2017年05月31日

2017.5.21  OUT DOOR FITNESSノルディックハイキング

猿江恩賜公園⇒北砂1丁目公園⇒海砂橋⇒千石地蔵尊⇒千石1丁目⇒木場公園⇒亀久橋⇒BLUE BOTTLE⇒平野1丁目⇒チーズのこえ⇒清澄公園

今日はまだ5月というのに暑さ厳しい1日でした。まずは晴天なので元気よく参加者8名、インストラクター1名が猿江恩賜公園を9:00スタート。朝が早いので猿江恩賜公園では蓮の花も咲いていました。
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この辺りは晴天ではなんといってもスカイツリーが輝いて見えます。
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本日は小名木川、横十間親水公園、仙台堀公園などを歩き回るコースで何処が何処やら、さっぱり自分の所在が分からず、キョロキョロしながらのウォーキング。
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そこにひょっこり可愛い千石地蔵尊が鎮座。横に石板で説明がありました。
「昭和20年(1945)3月10日未明、米軍機の大空襲により、我が郷土は焼野原と化し、堀割や路傍、学校などで、尊い瀬名が数多く奪われ殆ど肉親に逢うこともなく葬られました。 劫火に追われて逃げ惑い、離れ離れになった家族の行方を捜して、焼跡に住み続けた。杉岡桂治郎氏らの有志が、夥しい死者の霊を悼み、同年5月頃、当地に地蔵尊を祀り、供養を続けて参りました。 この度山崎ムメ氏外有志が、地区内の風致化に伴い、豊かな景観に添う御堂修築を発願し、会員及び地元の有志や企業のご賛同により竣工致しました。茲にみ霊のご冥福を祈り二度と無残な悲しみを繰り返さぬよう、恒久平和を希って、この碑を建立します。」 昭和62年(1987)3月10日 千石長寿会 会長 山岡英太郎
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チーズのこえ。
今野 徹北海道ナチュラルチーズ・コンシェルジュのお店。
酪農王国 北海道のチーズを2015年11月より、清澄白河で販売しているとのことです。
ソフトクリームがとっても美味しかったです。
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清澄庭園入口で全員集合。
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庭園内では花々を眺めながら美味しい空気を一杯吸い、30℃越の感じでしたが都心にいることを忘れました。
その後、近所のとんかつ「常陸」で昼食をいただき本日のイベントを終了。イヤー今日も気ままで有難いノルディックウォーキングでした。
posted by yunofumi at 21:49| あちこちウォーク

2017年05月24日

2017.5.16 銀座線ウォーク第2回 後半

赤坂見附〜京橋

シオドメcaretta/sorasio⇒新橋停車場跡・江戸時代仙台藩上屋敷跡⇒旧新橋停車場・鉄道歴史展示館⇒昭和通り・銀座8丁目⇒御門通り・芝口御門跡⇒博品館劇場⇒金春通り・煉瓦遺構の碑・ノーブルバール⇒銀座すし久兵衛⇒豊岩稲荷神社⇒交詢社⇒並木通り・石川啄木碑⇒天一⇒空やもなか⇒みゆき通り⇒壱番館⇒泰明小学校・島崎藤村碑⇒菊田一夫碑・数寄屋橋公園⇒TOKYO PLAZA・ギンマチダイニング⇒銀座4丁目交差点・旧尾張町⇒安藤七宝店・悠久の翔⇒服部時計店⇒三愛・銀座の恋の招き猫⇒鳩居堂⇒木村屋⇒山野楽器⇒教文館⇒社交場白いバラ⇒銀座マロニエ通り⇒カルティエ⇒東京銀座通電気燈建設の図碑⇒銀座発祥の地碑⇒ヨネイビル・銀座2丁目⇒奥野ビル⇒銀座湯⇒白木屋伝兵衛商店・江戸箒⇒警察博物館⇒旧京橋親柱(1代目)・煉瓦とガス燈の碑・京橋親柱(2代目)⇒江戸歌舞伎発祥之地碑⇒明治屋ビル・京橋駅

