2017年06月15日

2017.6.13 銀座線ウォーク第3回 

京橋〜上野広小路

銀座線は浅草から渋谷まで19駅、15km、乗車時間は32分。
このシリーズではこのコースを4回として地上部分をウォーキング。
第1回は渋谷・表参道・外苑前・青山1丁目・赤坂見附。
第2回は赤坂見附・溜池山王・虎の門・新橋・銀座・京橋。
そして本日、第3回は京橋・日本橋・三越前・神田・末広町・上野広小路の辺りをウォーキングです。

京橋駅A7明治屋出口⇒八重洲平和の鐘⇒日本橋高島屋本店⇒日本橋三越⇒メトロ日本橋駅⇒日本橋交差点⇒コレド日本橋⇒日本橋西川⇒日本橋⇒日本橋北詰交差点⇒八木長本店⇒金沢大学東京オフィス⇒三浦按針屋敷跡⇒鳥萬⇒神茂⇒佃煮日本橋鮒佐⇒黒文字専門店日本橋さるや⇒コレド室町3⇒コレド室町2⇒三越本店⇒福徳神社⇒長崎屋跡⇒JR新日本橋駅・石町時の鐘・鐘摘堂跡・室町4丁目交差点⇒JR神田駅⇒ニューセントラルホテル⇒豆腐店越後屋⇒多田2丁目交差点⇒栄屋ミルクホール⇒和菓子庄之助⇒神田青果市場発祥の地⇒須田町歩道橋⇒生そばまつや⇒ぼたん⇒やぶそば⇒あんこう鍋竹村⇒肉の万世本店(昼食)⇒万世橋⇒maach ecute万世橋⇒神田郵便局前⇒昌平橋⇒外神田1丁目⇒講武稲荷神社⇒二松学舎大学⇒外神田3丁目⇒蔵前通り⇒司うさぎや⇒黒門児童遊園⇒旧黒門町⇒松坂屋デパート⇒黒門小学校・黒門市場⇒湯島聖天心城院⇒白梅商店会⇒春日通り⇒池之端1丁目⇒福成寺⇒教証寺・柳瀬美仲墓⇒池之端仲町商店会・白梅商店会⇒酒悦⇒鈴廣演芸場⇒上野広小路亭⇒上野広小路駅

京橋駅は1932年(昭和7年) 東京地下鉄道、三越前駅 - 当駅間開業に伴い、終着駅として開業しその時の駅建設費用の一部を、明治屋が負担したとのこと。ということで日本最初の鉄道とビルが直結した駅になったとのことです。
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八重洲平和の鐘は東京駅八重洲中央口から、一直線に延びる八重洲通りにある大きな鐘で毎正時に26個の鐘が美しい調べを奏でるとのことです。このモニュメントは、中央区が1980年に日蘭修好380年を記念し、国際都市の一員として世界平和を願い、設置されたもの。その日本とオランダの修好の関係を築き上げたのがオランダ人のヤン・ヨーステン。1600年に豊後(大分)漂着したヤン・ヨーステンの活動により、長崎に出島が作られるなど、日本の国際化の基礎を築いた人物。陸の玄関に相当する「八重洲(ヤエス)」の地名は、
ヤン・ヨーステンの名前にちなんで付けられたそうです。
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日本橋高島屋本店。
江戸時代末期に創業した高島屋が日本橋に全館冷暖房装置を備えた店舗を構えたのは昭和8年のこと。当時のキャッチコピーは「東京で暑いところ、高島屋を出たところ」。創建時の名称は日本生命館。日本生命が建設し高島屋が借り受け、一部を日本生命東京総局が事務所として使用していたのが、昭和38年に日本生命が転出。戦後復興から高度経済成長期に増築、改築を繰り返し、昭和40年には1街区を占める店舗となったとのこと。 そして平成21年には百貨店建築初の重要文化財の指定を受けたのです。昭和初期から現存する百貨店建築の中で、最大級の規模を誇り、内外装とも当初の姿を保っているようです。
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銀座三越本店。
江戸時代の1673年(延宝元年)に「店前現銀売り(たなさきげんきんうり)」や「現銀掛値無し(げんきんかけねなし)」「小裂何程にても売ります(切り売り)」など、当時では画期的な商法を次々と打ち出して名をはせ、呉服店の「越後屋」(ゑちごや)として創業。現在では当たり前になっている正札販売を世界で初めて実現。1928年には「株式会社三越」となった。また三井財閥(現三井グループ)のルーツとなった「越後屋」の呉服店事業を引継いだため、「三井財閥(現三井グループ)の礎を築いた企業でもあるのです。
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『熈代勝覧』(きだいしょうらん)は、東京メトロ三越前駅地下コンコースに設置され、2009年11月30日除幕されました。これは1805年(文化2年)の江戸日本橋を描いた絵巻。作者は不明。縦43.7cm、横1232.2cmの長大な絵巻で、日本橋通に連なる問屋街とそれを行き交う人物が克明に描かれています。1999年にドイツで発見され、化政期の江戸の文化を知る上で貴重な史料として注目されました。絵には88軒の問屋が登場しますが、暖簾は屋号が判別できるほど精緻に描かれており、当時の通り西側に出店していた店舖の一覧を知ることができます。1824年(文政7年)の『江戸買物獨案内』にはこのうち4分の1の店舖が掲載されているとのことですが、住所が食い違う所も多く、入れ替わりの激しさを偲ばせます。町屋は庇の有無、土蔵と白漆喰の違いなど外見上の特徴が細かく描き分けられていますが、類似作である『江戸風俗図巻』のように店内部を透視するように描くことはせず、あくまで写実に徹しているのです。町屋の間から裏店に至る路地の存在が示されていることも特徴なのです。有名店舖も多数登場しています。現在も三越として残る呉服店越後屋は道から少し入った駿河町に本店を構えていますが、当地の定番として欠かせなかったためか全体が余す所なく描かれており、通り沿いにも系列店や蔵を多数構えています。現在も室町で打刃物問屋として営業を続ける木屋は室町二丁目に4店舖並んで見えますが、その内木屋幸七は工事中で、「普請之内 蔵ニ而商売仕候」の札を掲げています。大手書肆須原屋も善五郎と市兵衛の2店舗が見えます。正規の店舖のほか、木戸番が非正規に営む商番屋が描かれている点も注目なのです。絵には総計1671人が描かれているとのことです。
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コレドは造語でCORE は中心とか核の意味で EDOをつけてCOREDとしたようです。すべて三井ショッピングパークで、コレド日本橋のテーマは「時を越えて」。百貨店や老舗名店の伝統を活かしまた、現代的スタイルも見られます。コレド室町1は「日本を賑わす、日本橋」をコンセプトに、江戸時代の賑わいを再現する商業ゾーン。コレド室町2は最新設備を導入したシネマコンプレックスがあります。コレド室町3は「食と暮らし」を軸に、質の高いライフスタイルを提案しているとのこと。またすぐ傍には工事中の大きな建物が見えました。どうやらコレド室町4とのこと。すごい勢いです。
近くには鰹節や乾物の老舗の八木長本店、焼き鳥の鳥萬、はんぺんの神茂、佃煮の鮒佐
など老舗がズラリ。珍しいお店では黒文字専門店さるや。爪楊枝専門店があるなんて初めて知りました。
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日本橋は、日本橋川に架かる橋。1911年(明治44年)完成の現行の日本橋は国の重要文化財。五街道の起点。
日本橋の北西詰に整備されている「元標の広場」には道路元標の複製と道路元標の説明書きが設置されており、いつもながら興味深い。
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日本橋の重厚な装飾品は麒麟像と獅子像。先日のクルージングで見た橋げたの像も再度、見られました。

