2017年01月31日

2017.1.25 第12回東京の新発見旅 「中央区」後半

草庵(昼食)⇒地下鉄月島駅⇒佃公園⇒佃小橋⇒つり船折本⇒住吉神社⇒佃島渡船場跡⇒つくだに天安・佃源田中屋・丸久⇒石川島公園・灯台・住吉小橋⇒中央大橋⇒一等水準点交無号⇒越前堀の間知石⇒南高橋⇒築地警察署湊交番⇒鉄砲洲稲荷神社⇒中央小学校北交差点⇒新富1丁目⇒新金橋⇒首都高速京橋入口⇒京橋ウラザ⇒新京橋交差点⇒京橋親柱⇒築地警察署銀座1丁目交番⇒警察博物館⇒京橋大根河岸青物市場蹟⇒常盤橋⇒江戸歌舞伎禄之地⇒京橋3丁目⇒銀座線京橋駅⇒東京国立近代美術館⇒地下鉄室町駅⇒ニコスコーヒーショップ⇒西日本シティ銀行⇒歌川広重住居跡・京橋1丁目9⇒吉野鮨本店⇒日本橋高島屋⇒MARUZEN⇒日本橋2丁目交差点⇒地下鉄日本橋駅⇒東京日本橋タワー⇒COREDO日本橋⇒日本橋交差点⇒日本橋長崎館⇒八重洲1丁目交差点⇒交通銀行⇒呉服橋交差点⇒一石橋・一石橋迷子しらせ石標⇒地下鉄三越前駅⇒日本銀行本店⇒貨幣博物館⇒地下鉄

佃公園は隅田川沿いの佃大橋と中央大橋の間にある公園で地下鉄有楽町線月島駅の北、旧石川島播磨重工業跡地に開発された「リバーシティ21」の北側、隅田川に面して細長く広がる区立公園で約2万uの広さ。

1590年(天正18年)、徳川家康が関東下降の際、関西の佃村および大和田村の漁夫33人と神主・平岡権大夫好次が江戸に移り、正保2年(1645年)には江戸鉄砲洲向かいにある百間(約180m)四方の干潟を幕府から下賜された漁夫らがこれを埋め立てて築島し、永住することになったこの島を故郷の摂津国佃村にちなんで「佃」と命名し、正保3年6月29日(1646年8月10日)には、息長足姫命(神功皇后)と東照御親命(徳川家康の霊)の分霊を奉遷し、摂津国佃の住吉社(現・田蓑神社)の分霊(住吉三神)とともに祀るべく、住吉神社が創建されたのです。
境内の鳥居には有栖川宮幟仁親王の筆による珍しい陶製の扁額が見えました。
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住吉神社の神輿は関東では珍しい八角形で、「八角神輿」と呼ばれています。しまわれている神輿を見ることができました。
佃島渡船場跡そばには佃煮御三家といわれる「天安」「佃源田中屋」「丸久」がありました。
お味はそれぞれとのことで店先をのぞき見しました。