日テレ前の広場の所に新橋停車場跡には当時の線路を思わせる工夫と江戸時代仙台藩上屋敷跡の説明がありました。
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こちらは数回伺ったことのあるお馴染みの旧新橋停車場・鉄道歴史展示館。
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御門通り・芝口御門跡。
この芝口御門は新井白石の建議により朝鮮使の入府に備え国威の顕示から芝口御門が建設されたとのことです。しかし、建設後15年で焼失し、その後は再建されることなく、そのままとなっているのです。
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金春(こんぱる)通りは長さおよそ130mほどの裏通り。江戸情緒を残す「銀座の最後の砦」と言われている由緒ある通りです。
この場所には江戸時代に能楽の金春流のお屋敷があったとのことです。江戸時代、幕府直属の能役者として土地や俸禄を与えられていた家柄に、金春・観世・宝生・金剛の四家があり、最も歴史のある金春家は室町時代以来繁栄し、江戸時代初期から観世太夫とともに江戸で能を演じていた名家で、屋敷なき後も、この地にその名を留めているのです。

煉瓦遺構の碑
銀座は日本に二箇所しか建設されなかった貴重な煉瓦街の一つ。もう一つは丸の内の煉瓦街。設計者はトーマス・ジェイムス・ウォートルス(英国人)。この煉瓦は銀座8丁目8番地(旧金春屋敷地内)で発掘されたものでゆかりの金春通りに記念碑として保存される事になったようです。下方の絵は、明治初期のガス灯や張り板、提灯など当時の金春通り煉瓦街を偲ばせる古い写真を元に銅板に彫金したものとのことです。またこの傍のお店ノーブルバール前には昔の水道の木樋が今も置かれていました。
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交詢社は1880年(明治13年)に福澤諭吉が提唱し、結成された日本最初の実業家社交クラブ。名称は「知識ヲ交換シ世務ヲ諮詢スル」に由来するとのこと。慶應義塾出身者が中心で、少しは一般の加入者もあったようです。大正元年に財団法人化され名称が財団法人交詢社に。近年法人制度改革により一般財団法人に改組したようです。
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銀座6丁目、並木通りに石川啄木碑がありました。啄木は亡くなる前の3年間、この場所にあった朝日新聞に勤務していたことに因んでこの歌碑が立っているようです。歌碑には「京橋の滝山町の新聞社 灯ともる頃のいそがしさかな」とありました。

泰明小学校は明治11年創立赤煉瓦の校舎だったとのこと。現在の建物は関東大震災後建てられた鉄筋コンクリート製。島崎藤村、北村透谷、近藤文麿、和泉雅子、朝丘雪路など卒業生には有名人が多い。
TOKYO PLAZA・ギンマチダイニングから見た泰明小学校。
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敷地の一角に島崎藤村碑がありました。

かつて数寄屋橋があったところが数寄屋橋公園になっています。
数寄屋橋は1629年(寛永6年)、江戸時代初期に江戸城の外濠に初めて架けられ、1929年(昭和4年には、石橋に架け替えられたとのこと。 1952年(昭和27年)、大ヒットのラジオドラマ「君の名は」では切ない待ち合わせの場所として何度も登場し、全国に知られたのです。 1958年(昭和33年)、高速道路の建設に伴い、川は埋め立てられ、橋は撤去され、公園になったのです。
岡本太郎作の「若い時計台」、「君の名は」の作者、菊田一夫の碑が見られました。

TOKYO PLAZA・ギンマチダイニング。
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現在の銀座を見るにはちょうどよい場所です。

銀座4丁目交差点、旧尾張町の安藤七宝店外壁にある七宝焼きからくりモニュメントの悠久の翔。1日に4回動くようです。はじめて気づきました。
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服部時計店は、1881年12月に服部金太郎が創業した輸入時計・宝飾品の販売店。現在は株式会社和光の本店で銀座4丁目交差点に永く銀座のシンボルとして親しまれています。