三浦按針(ウィリアム・アダムス)はイギリス人航海士で、オランダ船リーフデ号で東洋を目指していましたが1600年(慶長5 年0)豊後国(大分県)臼杵に漂着。その後徳川家康に招かれた按針は、当時の国際情勢や造船・航海術、天文学や数学等を指導した功績で旗本に取り立てられ、相模国(神奈川県)三浦郡に領地を、江戸に屋敷を与えられたのです。姓の三浦は領地に由来し、按針は水先案内人という意味とのこと。屋敷地は現在の日本橋室町1 丁目辺りで、昭和初期まで「按針町」と呼ばれており、今でも「按針通り」が残り、「史蹟三浦按針屋敷跡」の碑が海苔店と宝石店の間にありました。
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福徳神社の創祀は古く貞観年間(清和天皇・859〜876年)には既に鎮座していたとのこと。当初は武蔵野の福徳村の稲荷神社。その後、1657年(明暦3年)の大地震により、一里塚は崩壊したとのことで当時の人々が散乱した碑石の残存した破片を集め保存し、 1590年( 天正18年)には入府した徳川家康公も参詣されたようです。また二代将軍秀忠公が1614年の参詣時、社殿の鳥居に、春の若芽の萌えがあったことから別名「芽吹神社」ともいわれています。また初めて富くじをしたことからも福徳の名称となり縁起が良いということのようです。
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豆腐店「越後屋」は多町で三代目の手作り豆腐のお店。関東大震災後に多く建てられた典型的な銅板張りの看板建築。正面から見て屋号の越後屋の「後」しか残っていないのが面白かった。
本日は平日なので栄屋ミルクホールは営業中でした。ここも銅板張りの看板建築でした。
この付近は古い建物が多かったです。

肉の万世本店は肉料理専門レストラン。昭和24年以来、食肉の最高級とされている黒毛和牛を素材として各種ステーキ・ハンバーグ・すきやき・しゃぶしゃぶ等の肉料理全般の営業をしているようで5階までがお店。質量ともに十分でお腹いっぱいになりました。
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maach ecute万世橋。
中央線神田〜御茶ノ水間に あったのが「万世橋駅」。現在の施設は東京駅の前の1912(明治45)年に完成した赤レンガ造りの万世橋高架橋を歴史や記憶を活かしながら新たにした施設。 階段、壁面、プラットホームなどの遺構が見られました。また新しいショップやカフェが並ぶ商業施設になっていました。数日前のクルージングでも外から見ていましたが初めて中に入りとても納得しました。
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1912(明治45)年、中央線の昌平橋〜万世橋間が開通し、万世橋駅は東京市電(路面電車)の乗換ターミナルとして栄えました。駅周辺エリア(神田須田町)は銀座と並ぶほどの繁華街へと成長し、神田須田町周辺は、賑わいました。1919(大正8)年、中央線が東京駅に開通し、万世橋駅は中間駅となったのです。
当時の階段が1912階段として残っていました。
1912 (明治45)年初代駅舎は1923(大正12)年9月1日の関東大震災で焼失。残存した基礎を利用し平屋建ての2代目駅舎が1925(大正14)年に完成したけれど須田町交差点が移転したことで駅前が裏通りになってしまったため1936(昭和11)年に鉄道博物館が併設され、万世橋駅は大きな駅舎を鉄道博物館に譲り、大幅に縮小。そして1943(昭和18)年、太平洋戦争激化の中、乗降客減少に伴い、万世橋駅は休止となったのです。鉄道博物館は、1948(昭和23)年にその名を交通博物館と改め、70年営業しましたが施設老朽化で閉館し、鉄道博物館は埼玉県さいたま市で再出発しています。

