2017年02月12日

2017.2.14 近況です!!

年が明けてから早や2か月。月日はあっという間に過ぎていきます。
今日は冬のこの時期、お陰様で元気に過ごしていますので近況報告です。

まず巷に蔓延中のインフルエンザは我が家にはまだ到達しておりません。私は大事を取ってワクチンを昨年に済ませています。
お遊びについて語りますと
@ウォーキングは、東京新発見ツアーは23区中13区終了、あとは年内に終了見込みです。MBTポールウォーキングは近頃代々木公園で行っており、本日も楽しんできました。
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本日はポカポカの日差しの中、桜や梅の開花も見られました。
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そうそう、公園内の小高い山の上で精いっぱい“ウーン”と背伸びをしたら思いっきり体がいうことを聞いてくれてピーン!近頃の筋トレ効果が出始めたみたいです。
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A映画鑑賞は“ブルゴーニュで会いましょう”、“聖の青春”、“沈黙”、“天使にショパンの歌声を”など立て続けで鑑賞。
“沈黙”については内容を色々語りたいところですがそれより英語がわかりやすくてちょっぴり嬉しかった。“天使にショパンの歌声を”は近頃コンサートに行けてないので耳の保養になりました。

B高尾山の登山は1/3に行った後、雪などを敬遠してその後は行けてませんがそのうちにまた頑張りたいです。この季節は朝晩の通勤時にくっきり富士山が見えることが多いですが高尾山の山頂から見るのはまた格別ですから、、。
そんなこんなですが大寒、節分、立春と暦が変わっていますから寒さに負けずに、今後も仕事に遊びに邁進します。
posted by yunofumi at 18:08| ドタバタ日記

2017年02月08日

2017.2.4 第13回東京の新発見旅 「荒川区」後半

前半の記録に続き、後半の記録です。

漢江(ハンガン)(昼食)⇒日暮里中央通り交差点⇒日暮里中央通り⇒ホテルラングウッド⇒善性寺⇒隼人稲荷神社⇒羽二重団子⇒いも坂⇒谷中霊園⇒安立寺⇒天王寺⇒御殿坂⇒本行寺⇒経王寺⇒諏訪台通り⇒啓運寺⇒諏訪台ひろば館⇒富士見坂⇒浄光寺⇒諏方神社⇒太平洋美術会⇒荒川区立第一日暮里小学校さくら門・高村光太郎正直親切の碑⇒西日暮里公園・道灌山⇒西日暮里駅

東京荒川区の日暮里駅から延びる日暮里中央通り(バス通り)は80店以上の生地や皮、ドレス、洋裁関係など色々な店が集まっているという全国でも珍しい繊維街エリアです。
秋葉原といえば電気街、繊維といえば、ここ日暮里中央通り、通称バス通りというそうです。
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善性寺は、1487年(長亨元年)尊重院日嘉を開山として創建したとのこと。1664年(寛文4年)六代将軍徳川家宣の生母長昌院が葬られて以来、徳川将軍家ゆかりのお寺となっています。また境内には安土桃山時代の作と言われる不二大黒天像、相撲の双葉山や政治家・石橋湛山のお墓もありました。
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羽二重団子は文政2年、初代庄五郎が、音無川のほとり芋坂のこの場所に「藤の木茶屋」を開業し、街道往来の人々に団子を出したのが始まりとのこと。このお団子が、きめ細かく羽二重のようだといわれたことで菓名ともども商号も「羽二重団子」としたようです。現在創業以来六代目、180年の歴史を刻んでいるとのことでした。
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羽二重団子は、その光沢と粘りとシコシコした歯ざわりが身上とのことで形は丸めて扁たく串にさし、昔ながらの生醤油の焼き団子と、渋抜き漉し餡団子の二種類を求め帰宅後いただきましたがお茶によく合いました。
また夏目漱石や正岡子規、司馬遼太郎といった文豪たちの作品の中にたびたび登場していると伺いました。店内にも古い資料が置いてありました。
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夏目漱石の「我が輩は猫である」に登場するのがいも坂と羽二重団子。
緩やかな長い坂でした。
私たちは羽二重団子からいも坂を経て日暮里駅に向かいました。日暮里駅そばは東京スカイツリーのビューポイントでした。
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啓運寺は、円住院日立聖人が開山で1644年(元和元年)下谷1丁目に創建。その後下谷2丁目、そして現在地に明治18年に移転したとのことです。木造毘沙門天像がお堂の中にかすかに見受けられました。
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坂の下の北側にその昔、花見寺といわれた妙隆寺(みょうりゅうじ)があったことからこの坂も花見坂(富士見坂)とよばれたとのこと。ほんの少し前まで見事な富士山が見えたそうです。
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浄光寺境内からの雪見が有名で雪見寺と呼ばれていたようです。境内左手には1691年(元禄4年)に空無上人が勧請した地蔵菩薩像、1809年(文化6年)に再建した地蔵菩薩立像、江戸六地蔵、そして福神漬け発明者野田清右衛門の碑がありました。
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福神漬けの起こりは、1885年(明治18年)、東京上野の漬物屋「山田屋」(現在の酒悦)が、福神漬け始まりの地で当時の店主・野田清右衛門が10年の歳月をかけ、福神漬けを開発したとのことです。
当時の食品業界を「アッ!」と言わせた野田清右衛門は表彰され、その記念でこの碑が建立されたとのことでした。