銀座の恋の招き猫。
三愛の建物の左右の境界に、彫刻の猫がいます。
オス猫「ごろべえ」、メス猫「のんき」が鎮座し、男性はメス猫を、女性はオス猫を、願いを込めて撫でると願いが叶うという「恋の招き猫」だそうです。生みの親は、彫刻家の流政之、ボディはノルウェイ産の御影石。三愛ドリーセンター誕生(1963年)とともに、この場所にいるとのことです。
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この辺りは銀座に来ると必ず通っていたのに気づきませんでした。
この辺りは、鳩居堂、木村屋、山野楽器、教文館、など有名店が目白押しです」。

東京銀座通電気燈建設之図碑。
カルティエ銀座2丁目店の壁面にこのプレートがありました。
1882年(明治15年)に初めてアーク灯が灯され、銀座に不夜城が現出した様子を描いた錦絵を彫刻したものとのことです。
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銀座発祥の地碑
銀座通り(中央通り)に面したティファニー銀座ビル前の歩道にあります。ここには 江戸時代に銀座があったのです。1955年(昭和30年)建立。 「 慶長十七年(1612)徳川幕府此の地に銀貨幣鋳造の銀座役所を設置す 当時町名を新両替町と称せしも通称を銀座町と呼称せられ明治二年遂に銀座を町名とする事に公示さる」と書かれています。江戸時代の銀座とは貨幣の鋳造所のことで、1601年(慶長6年)に伏見に創設されたのが始まり。 その後この地の銀座に統合。 この銀座役所では貨幣鋳造と銀地金の売買が行われ、役所は1800年(寛政12年)に蛎殻町に移転し、銀座が地名として残ったとのことです。
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ヨネイビル。
1897年(明治30年)匿名組合磯野商会設立(創始者:磯野計、共同事業者:米井源治郎)以来明治護謨製造所、明治屋設立、磯野商会、米井商店と次々に改称しながら社屋は現在のヨネイビルになったようです。1〜2階は昔のまま、上を近代的なビルになっていました。

奥野ビル。
かつて旧銀座アパートメントと呼ばれ、銀座界隈でも屈指の高級アパートだったビルです。今はレトロな雰囲気で注目される存在です。1932年の建設当時は、民間の建物では日本で初めてエレベーターを備えたビルでこの手動式のエレベーターは今も稼働していました。今は画廊やギャラリーなどが入っている様子でした。
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銀座湯
銀座1丁目にあるビル型の銭湯。今も営業とのこと。入口には番台、湯船は2種類、浴場には打ち上げ花火と夜景のモザイクタイル絵(女湯)だとのこと。東京駅に近いですから街歩き後、入ってみたいものです。
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白木屋伝兵衛商店・江戸箒
奈良の正倉院に、孝謙天皇が蚕部屋を掃き、豊作を祈るために使った箒がおさめられているとのこと。箒はもともと呪術的 な意味で、神事の道具でもあったようです。植物を 束ねるという箒は今も昔も変わらない掃除道具です。箒の材料は、シュロや竹、ワラ、ホウキギ、ハハキギなど。「江戸箒」はホウキモロコシが材料とのことでした。ホウキモロコシはイネ科の一年草で、草丈は約2mにもなるようです。
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警察博物館。
以前の街歩きの時は工事中でしたが、今年の4月にリニューアルオープンしたとのこと。体験型展示や昔の大事件の解説があるようです。一度伺おうと思いました。

京橋は江戸時代の木造の橋から石造単アーチ橋へと架け替えられたとのこと。1875年(大正8年)の京橋の親柱がこれのようです。
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右側は1922年(大正11年)に設置された照明設備つきの親柱1基。
京橋川は昭和34年に埋め立てられ、同時に京橋も撤去されたようです。 1872年(明治5年)の大火の後、街の不燃化が計画されて銀座煉瓦街が建設され、以後この煉瓦街と街路樹の柳は銀座の柳として名物になったのです。その後煉瓦が発掘されたのを契機に昭和三十一年(1956)当時のままの「フランス積み」という方式で再現し、そこに煉瓦の碑が建てられた。これが上の写真の左側に見える碑です。