昌平橋。
この地に最初に橋が架設されたのは1624〜1645年(寛永年間)。その後「一口橋」、「芋洗橋」「あたらし橋(新し橋)」、元禄初期の江戸図では「相生橋」、「昌平橋」「相生橋」、「萬代橋」、「文久橋」、「新萬世橋」と名称共々変遷が激しかったようです。現在の昌平橋は1923年(大正12年)に架け替えられ、神田川における最初の鉄筋コンクリート製アーチ橋。
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講武稲荷神社(こうぶいなりじんじゃ)は秋葉原電気街のビルの谷間にありました。このあたりには江戸末期に講武所という、対外危機に備えて旗本や御家人たちを稽古する武術の講習所がありましたが神社がないということでこれを大貫伝兵衛が、幕府から払い下げてもらい、その一角に稲荷神社を祀ったので「講武稲荷神社」ということとのことです。
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ここで珍しいおでんの自販機があって驚きました。
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和菓子の司うさぎやは大正2年に、西黒門町(現上野1丁目)で創業。喜作最中やどらやきが看板商品。今も日持ちしない商品のため店頭のみでの販売。私はどらやきを求め、帰宅後食しましたがお味はなかなかのものでした。

上野の旧黒門町辺りは元々上野寛永寺の門前町としてできたようです。傍には不忍池もあり風情があることから料理屋とかも多かった様子、また八代目桂文楽さんの住まいがあったようです。
松坂屋は1611年(慶長16年)、 織田家の小姓の子孫であった伊藤蘭丸祐道が名古屋本町で 呉服小間物商「いとう呉服店」を創業したのが始まり。上野店は江戸時代からこの地で続いているので1830年 「東都名所上野広小路之図」にも記載があるそうです。歴史的には1855年 安政の大地震の後すぐ再建とか、1868年 彰義隊と官軍による上野戦争 官軍の本営になったとか、歴史が様々あるようです。

湯島聖天心城院が湯島天神男坂下にあり、ここは太田道灌の御殿・皓月亭跡とも伝えられているとのことでした。
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教証寺・柳瀬美仲墓。
柳瀬美仲は、江戸時代中期の歌人。京都で詠歌を武者小路実陰の門に学んだ後、江戸に出たようです。「はつせ路や 初音聞かまく尋ねても まだこもりくの山ほととぎす」の一首で知られるようになったようです。1740年(元文5年)に没し、「隠口先生美仲甫之墓」と刻まれた墓が教証寺にあるのです。

もうすぐ上野広小路駅という街並みには、酒悦、鈴廣演芸場、上野広小路亭などが目白押しにありました。
本日は小雨が降る中のウォーキングでした。気温が19℃はあったと思われますので雨具の中は汗でじっとり。まあ、こんなこともあるのです。雨が強く降らなかったので写真はまずまずの出来で撮れたのは幸いでした。案内パンフには歩程6kmとありましたが終わってみれば約17000歩。案内人の東京シティガイド藤井さんには丁寧な案内をいただき、何度も歩いた街並ですが色々理解が深まりました。感謝!
さていよいよ次回でこのコースが終了です。最後まで安全に楽しくウォーキングできるようにそれまで、日々元気に過ごします。
posted by yunofumi at 21:38| あちこちウォーク

2017年06月14日

2017.6.11 MBTノルディックウォーキングin代々木公園

1か月ぶりの代々木公園です。春というより夏が近づきつつあるこの頃です。
本日はさわやか!25℃晴天!インストラクターMさんにはいつも楽しくトレーニング指導をいただき、感謝!
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相変わらずトレーニング終了後は明治神宮の前にあるCaféで一休み後、解散。
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その後、明治神宮御苑の花菖蒲を鑑賞!とても見事でした。
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神宮の森はいつも自然が一杯で本当にすがすがしい。
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それにしても明治神宮は参拝者多いこと!外人さんが多いこと!今更のようにびっくりでした。

本日は見事な花菖蒲と森に元気をいただき、明日からの活力を蓄えられた気がしました。
posted by yunofumi at 04:47| あちこちウォーク

2017年06月12日

2017.6.4  OUT DOOR FITNESSノルディックハイキング

猿江恩賜公園⇒大島橋⇒横十間川⇒小名木川⇒クローバー橋⇒マイクロ水力発電⇒横十間川親水公園⇒岩井橋⇒海砂橋⇒千砂橋⇒夾竹橋⇒亀の甲橋⇒横十間川親水公園花菖蒲⇒豊住橋⇒千田橋⇒大栄橋⇒福寿橋⇒扇橋1丁目⇒猿江1丁目⇒江東橋5丁目⇒撞木橋⇒大横川親水公園⇒清平橋⇒紅葉橋⇒SASAYA CAFE