諏方神社、1202年(元久2年)豊島左衛門尉経泰が信州諏訪神社より勧請して創建したことがはじまり。江戸期には1649年(慶安2年)には日暮里(新堀)村・谷中町の総鎮守となったのです。日暮の里<ひぐらしの里>として江戸有数の景勝地として有名だったようです。神社のある諏訪台は、筑波山や日光の山々が見晴らせる眺めの良い景勝地で文人墨客や風流人がよく集った所とのこと。境内社としては末廣稲荷神社、銭降稲荷神社、三宝荒神社、三峰神社がみられました。
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荒川区立第一日暮里小学校校門前のフクロウの像と石碑。
創立百周年の際に造られたもので、石碑『正直親切』は卒業生の高村光太郎直筆。
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西日暮里公園・道灌山。
ここはかって太田道灌の砦に荷を運んでいた舟人が目印にした舟繁松があり荒川(隅田川)の雄大な流れ、筑波・日光山の山影を望むことができる景勝地で道灌山として多くの人が訪れたとのことです。花見寺のひとつ青雲寺の境内の一部で金毘羅社もあった様子。明治7年に加賀前田家の墓所となったようですがその後、昭和47年に墓所は加賀に移り、現在の公園となったそうです。園内には高台からの見晴らしや寺社巡り、虫の鳴き声を楽しむ虫聴きなどが行われたことを示す案内がありました。
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冬真っ最中の気温11℃、でも陽ざしは温かく、ウォーキングに最適でした。おかげで17名が信野先生の講釈を楽しく伺い、16000歩を闊歩。またこのシリーズでは珍しく都電に乗り、とても愉快でした。そうそう、昼食の韓国料理はおいしくいただきました。
今後も何が体験できるかと楽しみです。
posted by yunofumi at 23:09| あちこちウォーク

2017年02月05日

2017.2.4 第13回東京の新発見旅 「荒川区」前半

今日も盛り沢山の内容!!
ということでまずは午前の部の記録です。

JR南千住駅⇒松尾芭蕉像⇒常磐線南千住通り架道橋⇒延命寺⇒小塚原回向院⇒栗本商店・コツ通り⇒日光街道⇒素盞雄神社(すさのうじんじゃ)⇒誓願寺⇒千住大橋⇒熊野神社⇒天王公園⇒荒川ふるさと文化館・瑞光小学校跡⇒円通寺⇒浄閑寺⇒三ノ輪橋⇒常磐線通り新町ガード⇒南千住商友会⇒三ノ輪橋商店街・都電荒川線入口⇒三ノ輪駅停留場→荒川2丁目停留場⇒三河島水再生センター⇒荒川自然公園⇒荒川区がん予防・健康づくりセンター⇒荒川区役所⇒荒川公園⇒荒川郵便局⇒荒川警察署⇒中野酸工梶ヒ荒川仲町通り商店街⇒荒川区立生涯学習センター⇒尾竹橋通り⇒三河島駅前交差点⇒JR三河島駅⇒常磐線第一三河島ガード⇒親交睦商店街⇒漢江(ハンガン)(昼食)

松尾芭蕉像。
奥の細道矢立初めの地である荒川区では、平成27年に、松尾芭蕉の業績顕彰を図り「奥の細道サミット」を開催しました。そしてこれを記念して南千住駅西口ロータリーに松尾芭蕉像を建立したのです。
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延命寺は昭和57年に小塚原回向院から分院独立して開山。首切り地蔵(延命地蔵尊)が祀られています。首切り地蔵は、小塚原刑場の刑死者の菩提をとむらうために寛保元年(1741)に造立されたとのことです。
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小塚原回向院。
小塚原刑場は、江戸時代に大和田刑場、鈴ヶ森刑場とともに三大刑場と言われた所。明治初年に廃止されるまで、ここで処刑された人は約20万人と伺いました。
小塚原刑場での死体はぞんざいに扱われていたため回向院の住職が、刑死者を供養するため創建したのが現在の小塚原回向院なのです。
裏手には井伊直弼の“安政の大獄”で処刑された人たち、「吉田松陰」、開国派だった「橋本左内」、幕末期の儒学者「頼三樹三郎」などの墓所がありました。また“悪役4人組”といわれる『鼠小僧次郎吉』、『片岡直次郎』、『高橋お伝』、『腕の喜三郎』のお墓も。
回向院の壁には、前野良沢、杉田玄白の『解体新書』の扉絵がついた記念碑がありました。“ターヘル・アナトミア”の人体解剖図を検証するため、腑分けをしたことで人体の中を実際に見られたのです。
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南千住駅から千住大橋に向かう商店街は「コツ通り」と呼ばれているとのこと。由来は中世以来の地名「小塚原(こつかっぱら)」の略。途中に栗本商店と書かれた建物がありました。これは東京漫才発祥の地・演芸場栗友亭跡だそうです。すぐそばを日光街道が通っていました。