江戸歌舞伎発祥之地碑。 
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歌舞伎は1603年(慶長8年)に出雲阿国が京都で"歌舞伎踊り"をしたのが始まりとのこと。そして20年後の1624年(寛永元年)に 猿若勘三郎が江戸の京橋付近に猿若座(後の中村座)を開設したのが 戸歌舞伎の始まり。 その後“女歌舞伎”は風俗を乱すという理由で禁止となり, 歌舞伎は男役者のみで演ぜられる芝居となったのです。

こうして本日は気温23℃薄曇りのなかまっすぐの距離としては5kmくらいだったようですが何しろ見るところが多く、すぐ説明がありますので“歩き草臥れた”まではいかなかった感じでした。ということで午後の約3時間ウォーキングも無事に終了しました。感謝!!
posted by yunofumi at 03:19| あちこちウォーク

2017年05月21日

2017.5.16 銀座線ウォーク第2回 前半

赤坂見附〜京橋

銀座線は浅草から渋谷まで19駅、15km、乗車時間は32分。
このシリーズではこのコースを4回として地上部分をウォーキング。
第1回の前回は渋谷・表参道・外苑前・青山1丁目・赤坂見附。
本日第2回は赤坂見附・溜池山王・虎の門・新橋・銀座・京橋の辺りをウォーキングです。

赤坂見附駅⇒東急プラザ⇒プレデンシャルタワー⇒赤坂茶寮⇒オカムラ⇒山王日枝神社⇒山王坂⇒そば処黒澤⇒衆議院議員会館⇒国会議事堂前駅⇒首相官邸⇒溜池山王駅⇒外堀通り・六本木通り⇒溜池発祥の碑⇒溜池交差点⇒特許庁前⇒霞ヶ関ビル・カスミダイニング⇒虎ノ門駅⇒工部大学校阯碑⇒国立教育会館⇒江戸城外堀跡・溜池櫓台⇒虎ノ門金刀比羅宮⇒外堀通り・桜田通り⇒虎の門石⇒杜の都太助⇒霞ヶ関診療所⇒りそな銀行4・西新橋1丁目交差点⇒虎の門高木ビル⇒西新橋1丁目都バス停⇒新橋駅北口バス停⇒新橋2丁目⇒赤レンガ通り・鉄道発祥の地の碑⇒美々卯⇒鳥割烹古今亭⇒魚の旨い店和楽⇒烏森神社⇒新橋駅烏森口⇒シオドメシティセンター⇒大江戸線汐留駅⇒シオドメcaretta/sorasio(昼食)

本日は東京シティガイドクラブの案内人が3人、参加者は30人弱。私はBグループ9人の一員で朏(みかづき)先生にお世話になりました。はじめてお目にかかった朏さんという苗字は愛知や滋賀県で見られお名前のようでした。
赤坂見附駅は港区赤坂三丁目にあり1938年(昭和13年)に開業した駅。銀座線と丸の内線が乗り入れており、有楽町線・半蔵門線・南北線が乗り入れる永田町駅(千代田区に立地)と改札内で連絡しています。

山王日枝神社(さんのうひえじんじゃ)は、永田町二丁目にある神社で江戸三大祭の一つ、山王祭が毎年6月15日に行われるとのこと。旧社格は准勅祭社といい東京十社にひとつ。大山咋神(おほやまくひのかみ)を主祭神とし、相殿に国常立神(くにのとこたちのかみ)、伊弉冉神(いざなみのかみ)、足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)を祀っているとのことでした。創建は不詳で、1478年(文明10年)、太田道灌が江戸城築城にあたり、川越の無量寿寺(現在の喜多院・中院)の鎮守である川越日枝神社を勧請したのが始まりのようです。徳川家康が江戸に移封された時、城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守としたとのことです。
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鳥居が特別な形でした。笠木の中央に棟束(むねづか)を建て、三角形の破風(はふ)が載っています。合掌鳥居、破風鳥居、山王鳥居などと呼ぶそうです。
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山王坂は永田町2丁目にある衆議院第一議員会館と第二議員会館の間を山王日枝神社前に下る坂。またこの坂の近くに明治時代の豪商鹿島清兵衛の屋敷があったので鹿島坂ともいうようです。