朝9:00猿江恩賜公園スタート
すがすがしい空気が満ちており、眩しいくらいの晴天です。
猿江恩賜公園サービスセンター前の池、ミニ木蔵では水連がすがすがしくきれいな花を咲かせていました。
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マイクロ水力発電は小水力発電のシステムで横十間川親水公園の水門橋にあり、小名木川と横十間川がクロスする場所でした。近くには江東区スポーツ会館や大型商業施設もありました。高低差のない江東区のマイクロ水力発電の導入は東京都では初めてとのこと。
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横十間川親水公園には菖蒲園がありました。花菖蒲が紫・白・ピンクと可憐な花を開き始めたばかりのようでした。
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皆で記念撮影もしました。
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川べりを色々な橋を眺めながらウォーキング。
本日のゴール、大横川親水公園に到着するとフリーマーケットが開催中!とっても賑やか!
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最後に皆でSASAYA CAFEに伺い、昼食タイムをしました。
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こうして東京スカイツリーを眺めながらも楽しいウォーキングを終了。6月になったばかりですが、気温27℃はちょっと厳しくアイスコーヒーがとっても美味しかったです。
江東区は水辺が多く、夏がお似合いの街でした。
posted by yunofumi at 21:03| あちこちウォーク

2017年06月10日

2017.6.3 第16回東京の新発見「江戸川区」

都営新宿線篠崎駅⇒しのざき文化プラザ⇒伊藤信司商店⇒篠原風鈴本舗⇒丸橋運送⇒春江の森公園⇒おそばゑ之本⇒春江町2丁目⇒春江中学校⇒味処やす吉⇒春江町クリニック⇒新堀1丁目⇒春花園⇒いなげや⇒一之江戸名主屋敷⇒椿通り⇒瑞江斎場バス停⇒大雲寺⇒ユニクロ⇒洋服の青山⇒マツモトキヨシ⇒ベルクオーレ(昼食)⇒瑞江駅⇒下鎌田小学校⇒涼風橋⇒仲井堀親水緑道⇒感応寺⇒国柱会⇒佐々木養魚場⇒一之江境川親水公園⇒タワーホール舟堀⇒都営新宿線舟堀駅

篠崎文化プラザは、江戸川区の歴史や文化、産業などを紹介するギャラリー、江戸川区立篠崎図書館、江戸川総合人生大学、伝統工芸カフェ"アルティザン"などがある複合文化施設。地域住民の学習活動の拠点、学習の機会・場・情報の提供と活動支援が地域コミュニティーの醸成を促すという考えのようです。
本日は特別展「干潟の生き物の大集合」が開催されておりました。
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篠原風鈴本舗。
江戸時代から作られていた風鈴です。従来はガラス風鈴,あるいはビードロ風鈴などとよばれていましたが昭和40年頃、「江戸風鈴」と名付けました。ですから、江戸風鈴という名称は篠原儀治のブランド名で今は一門の方のみ江戸風鈴と名乗っているのです。江戸風鈴は一つづつ手作りなので形や絵柄、音もそれぞれ異なるとのことでした。
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江戸川区の小松菜。
江戸時代のころ、徳川八代将軍吉宗をはじめ、代々の将軍が冬になると江戸川区のこの辺りにたびたび鷹狩りに訪れたそうです。そこで昼食時に東・西小松川村あたりでとれた冬菜をすまし汁出だしたのが縁で小松菜の名前が付けられたのです。このようなことから現在でも江戸川区には小松菜のビニールハウスが立ち並び、収穫量は全国トップクラスとなっているとのことでした。
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春花園BONSAI美術館」は盆栽界の巨匠、小林國雄さんが館長を務めています。中には沢山の盆栽が所狭しと並んでいました。 敷地内の奥には立派な日本家屋がありこれが「美術館」でした。職人さん達の作業も見ることができました。
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一之江戸名主屋敷。
この住宅は、江戸時代にこの地に移り住み、一之江新田と呼ばれていた当地の開拓の主導的役割を果たした田島図書(ずしょ)英丈を祖とする田島家の旧居。敷地面積は約2000坪。田島図書はもともと堀田姓を名乗った武士出身でしたが、関ヶ原の戦いに参戦後関東地方へ入り、田島姓に改姓して当地の開拓に携わったと伝えられているとのこと。その後の江戸時代は田島家が代々当地の名主を務めていたのです。現存する主屋は1770年代(安永年間)頃の建立で寄棟造、茅葺、平屋建。敷地には屋敷林や庭園などが備わっっていました。その後整備を繰り返し、2011年には江戸川区の管理となったようです。珍しいお名前の古結(こげつ)さんが案内役でした。
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大雲寺(だいうんじ)は、浄土宗の寺院でご本尊は阿弥陀如来。歌舞伎俳優の墓が多いことから「役者寺(やくしゃでら)」と呼ばれているとのことでお墓にお参りしました。これらの歌舞伎役者墓碑群は江戸川区指定史跡になっており、市村羽左衛門累代墓(初代より17代合葬、13代は五代尾上菊三郎)、坂東彦三郎累代墓(初代より七代合葬)、三代坂東彦三郎家墓、初代尾上菊五郎供養碑、寺島家門弟一同建立碑、寺島家門弟代々墓、瀬川菊之丞累代墓(初代より六代合葬)(江戸時代の歌舞伎狂言作者、初代瀬川如皐を合葬しています)、中村勘三郎累代墓(初代より十三代合葬)、三代中村勘三郎墓、福地家墓、坂東彦三郎墓(初代より二代合装)などのお名前をHPでも確認できました。どの方々も今に続く歌舞伎役者さんのご先祖なのです。
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ベルクオーレ(昼食)は瑞江駅そばにあったお店。地下の広々空間で本格的イタリア料理でなかなかおいしかったです。
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仲井堀親水緑道。
仲井掘は多くの支流があり、周囲の灌漑用水に利用されてきました。春江樋門から環状7号線までを流れていた農業用水路が地元住民の支援で親水化整備が実現し、平成4年にできた緑道で500mあるようです。今日は入り口だけ見ました。
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国柱会は、純正日蓮主義を信奉する仏教の宗教法人。明治17年(1884)、田中智学により創設。大正半ばに宮澤賢治がこれを知り、傾倒。大正11年に亡くなった賢治の妹トシの遺骨と賢治の遺形は大霊廟に納鎮されており、申孝園には賢治の辞世の歌碑が建立されているとのことです。
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佐々木養魚場は、天保8年(1837年)から続く、江戸川区の金魚屋さん。創業は台東区入谷でその後、先代が大正15年に分家し、江戸川区に移転。現在は、茨城県常総市にある水田で生産し、江戸川の店舗で販売しているとのこと。自家生産のオリジナル品種、はやり物の新種、らんちゅう、鯉、メダカまであるようでした。
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一之江境川親水公園。
平成7年より「自然に近い水辺を」希望する声に後押しされできた豊かな自然を満喫できる親水公園と順次整備されたとのことです。今は3200mあるようです。魚や昆虫、水生植物が生息できるように、新中川の自然水が流されています。ま公園内には小さな子ども達が夏季に水遊びを楽しめる広場が3ヵ所あり、これは本流の流れを迂回させ水道水を循環利用しているとのことでした。
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タワーホール舟堀は、水辺都市・江戸川区にちなんで「区民の乗合船」をイメージして造られ、平成11年にオープン。この建物はコンベンション機能、健康、文化、産業の質的向上を図る機能、くつろぎ、楽しめるアミューズメント機能、ブライダル機能を備え、区民生活を支援しているとのことでした。高さ115mのタワー展望室からの眺めは素晴らしかったです。
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本日は晴天、ちょっと熱く感じる27℃。講師は信野先生、CDは掛園さん。
地元の案内を見ると、江戸川区は緑道が多いこと、小松菜などの野菜直売所も見受けられるエリアのようでした。終わってみると緑道のウォーキングを楽しめなかったことが残念でした。また朝10:00スタートで昼食場所には13:00過ぎ到着でしたからちょっときつい感じ。午後はその分、短めで16:00近くに解散。このように暑い中でのウォーキングですから、効率よくスケジュールが組まれ実行されることが肝心です。
ご一緒になった皆さん共々、これからも楽しくウォーキングしたいものです。
posted by yunofumi at 22:00| あちこちウォーク