石川島公園は晴海運河、隅田川沿いの区立公園で1990年(平成2年)4月に開設したとのことです。
中央大橋から相生橋の先までの細長い公園で大川端リバーシティ21の一部。“石川島”は佃二丁目の江戸時代からの旧名で、この地を領した石川家の名に由来し、この地に設立された造船所を起源とするIHIの旧社名「石川島播磨重工業」と同様の命名とのことです。
復元された灯台も素敵でした。
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中央大橋から見るスカイツリーはなかなかきれいでした。
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一等水準点交無号
中央大橋北詰(中央区新川側)の西側で道路から階段を降りて川の方に行くとこの水準点と説明板がありました。平成18年からここにあり、日本の高さの基準(標高0m)になっているそうです。
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鉄砲洲稲荷神社(てっぽうずいなりじんじゃ)は平安時代の承和8年4月15日(ユリウス暦841年5月9日)、凶作に悩む荏原郡桜田郷の住民が産土神を生成太神(いなりのおおかみ)として祀ったことが始まりとのこと。江戸の水路網の入り口に位置することから、全国からの船乗りの崇敬を集めた。1790年(寛政2年)には富士塚が築造され、人気を博したようです。
安政期に歌川広重が描いた『名所江戸百景』「鉄炮洲稲荷橋湊神社」には朱塗りの壁と社殿が見えます。
1923年(大正12年)の関東大震災では大きな被害を蒙ったが、1935年(昭和10年)以降本殿や神楽殿が再興され、現在の形が整いました。1945年(昭和20年)の東京大空襲では被害を免れ、昭和初期の神社の形式を今に伝えています。
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京橋は、江戸時代から日本橋とともに有名な橋でした。橋は、1959年(昭和34年)、京橋川の埋め立てによって撤去され、現在では見られませんが、その名残をとどめるものとして、三本の親柱が残っています。橋北詰東側と南詰西側に残る2本の親柱は、1875年(明治8年)当時の石造の橋のものです。江戸時代の橋の伝統を引き継ぐ擬宝珠(ぎばし)の形で、詩人佐々木支陰の筆によって、「京橋」「きやうはし」とそれぞれ橋の名が彫られています。
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築地警察署銀座1丁目交番
交番の屋根は、京橋のたもとにあった「ガス灯」の頭部を生かして大正11年に竣工され、昔の面影を残しています。
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警察博物館
警察博物館は、警視庁の歴史と活動に関する資料を展示している博物館で築地警察署銀座1丁目交番の真向かいにありました。本日はリニューアルで休館中でした。

銀座と京橋の間の首都高速の下に、京橋大根河岸青物市場跡の石碑がありました。
1664年(寛文4年)に水運のよい京橋川に野菜の売り場が設けられ、昭和10年(1935年)に築地に市場が移されるまで、庶民の台所を支える青物市場として栄えたのです。 冬になると10本まとめにした沢山の大根が舟から下ろされ、まるで大根の花が咲いたようだったため、大根河岸といわれたとのことです。
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江戸歌舞伎禄之地の碑
江戸歌舞伎は、寛永元年(1624)、京都から下ってきた猿若勘三郎が中橋南地に、猿若座の櫓をあげたのが始まりとのことです。猿若勘三郎は後に名前を変えて中村勘三郎となり、座の名前も中村座としたのです。
これが江戸歌舞伎の始まりです。
この碑は、猿若座が興業を開始したのを記念して1957年(昭和32年)に建立されたのです。
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東京国立近代美術館フィルムセンターは、1952年(昭和27年)に設置された国立近代美術館の映画部門として開設、1970年(昭和45年)には機能を拡充する形でフィルムセンターとして開館されたのです。1995年(平成7年)には建物をリニューアルされ、まだまだとても綺麗でした。
年間スケジュールがあり過去の名画がみられるそうです。
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ニコスコーヒーショップ
京橋にある昭和12年(1937年)創業の老舗コーヒー店。外観は昭和の雰囲気ただよう普通の喫茶店でした。昭和27年には「宮内庁ご用達」に指定された由緒あるお店だそうです。
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「歌川広重住居跡」は、ブリヂストン美術館の南側にありました。
「歌川広重」は「安藤広重」の名前で知られていますが浮世絵師としての正式な名前は「歌川広重」とのことです。
ここは、浮世絵師歌川広重が、1849年(嘉永2年)から 1858年(安政5年)に 61歳で亡くなるまでの約十年間を過ごした住居跡だそうです。今は案内板のみでした。