首相官邸の後ろをウォーキングしたので珍しい角度でみました。
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「溜池」は、かつてこの一帯にあったヒョウタンの形の池の名前。元々は湧水だったのを、堤を作り、水を溜めるようにしたためこの名になった。神田上水、玉川上水が整備されるまではこの溜池の水を上水として利用しつつ、江戸城外濠の一部としても利用していたようです。「山王」は、そばにある山王日枝神社に由来。交差点も山王下交差点でした。ということで溜池山王駅は1997年(平成9年)に開業したとのことでした。

駅のそばに「溜池発祥の碑」がありました。
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虎ノ門駅そばに江戸城外堀遺跡がありました。
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江戸城外堀跡・溜池櫓台も見られました。
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「工部大学校阯碑」が霞が関3丁目の霞が関コモンゲートにありました。ここは江戸時代虎門内延岡藩邸を中心とした場所で、東京大学工学部の発祥の地で日本の工学発祥の地ということのようです。1873年(明治6年)、 工業分野における日本人の人材育成のために工学校(工学寮内に設置)が開校、1788年(明治10年)には工学寮が工部大学校と改称。 工部大学校では, 土木・機械・造家などの学科が, イギリスから招聘された外国人教師によって教授されたのです。 この学校は1886年(明治19年)に帝国大学と合併して現在の東京大学工学部の前身、工科大学となったようです。
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虎ノ門金刀比羅宮は万治三年(1660年)に讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、その藩領内の象頭山に鎮座する、金刀比羅宮(本宮)の分霊を当時藩邸があったこの芝・三田の地に勧請し、延宝七年(1679年)、京極高豊の代に現在の虎ノ門(江戸城の裏鬼門にあたる)に遷座したのがはじまりとのこと。その後、江戸市民の要請で、毎月十日に限り邸内を開き、参拝を許可したのがはじまり。その頃は“金毘羅大権現”と称されたようです。金刀比羅宮の社号になったのは1889年(明治22年)とのことです。ご神徳は海上守護、大漁満足は勿論のこと、五穀豊穣・殖産興業・招福除災の神として広く庶民に尊信され、東国名社の一つとして知られています。社殿正面の銅鳥居は四神(天の四方の方角を司る霊獣)の霊獣が飾られた珍しいものです。
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「虎ノ門」は江戸城の南端(現在の虎ノ門交差点あたり)にあった門の名前。1874年(明治6年)に門が撤去されたようです。1938年(昭和13年)に地下鉄虎ノ門駅が開業したこともあるようですが虎ノ門の碑が2010年に門のあった場所に設置されたようです。
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この辺りは有名なお店が多いようです。
美々卯
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烏森神社のある辺りは昔、武蔵の国桜田村といい、江戸湾の砂浜と松林があったようです。その為、当時この地帯は「枯州の森」とか「空州の森」と言われていたとのこと。そしてこの松林に烏が多く集まって巣をかけていた為、「烏の森」とも呼ばれたのです。平安時代の940年(天慶3年)に、東国で平将門が乱を起こした時、むかで退治で有名な鎮守将軍藤原秀郷(俵藤太)が、武州のある稲荷に戦勝を祈願したところ、白狐がやってきて白羽の矢を与え、その矢を持ってすみやかに東夷を鎮めることができたので、秀郷はお礼に一社を勧請しようとしたところ、夢に白狐が現れて、神鳥の群がる所が霊地だと告げたのです。そこで桜田村の森まできたところ、夢想のごとく烏が群がっていたので、そこに社頭を造営し、それが、烏森稲荷の起こりとのことでした。
今、新橋駅にはなごりで烏森口があります。
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カレッタ汐留は、約60の飲食店、ショップ、「アド・ミュージアム東京」、「大同生命ミュージカルシアター 電通四季劇場[海]」といった文化施設を併設した複合商業施設。
46階スカイレストランsorasioは眼下に浜離宮をはじめ眺望がすばらしかったです。
もちろんちょっと贅沢なフレンチ、最後のデザート・珈琲にも大満足でした。
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今朝は10:00スタートより午前は1時間30分の歩程でした。
1日中ほぼ晴天に近い薄曇りで気温21℃はベストコンデイション。
昼食を大満足でいただき、午後の部は13:00スターとしました。
posted by yunofumi at 22:21| あちこちウォーク