2017年06月08日

2017.5.27 横浜散策第2回 中区

JR石川町駅南口⇒石川町駅前歩道橋⇒石川町2丁目⇒大丸谷震災地蔵尊⇒横浜市立元町小学校⇒フェリス女学院⇒外交官の家⇒三育幼稚園前交差点⇒中央大学⇒カトリック山手教会⇒山手公園⇒日本庭球発祥之地碑⇒横浜山手テニス発祥記念館⇒旧山手68番館⇒明治3年日本発の様式公園⇒横浜市立元町小学校⇒公園坂⇒上野町4丁目⇒山手駅入り口交差点⇒大村薬局⇒麦田町バス停⇒Plow Cafe⇒大和町バス停⇒山手駅入り口交差点⇒妙香寺⇒妙香寺前交差点⇒キリン園公園入口交差点⇒千代崎町1丁目⇒キリン園公園⇒北方小学校⇒諏訪町⇒北方小学校前交差点⇒山手本通り⇒ベーリックホール⇒元町公園⇒山手80番館遺跡⇒大正活映撮影所之跡⇒代官坂⇒元町2丁目⇒本丸亭⇒代官坂通り⇒元町プラザ⇒ウチキパン⇒山手外国人墓地⇒元町・中華街駅

駅を離れすぐに石川町駅前歩道橋を上り、早速街の地形を眺めて出発です。
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大丸谷坂震災地蔵尊。
1923年(大正12年)9月1日の関東大震災の震源地は相模湾で死者約10万人という大地震。この辺りでも火災が発生し、人々は大丸谷坂を高台へと上ったのです。でも凄まじい火炎が付近の草木も焼き尽くしその結果約50名の方がなくなったそうです。このお地蔵さまは震災50周年に当たり建立されたとのことです。
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外交官の家。
こちらはもともとニューヨーク総領事やトルコ特命全権大使などを務めた明治政府の外交官内田定槌氏の邸宅として、明治43(1910)年に東京渋谷の南平台に建てられました家。 設計者はアメリカ人のJ.M.ガーディナー。建物は木造2階建て塔屋つき、天然スレート葺きの屋根、下見板張りの外壁で、華やかな装飾が特徴のアメリカン・ヴィクトリアンの影響があるとのこと。1階は食堂や大小の客間、2階は寝室や書斎などがあり、部屋の家具や装飾はアール・ヌーボー風でした。
1997年(平成9年)横浜市が内田定槌氏の孫にあたる宮入氏からこの館を寄贈され、山手イタリア山庭園に移築復元されたのです。庭園も素晴らしかったです。
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カトリック山手教会。
聖フラシスコ・ザビエルにより日本宣教が始まった1549年の後、厳しいキリシタン弾圧が続いたけれど、幕末の1859年開港時に日本再宣教のため、パリ外国宣教会のジラール神父らが来日。1862年横浜居留地80番地(現横浜市中区山下町80)に「横浜天主堂」(イエズスの聖心教会)が造られたのです。ちなみに長崎大浦天主堂はこの3年後にできたとのことです。ということでここは日本最初の教会なのです。
1906年、天主堂付近の市街化により現在地に移転し2代目の双塔を持つゴチック風の聖堂ができたが1923年の関東大震災によって崩壊。現在の聖堂は3代目だそうです。
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教会の中庭にある聖母像は、1868年にフランスから贈られたもの。開国後初のキリスト教会として1862年(文久2年)に居留地に建てられたイエズスの聖心教会の入り口の上にありました。1906年(明治39年)に教会が、現在の地(山手町44番地)に移転した際に現在の場所に移されたとのことです。
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山手公園は、日本初の洋風公共庭園。
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山手公園内にある日本庭球発祥之地碑。
山手公園内に、1870年(明治3年)に横浜居留地外国人のレクリエーション施設としてテニスコートが造られたのですということでここが日本における庭球発祥の地とされているのです。
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横浜山手テニス発祥記念館は、横浜インターナショナルテニスクラブ創立120周年を記念して建てられ、テニスの歴史パネルなどが展示されていました。
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旧山手68番館は現在山手公園管理事務所となっていました。

