ばれたとのこと。
本日はほんの少しの甲府散歩でしたがグループでのツアーと違い、甲府の街の気風を感じました。
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今回の旅は数日後の誕生日を控え、そろそろ車の運転も安全に安心してこなす年月が少なくなりつつあると実感しているので、ここ数年実現したいと思っていた大胆な長距離ドライブ。やっと実行に至ったという次第です。車をAQUAに換え、とても快適に毎日乗りこなしていたことも大きな要因なのです。
旅はこれが始まりですが、健康と交通安全に気を付けてがんばります。
また今日流れたニュースとしては小林麻央さんの死去がありました。とっても頑張った人生を過ごされたという印象を持っています。ご冥福をお祈りいたします。
posted by yunofumi at 00:30| ドタバタ日記

2017年07月02日

2017.6.14 もうすぐ誕生日

あと数日で私の誕生日が来ます。いよいよ73歳!ビックリ!!
薬剤師仲間のA先生とは10年違いの同じ誕生日、ということでお互いの今後の活躍と健康を祈念し、食事会をしました。サンマルクからもお祝いしていただき、感謝!今日はまたジャズの生演奏もあり、大いに盛り上がりました。そして今後も気力・体力を一層充実するようにがんばろう!と気を引き締めました。DSCF5344no2.JPG

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posted by yunofumi at 20:21| ドタバタ日記