2017年05月07日

2017.5.7 MBTノルディックウォーキングin代々木公園

ここの所、月1〜2回、代々木公園でノルディックウォーキングを一緒に楽しんでいるMBT仲間がいます。夫々が各自の都合に合わせて、自由に参加ですから誠に気楽なのです。インストラクターのMさんはいつもボランティア状態ですが気持ちよく指導いただき、感謝、感謝!!そして本日は6名の参加者。
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代々木公園は日を重ねるごとに緑が濃くなり、花々も咲き誇っていました。
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とても珍しかったのは桐の大木に咲いた花。初めてみました。幹はあの桐箪笥の材料ですから、、、。
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代々木公園は東京都立の公園。ここは東京都内23区内の都立公園のうちでは五番目の広さ。道路を挟んで森林公園としてのA地区と、それとは対象的な陸上競技場、野外ステージなどを備えたB地区に分かれています。私たちは毎回このA地区でのウォーキングです。
かつて陸軍代々木練兵場だったこの公園は、戦後には米軍の宿舎敷地・ワシントンハイツ、その後東京オリンピックの選手村を経て現在の公園となったようです。
またこの公園はJR山手線の原宿駅傍、すぐ隣は明治神宮です。本日は大型連休最終日ですからいつもより更に混雑していました。
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今朝は9:00〜ノルディックウォーキング、その後ベルトを使った筋トレを11:00まで行いました。いつも思うのですが、ウォーキングだけでは筋トレとは言い難い。その点、ノルディックウォーキングは体幹が、ベルトを使うと足の筋肉が鍛えられると思っている私なのです。
ということで晴天、気温31℃の中でも皆さんとても元気!!
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また2週間後、お会いしましょう。
posted by yunofumi at 21:21| あちこちウォーク

2017.5.5  OUT DOOR FITNESSノルディックハイキング

大島小松川公園⇒坂井の渡し跡⇒元佐倉道跡⇒六つ目地蔵尊⇒亀戸浅間神社⇒亀戸梅屋敷⇒亀戸香取神社⇒普門院⇒亀戸天神社⇒JR亀戸駅

朝からからりとした晴天。今日はいつもより距離が長くなりますが、と参加者9名、インストラクター2人で亀戸天神社までのハイキング。
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大島小松川公園の外れ、坂井橋傍の坂井の渡し跡では昔の江戸で渡し船のあった時代を偲ぶ話も出ました
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亀戸浅間神社の創建は1527年(大永7年)とのこと。
富士信仰が盛んだったこの頃、里人たちにより木花咲耶比売(コノハナサクヤヒメ)を勧請、笄塚の上に浅間社を創建したとのことです。今、社殿傍に平成になって作り直された富士塚がありました。
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江戸時代、呉服商・伊勢屋彦右衛門の別荘「清香庵(せいきょうあん)」があり、 その庭には見事な梅の木々が生えていたことがはじまり。 立春の頃、梅の花を見に水戸光圀や八代将軍・徳川吉宗も訪れたようです。浮世絵師・歌川広重が安政三年(1857年)に描いた『名所江戸百景(めいしょえどひゃっけい)』の「亀戸梅屋敷」は、江戸の時代に海を越え、かのフィンセント・ファン・ゴッホが模写(作品名「日本趣味 : 梅の花」/1887年)となっておるとのこと。このようなことからこの施設を亀戸梅屋敷としたようです。
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亀戸香取神社
亀戸は元々亀の形に似た島で亀島あるいは亀津島と称されていたとのこと。665(天智天皇4)年、藤原鎌足が東国下向の際、この亀島に船を寄せ、旅の安全を祈願し香取大神を勧請、太刀一振を奉納したのがはじまりのようです。その後、平将門の乱の時、俵藤太秀郷がここに参籠し戦勝祈願し、平定後弓矢を奉納、勝矢と命名したことから今では毎年5月5日に勝矢祭が行われるということで今日がその日で皆様、お祭りの準備で大忙しの様子でした。
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またスポーツ振興の神とされており、アスリートの参拝者も多いようです。ケンブリッジ飛鳥さんや内村航平さんなど多くの有名選手のお名前を見かけました。