横浜市のマンホール。
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Plow Café(昼食)は麦田町にあったカフェ。さぐが横浜、ウォーキングでは珍しくイタリアンでした。
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妙香寺は814年(弘仁5年)真言宗の開祖弘法大師(空海)の創立で当時は本牧山東海寺と称していたとのこと。その後 日蓮聖人の日蓮宗に改宗し連昌山妙香寺となり、現在は本牧山妙香寺。1923年(大正12年)9月1日関東大震災で焼失、1927年(昭和2年)に失火で焼失、1945年(昭和20年)5月29日に第二次 世界大戦横浜空襲により全山焼失。でも今は再建されているのです。
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境内には君が代発祥の地碑がありました。
君が代の歌詞は古今和歌集第7巻賀歌の部の一部。作曲は明治2年秋に英国陸軍の楽長ジョン・ウィリアム・フェントン。その後この曲を排して宮内省の林広守の曲が現在も使われているとのこと。
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また日本吹奏楽発祥の地もありました。
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1854年(安政元年)ペリー提督と一緒に上陸した楽隊が演奏したのが日本初の洋楽演奏。
その後日本で初の楽隊となった薩摩藩洋楽伝習生がこの妙香寺を寄宿舎として吹奏楽を学んだのです。

キリン園公園はキリンビール発祥の地。中央に巨大な麒麟麦酒開源記念碑の碑がありました。
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この一帯はかつて、天沼と呼ばれる清水の湧きでる地で明治初期には山手居留地123番地と呼ばれたのです。1870年(明治3年)には、ウィリアム・コープランドが「スプリングバレー・ブルワリー」を開設しこの良質な井戸水を使い、ビールの醸造を始めたのです。明治18年には後藤象次郎や岩崎弥之助、ベルツなどが加わりジャパン・ブリュワリー・コンパニーとなってスプリング・ヴァレー・ブリュワリー事業を継承し、麦酒に「麒麟麦酒」と命名。大正12年関東大震災で工場などすべてを生麦に移転。現在に至っているのです。その工場跡地はキリン公園と北方小学校なのです。当時の名残として、キリンビールの寄贈により1967年に修復されたビール井戸が校内に保存されています。
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元町公園は横浜の山手地区にある緑豊かな公園。 園内には、ジェラールの水屋敷跡や山手80番館遺跡など、歴史的に貴重なものが多くありました。また横浜山手西洋館の一部である、山手234番館やエリスマン邸やベーリック・ホール、山手234番館もありました。
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ジェラールの水屋敷跡。
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山手80番館遺跡。
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エリスマン邸。
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ベーリックホール(旧ベーリック邸)
イギリス人貿易商B.R.ベリック氏の邸宅として1930年(昭和5年)にアメリカ人建築家J.H.モーガンにより設計され、第二次世界大戦前まで住宅として使用され、1956年(昭和31年)に遺族より宗教法人カトリック・マリア会に寄付されました。その後、平成12(2000)年まで、セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用されていた時期もあります。約600坪の敷地に建つべーリック・ホールは、スパニッシュスタイルが基調、外観は玄関の3連アーチ、クワットレフォイルという小窓、瓦屋根には煙突など、多彩な装飾がありました。内部は、リビングルームやパームルーム、ダイニングルーム、白黒のタイル張りの床など、建築学的にも価値ある建物だとのことです。
2001年(平成13年)に横浜市が元町公園の拡張区域としたのです。
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大正活映撮影所之跡の碑。
大正活映は、1920年(大正9年)に設立された無声映画の配給映画会社。
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山手外国人墓地にある生麦事件犠牲者リチャードソンの墓”
生麦事件は、幕末の1862年(文久2年)に、武蔵国橘樹郡生麦村付近で、薩摩藩主島津茂久(忠義)の父・島津久光の行列に乱入した騎馬のイギリス人たちを、供回りの藩士たちが殺傷(1名死亡、2名重傷)した事件。
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本日は10:00にJR石川町駅南口に集合、講師は浅井先生、CDは金子さん、参加者は29名。朝はやや曇りでしたが次第に晴天となり28℃はあった感じ。1日の歩程は約4.5kmとパンフレットには明記されていましたが、先生いわく「地形に注目しながらウォーキングしましょう」の言葉通り、高低差があり、また断層も見られ、歩数はかなりとなりました。ということで終了後はお知り合いになった姉妹とご一緒にお茶をして大いに楽しみました。
横浜は18区ありますので最後まで楽しく頑張ります。
posted by yunofumi at 21:13| あちこちウォーク