素盞雄神社(すさのうじんじゃ)は地元では天王様と呼ばれているとのことです。
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南千住、三ノ輪、三河島、町屋などの区域の総鎮守で、旧郷社。例祭「天王祭」は、都内でも珍しい二天棒の神輿で神輿振りをする事で知られているようです。境内にはその様子を示す沢山の写真が飾られていました。
素盞雄大神(すさのおおおかみ)と飛鳥大神(あすかおおかみ)がご祭神。社殿は合体してできていました。

熊野神社は、源義家が永承5年(1050)勧請したと伝えられているようです。北千住と南千住を結ぶ大橋を架けた1594年(文禄3年)伊奈備前守がこの神社に成就祈願したことから橋の架け替えは祈願と社殿修理をすることが慣例のようです。
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天王公園
千住大橋のほど近く、江戸時代に下野国(栃木県)皆川藩主であった米倉主計昌照の屋敷、「米倉屋敷」とも呼ばれた跡地の公園。桜やけやきなどの樹木、中央あたりにどっしりとした大きな岩から水が流れ落ちる大滝、アスレチック遊具などそろっている大きな公園でした。

荒川ふるさと文化館は平成10年に開館の荒川に関する考古・歴史・民俗資料を展示公開していました。
荒川ふるさと文化館の前に瑞光小学校跡の案内板を見つけました。
「瑞光小」の名前の由来は、明治20年の創立当時学校敷地があった素盞雄神社にある「瑞光石」からとられたとのこと。瑞光石のようにかがやく人「人瑞」になれという願いがこめられているようでした。

円通寺。
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ご本尊は聖観音菩薩で791年(延暦10年)坂上田村麻呂によって開かれたと伝わっているようです。明治維新の折、1868年(慶応4年)に行われた上野戦争で亡くなった彰義隊の隊員を現在上野公園の西郷隆盛像があるあたりでこの寺の住職が火葬を行ったことから、火葬を行った場所近くの上野寛永寺の総門(黒門)がここに移築され、亡くなった彰義隊の隊員の墓が傍にずらりとありました。

浄閑寺は吉原遊廓の近くにあったことから、遊女の投げ込み寺といわれたとのこと。これは安政の大地震(1855年)で大量の遊女が死亡したのでこの寺に投げ込んで葬ったことによるのでした。山門前には小夜衣供養地蔵尊がありました。「悪い部分を撫でると良くなる」と言い伝えがあるとのことで私も頭などを撫でました。
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三ノ輪橋商店街・都電荒川線入口と表示があり、そこから商店街を抜けると都電が止まっていました。
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今日はウォーキングツアーですが特別に三ノ輪駅から荒川2丁目まで乗車。停留所間が短いことや一番前での景色を楽しみました。それにしても乗客が多いことに驚きました。

荒川自然公園は三河島水再生センターの施設の上に新たに人工地盤を造ってそのスペースに造られた公園。1974年開園で、面積は約6万m2で荒川区立公園の中ではもっとも面積が広いとのこと。公園には3ブロックあり、人工的な池と樹木などが多い南側地区、野球場やテニスコートなどがある中央地区、子供が交通ルールを学ぶ交通園などがある北側地区となっています。また三河島水再生センターは日本で最初の本格的な下水処理場だそうです。
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荒川区役所の正面玄関の東南に荒川公園がありました。春は人気のお花見スポットとのことです。本日はもう桜の開花が見られました。
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荒川仲町通り商店街はかつて「小さなアメ横」と言われた所。全長500mほどの細い路地に、精肉店や鮮魚店、洋品店など、昔ながらの個人商店が並び、平日でも買い物客が多く訪れるようで、街並みの散策をしました。
そして腹ペコとなった私たちは漢江(ハンガン)に行き着き、ようやく昼食となりました。
ではこの続きはまた後日!!お楽しみに!!
posted by yunofumi at 23:21| あちこちウォーク