普門院。
緑が深い普門院は、1552年に橋場に創建、1616年(元和2年)にこの地へ移転してきたようです。亀戸七福神のひとつ毘沙門天のお堂がありました。
また正岡子規の弟子の歌人伊藤左千夫の墓や講釈師の大島伯鶴の歌碑などの多くの文化財もあるようです。
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学問の神様である菅原道真公をお祀りしているのが亀戸天神社。下町の天神さまとして広く親しまれております。由緒としては1646年(正保3年)九州太宰府天満宮の神官だった菅原大鳥居信祐公(道真公の末裔・亀戸天神社初代別当)が神のお告げにより、公ゆかりの飛び梅の枝で天神像を刻み、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもって、遠くは日光または盛岡などの諸国を巡り歩かれ 、そして江戸の本所亀戸村にたどり着き、村に元々あった天神の小さなほこらにご神像をお祀りしたのがはじまりとのこと。
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今日は藤の花も今年最後の見ごろということでしょうか。すごい混雑ぶりでした。
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またこの天神社は若福の卵焼きと船橋屋のくずもちが有名らしく、どちらにも行列ができていました。

本日は陽ざしが強く、気温26℃もあった感じ。まだ5月に入ったばかりなのに!!9:00〜11:40頃までに水500mlを飲み干しました。ということで今日も快適なウォーキングでした。
posted by yunofumi at 04:53| あちこちウォーク

2017年05月05日

2017.5.3. 上高地・志賀高原・黒部ダムへ 2日目

志賀高原・志賀グランドホテル〜志賀中部有料道路・国道403号〜信州中野IC〜上越自動車道〜北陸自動車道〜蓮台PA〜入善PA〜親不知トンネル〜立山IC〜立山駅〜立山ケーブルカー〜美女平〜立山高原バス〜室堂〜立山トロリーバス〜大観峰〜立山ロープウェイ〜黒部平〜黒部ケーブルカー〜黒部湖・黒部ダム〜トロリーバス〜扇沢〜安曇野アートヒルズミュージアム〜松本IC〜長野自動車道〜上信越自動車道〜関越自動車道〜川越

志賀高原・志賀グランドホテルを5:30出発。志賀高原がこのような感じ、ということだけ把握。朝食はバス車中で冷たいお弁当でお粗末!ほとんど残してしまいました。
これよりひたすら3時間バスで移動。車窓からは満開の桜が見え、とても嬉しい。
立山駅到着は9:00、これよりアルペンルートの大移動開始。そういえば昨年、雪のないルートを体験していますのでなるようになると鷹揚に構えながら出発進行!
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以前は富山駅より電車で出発でしたがこの分を今回は省略。
立山駅を立山ケーブルカーで9:40出発、約7分で美女平到着。雪は一段と多かったです。
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美女平を立山高原バスで出発、約50分の乗車。称名滝をはるか遠くに見て、弥陀ヶ原、天狗平、を経て室堂到着。一面の雪景色、記念撮影をして周囲の山の様子を堪能。
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ここで19mの雪の大谷や見て回りました。雪壁は今年19m、歩道はすっかり雪が解けておりラクチン。
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立山3015mを仰ぎ見ながら絶景を楽しみました。
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室堂から12:00過ぎには立山トンネルトロリーバス10分で大観峰へ移動。
このトロリーバスは自然に優しい。
大観峰2316mから立山ロープウェイ7分で黒部平1820mへ。
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黒部平から黒部ケーブルカー5分で黒部湖1455mへ。
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黒部湖からは黒部ダムの上を歩き、約15分で黒部ダム駅へ。観光放水は6/26より10月中までなので本日は見られませんでした。
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黒部ダムは1956年(昭和31年)より7年かけて完成。その間、のべ1000万人がかかわり犠牲者は171名も出たそうです。楮途中には長さ80mの破砕帯があり、大変な難工事となっていたとのこと、この間7か月は昼夜もなく工事は続いたようです。
この様子は1968年の映画「黒部の太陽」に描かれ、私はたまたまこの旅行翌日にTVで鑑賞いたしました。
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黒部ダム駅1470mからトロリーバス10分乗車で扇沢1433mへ。
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扇沢を昨日乗って来た観光バスに乗車は15:30。
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帰り途中は安曇野アートヒルズミュージアムに立ち寄りお土産などのお買い物。
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ここまで立山駅スタート9:40〜扇沢ゴール15:30、実におおむね6時間、実質乗車時間は104分ながら徒歩を入れ7行程ですから順調といわねばなりません。これも団体扱の恩恵、それにツアーCD、今回は田中さんでしたがこの方の43名を束ねる采配ぶりが物を言ったわけです。それにしてもツーリズムの団体が3グループ見えましたし、中国系も多かったですし、GWの前半とはいえ、大変な混雑ぶりでした。
そしてその後、約5時間のバス乗車、途中高速道路の事故渋滞などありましたが、まずまずの行程で無事終了。振り返りますと、万歩計は1万歩弱でしたが、本日もまた晴天に恵まれ、絶好の観光日和!
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立山駅で16℃、弥陀ヶ原11.9℃、室堂10.1℃、大観峰10.8℃、黒部ダム16.1℃と温かく快適に過ごせ、大満足の1日でした。このルートの旅は2回目でしたが、また季節違いの時に再訪したいと思いました。
posted by yunofumi at 17:16| ドタバタ日記