2017.5.28 群馬県 茂林寺へ

東北自動車道・菖蒲SA→羽生SA→館林IC→茂林寺⇒茂林寺沼湿原⇒東武トレジャーガーデン⇒茂林寺→太田

本日は久しぶりに群馬へドライブ。
噂で茂林寺が賑わっているというので、約30年ぶりに訪問。
本日は26℃、晴天でドライブ日和!
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茂林寺は館林市にある曹洞宗の寺院。室町時代中期の1426年(応永33年)に大林正通禅師により開山され、ご本尊は釈迦牟尼仏。お伽話の「ぶんぶく茶釜」で有名。境内のあちらこちらには信楽焼の狸がいました。
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山門脇には一段と大きな狸がいました。
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本堂脇では茶筅供養が行われていました。
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茂林寺では宝物室 解説80周年記念 茶釜狸展ということで展示も多くありました。
茂林寺前には茶屋が数軒営業中。
そこでお茶を一服。地元産の麦羊羹でお抹茶をいただきました。
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すぐ傍には茂林寺沼湿原があったのでお散歩!
茂林寺沼湿原は天然記念物だとのこと。湿原植物の生育地として保護され、湿原内の茂林寺沼ホタルの里では6月下旬から8月にかけてヘイケボタルが見られるということです。
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東武トレジャーガーデンでは今、薔薇が満開とメディアで把握していたのでちょっと足を延ばして散策。
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なるほど、薔薇が満開!紫陽花はこれから、芝桜はほとんど終わっていました。
薔薇は1500品種、3000株あるとのことでした。
ここは元々結婚式場だったみたいです。園内には聖ペテロ&パウロ教会(収容人数135名[1])があり、1998年(平成10年)6月にイギリス『英国・アングリカンチャーチ(英国国教会)』の正式な認定を受け、献堂式を行い開堂したようです。教会の外観は、イギリス・ヴィクトリア朝の後期に設計・建築されたセント・オーガスチン教会をモデルにしたおり、ゴシック様式を基調とした中世ヨーロッパ風の建築デザイン。教会の正面ドア、ステンドグラス、パイプオルガン、説教壇(パルピット)、署名台(レクターン)、木製ベンチは、英国の聖ペテロ&パウロ教会で実際に使用されていたものだそうです。 今日は込み合っていたので中までは見られませんでした。
黄色、紫色、ピンク色など、とにかく癒されました。
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レストランヴィクトリアンハウスは美味しそうでしたが今日は人も多く、満席。
そんなこんなで優雅なドライブをして太田市の義弟宅で一晩お世話になりました。
たまの気ままなドライブもいいものでした。
posted by yunofumi at 20:40| ドタバタ日記

2017年06月01日

2017.5.23 船から見た江戸歴探訪

東海道五十三次の仲間と久しぶりの同窓会。浅井先生を中心にクルージング船を貸し切り、船から見た江戸歴探訪の旅に参加しました。

JR東京駅⇒常盤橋⇒日本橋船着場〜@日本橋川〜A亀島川〜B隅田川〜C小名木川(往復)〜D隅田川〜E神田川〜F日本橋川〜日本橋船着場⇒KOREDO室町2F日本橋・墨之栄

朝9:30JR東京駅日本橋口に39名が集い、笑顔満載!青空の元、10:00に日本橋そばにある日本橋船着場をいよいよ出発!!
@日本橋川--日本橋船着場・江戸橋・鎧橋・茅場橋・日本橋水門
これはすごい!川の上を首都高速が!その真下をくねくね進むことを実感。
首都高・都心環状線は昭和34年に5年後の東京オリンピックに照準を合わせ、用地買収などの手間とお金を省略するなどの手間を省くため、日本橋川などの上空に造られたとのことです。でも日本橋の上に高速道路があるのはいかがなものかという議論はずっとあるようです。
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A亀島川--霊岸橋・新亀島橋・亀島橋・高橋・南高橋・亀島水門
亀島水門は隅田川との境界にありました。
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B隅田川--中央大橋・永代橋・隅田川大橋・清州橋
隅田川に入ると波があり外海に通じていることを実感しました。

清洲橋のそばの沿岸には芭蕉庵史跡展望庭園が見えました。
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C小名木川(おなぎがわ)--萬年橋・新小名木川水門・高橋・西深川橋・東深川橋・大富橋・新高橋・扇橋・新扇橋・扇橋閘門・故松橋・小名木川橋・小名木川クローバー橋
新小名木川水門は隅田川と小名木川の境目にありました。小名木川は人工の川なので直線。この川は1590年頃、江戸城を居城に定めた徳川家康が、兵糧としての塩の確保のため行徳塩田から江戸までの運河を作るように小名木四郎兵衛に命じて完成させたのです。ということで川の名前も小名木川。

扇橋閘門より東側は地盤沈下が激しくゼロメートル地帯の顕著な地域のため水位を1m下げています。
扇橋閘門は、ゼロメートル地帯の江東デルタ地帯を東西に流れる小名木川のほぼ中央に位置し、水面の高さが違う河川を船が通航できるようにした“運河”。この仕組みは、2つの水門に挟まれた水路(閘室)に船を入れ、水位を人工的に昇降させることにより船を通過させるというもの。
今回前扉が開いている所に船が入ります。
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閘門に船が入った所です。
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その後前扉閉まり、水を抜き水位下がります(−1.6m)
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今度は後扉が開き始めます。
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船は小名木川クローバー橋で方向転換しました。
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再び後ろ扉開いている所に入る⇒後ろ扉閉まる⇒前扉開き水位上がる(+1.6m)⇒隅田川方向に進む

まあ、パナマ運河のミニ版なのだとわかりました。
東京都の施設で通行料無料、でも施設維持には大変な資源の投入がありそうです。
小名木川クローバー橋は、小名木川と横十間川の合流点に幅4m、長さ約80mと60mの2つの橋桁を対角に架け渡したX字型のユニークな歩行者自転車専用橋。東京都内で初めての形式で平成6年12月に建設。
すぐ傍のマイクロ水力発電は小水力発電のシステムで横十間川親水公園の水門橋にあり、小名木川と横十間川がクロスする場所でした。近くには江東区スポーツ会館や大型商業施設もありました。高低差のない江東区のマイクロ水力発電の導入は東京都では初めてとのこと。
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この辺りには昔懐かしい葦が見られました。
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途中で見られたゴミ拾い船です。正式には水面清掃船といい、川をきれいにする業務をしています。
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D隅田川--新大橋・堅川水門・両国橋
ここでは船からでないと撮れない総武線と東京スカイツリーを同時にカメラがとらえました。
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E神田川−柳橋・浅草橋・左衛門橋・美倉橋・和泉橋・神田すれあい橋・万世橋・昌平橋・聖橋・御茶ノ水橋・水道橋・後楽橋

小松屋は明治から昭和の初め、花柳界としてにぎわった柳橋のたもとにある佃煮屋さん。昔は船宿もしていた小松屋です。柳橋の料亭のおみやげとして佃煮を作り出したようです。現在も柳橋のたもとで4代目が昔と変わらぬ製法で佃煮を作り続けているようです。
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川面には屋台船が多くみられました。
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中央線神田〜御茶ノ水間に 昔は「万世橋駅」があったとのこと。
1912(明治45)年に完成した赤レンガ造りの万世橋高架橋ですが1923年の関東大震災で焼失。その残存部分を利用して2代目駅舎が1925年に完成。それでも1943年に万世橋駅はお客の減少で閉鎖。このころ今は大宮にある鉄道博物館のもととなっていたようです。今は旧万世橋の赤レンガやデザインがみられる場所になっています。今日は川からその姿を見ました。
1912年(明治45年)に完成した赤レンガの万世橋高架橋跡に開業した「マーチエキュート神田万世橋」を船ら見ました。
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お茶の水渓谷。
江戸時代初期に台地が拓かれて神田川が造られ、この地に渓谷が誕生しました。二代将軍の徳川秀忠は、この近くにあった高林寺の湧水で淹れた茶を気に入り、付近一帯は「お茶の水」と呼んだのです。渓谷も「お茶の水谷」と呼ばれ、「すべて人力で掘られた切通しの中を流れる渓谷」ということのようです。
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お茶の水分水嶺は 大雨等により水かさが増した時に、そのoverflow した水をこの部分に流すためにできています。こちらが出口
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もう一つの取り込み口は昌平橋の横にありました。
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後楽橋は関東大震災の復興橋の一つとして、1927年(昭和2年)11月2日に架設された橋。緑色に塗装された鋼製のアーチ橋で、石造りの親柱があるとのこと。橋の名称は、北側にある小石川後楽園から採られたようです。1964年には、東隣に歩行者専用の後楽園ブリッジが架けられたのです。

F日本橋川−三崎橋・新三崎橋・あいあい橋・新川橋・堀留橋・南堀留橋・俎橋(まないたはし)・宝田橋・雉子橋(きじはし)・一ツ橋・錦橋・神田橋・鎌倉橋・JR外濠橋・新常盤橋・常盤橋・一石橋・西河岸橋・日本橋・日本橋船着場

俎橋(まないたはし)の由来は2枚の俎(まないた)を渡したような板橋であったとする説と、近くに存在した台所町との関連で名付けられたとする説があるそうです。

雉子橋(きじはし)を横に見たあたりで外堀の石垣の幾つかに家紋が見えた。
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日本橋はやはり立派。徳川家康が江戸に幕府を開き、1603年に市街地の造成を始め、江戸城の外堀と江戸湾をつなぐために平川(日本橋川)の河口を延長し、平川に木橋をかけたのがのちの日本橋とのこと。翌年ここが一里塚の基点と定められ五街道の起点になったのです。日本橋という名前の由来は諸説があり、当初は2本の木を渡した二本橋と呼ばれていたとか、諸国への行程の出発地点だからなどですが、江戸第一の橋ということで日本橋と呼び始めたというのが一般的のようです。広重の描いた東海道五十三次・日本橋には橋の手前で男が天秤棒を担いで魚などを売り、橋の向こうからは挟み箱や毛槍を先頭に大名行列がやってくる様子が描かれています。当時から日本の中心であり、橋は繁栄する日本の象徴として活気があったようです。
橋の工事は1908年(明治41年)に着工し、1911年(明治44年)完成とのこと。石造二連アーチ橋で橋の長さ49m、幅27m、設計は米本晋一。橋柱の銘板にある「日本橋」の揮毛は徳川慶喜のもの。日本橋中央柱の麒麟、日本橋親柱の獅子と東京市章、橋中央の道路元標などは見慣れていましたが、橋を横から見た時の中央の紋章のようなものはハッキリ何かわかりませんでした。
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こうして2時間のクルージングを終了。皆が満足して素晴らしい笑顔です。
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こうして色々な川を巡り、橋も50以上潜り抜けたと思われます。気温27℃、晴天、川風も気持ちよく、皆が大満足でした。その後はKOREDO室町2F日本橋・墨之栄に場所を移し、魚と日本酒で大盛り上がりの懇親会でした。
皆さん、またお会いできることを楽しみにしています。
posted by yunofumi at 23:19| ドタバタ日記