2017年05月04日

2017.5.2 上高地・志賀高原・黒部ダムへ 1日目

JR川越駅西口〜圏央道・中央自動車道〜談合坂PA〜中部横断自動車道〜岡安JCT〜長野自動車道〜松本IC〜国道158号・野麦街道・稲核ダム・水殿ダム・奈川渡ダム(梓湖)〜中ノ湯IC〜白骨温泉〜大正池〜上高地〜中部縦貫自動車道・安房峠道路〜平湯IC〜平湯温泉〜上信越自動車道〜姥捨SA〜小布施SA〜信州中野IC〜志賀中部有料道路・国道403号〜志賀高原・志賀グランドホテル

朝は晴天、気温10℃、気持ちよく温かめで出発。途中渋滞もなく9:00には談合坂PA到着。10:00過ぎには遠くに雪を頂いている南アルプスが見え始めました。
国道158号・野麦街道には稲核ダム・水殿ダム・奈川渡ダム(梓湖)が見え、かなり奥に入ってきたことを実感。
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そして上高地手前の釜トンネルでは気温11℃の表示がありました。
大正池通過は12:20過ぎ、こちらは木道を歩きたかったですが今朝まで雪があったとのことで脇をバスで通過はちょっと残念。
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上高地に入り帝国ホテル前で下車し、田代橋から河童橋まで散策。すごい混雑ぶりでした。
上高地帝国ホテル
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梓川の向こうに見える穂高の山々は雪を頂き、威厳のある風情でした。
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明治の頃、日本アルプスや上高地がとても気に入り、世界に広めた功労者のウオルターウエストンの記念碑です。この方は元々イギリスの宣教師でしたが登山家でもありました。「日本アルプスの登山と探検」が良く知られているようです。
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河童橋は多くの人で大混雑!ソフトクリームが飛ぶように売れていました。
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13:50到着の平湯ではなんと気温24.5℃にはびっくり。
夕方明るいうちに志賀グランドホテルに到着。ホテル周辺の道路以外はまだ雪が多く残っていました。
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夕方近くのホテル周辺の景色です。
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本日のようにバス移動が主のツアーは結局1日で約500kmはあったような感じでした。訪れる場所が離れているので、それぞれの地点で30分〜1時間の時間指定で、少し慌ただしい感じでした。歩程はそれでも約1万歩は良しとしなくては!!また寒さ対策をしっかりしてきましたがとても温かく、それでいて長野県に入ると雪がまだ残っており、これから春がはじまるということで山々に桜は咲いていましたが、木々や山菜の芽吹きはまだのようでした。
そして、明日は5:30集合ですので素直に早寝をしました。
posted by yunofumi at 22:42| ドタバタ日記