一石橋・一石橋迷子しらせ石標
 江戸時代の日本橋〜一石橋界隈は盛り場で、迷子や尋ね人が多かったようです。当時迷子は町内が責任を持つことになっており、1857年(安政4 年)近隣の町名主等が世話人となり、一石橋に迷子探しの告知石碑が建立されました。
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正面に「満(ま)よひ子の志(し)るべ」、左側に「たづぬる方」、右側に「志(し)らす類(る)方」と刻まれています。両側の上部に方形の窪みがあり、左側の窪みに迷子や尋ね人の特徴を書いた紙を貼り、心当たりがある人はその旨を書いて右側の窪みに貼りました。いわば江戸庶民の告知板でした。湯島天神(現存) や浅草寺(復元)、両国橋等、往来の多い場所に同様のものがあったとのことです。
一石橋の北に金座支配・後藤庄三郎、南に呉服町頭取・後藤縫殿助の屋敷があり、後藤(五斗)を二つ足して一石橋の名が付いたといわれています。

日本銀行本店
本店の建物は、旧館(本館、2号館、3号館)、新館、分館と3つの部分で構成されています
ちなみに本館は石積みレンガ造で花崗岩貼り。設計は辰野金吾で、ベルギー国立銀行を参考に1896年(明治29年)に竣工したとのこと。

貨幣博物館は、日本銀行金融研究所内の2階フロアにある博物館。1982年(昭和57年)に日本銀行創立100周年を記念して設置され、1985年(昭和60年)11月に開館したとのことです。館内には古代から現在に至るまでの「日本の貨幣史」、世界の貨幣・紙幣を紹介する「さまざまな貨幣」、および「テーマ展示コーナー」がありました。発掘された貨幣や、軍票、記念硬貨などが順路毎に約4000点展示、また、1億円分の紙幣の重さを体験出来るコーナーはオモシロイと思いました。
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今日は強風の中でしたが元気に21名が約20000歩のウォーキングを終了。気温11℃とのことでしたがもっと寒いと感じました。愛宕神社は3回目でしたが本日はお詣りの方が多く、社務所も開いており、華やかな印象でした。また青山墓地は色々話題を耳にしていましたがあまりに広大なこと、有名人の墓所も多いことを再認識しました。
またこの東京新発見の旅では東京は広く、戦争などを体験したのに随分古い建物などが大切に保存されていることに改めて感心しております。
また次回からも楽しみです。
posted by yunofumi at 21:43| あちこちウォーク

2017年01月27日

2017.1.25 第12回東京の新発見旅「中央区」前半

本日のウォーキングは盛り沢山の内容だったためまずは午前の部を記録いたします。
朝10:00歌舞伎座前に集合。建物が新しくなっているので最初は中の見物からはじまりました。

地下鉄東銀座駅⇒歌舞伎座⇒築地川銀座公園⇒東劇⇒万年橋東交差点⇒京橋郵便局⇒うりきり家⇒築地場外市場⇒波除稲荷神社⇒圓正寺⇒築地4丁目交差点⇒築地本願寺⇒築地川公園⇒築地居留地⇒聖路加国際大学・芥川龍之介生誕の地・旧浅野内匠頭邸跡・トイスラー記念館⇒カトリック築地教会・暁星学園発祥の地⇒クレストンホテル⇒アメリカ行使館跡⇒中央区立明石町区民館⇒明石町河岸公園⇒治作・運上所跡⇒明石町ポンプ所⇒電信創業之地⇒月島4の渡し跡⇒築地7丁目バス停⇒中央区立はとば公園⇒勝鬨の渡し跡⇒勝鬨橋⇒プラザ勝どき⇒都営勝どき1丁目アパート⇒西仲橋⇒西仲通り⇒月島西仲通り四番街⇒月島西仲通り三番街⇒月島開運観音堂⇒月島警察署⇒西仲通地域安全センター⇒月島西仲通り二番街⇒月島西仲通り一番街⇒草庵(昼食)

歌舞伎座の開場は明治22年(1889年)。その後4度の改築を経て現在のように出来上がったのは第5期。100年以上歌舞伎を上演し続けており、数々の名優が舞台に立った名実ともに代表的な歌舞伎の劇場です。座席数は約2000席弱、改築後、座席の幅が広くなり、バリアフリーも取り入れられたとのこと。
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「歌舞伎座タワー」が併設され、屋上には庭園がありました。
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また5階に「歌舞伎座ギャラリー」もありました。
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築地市場は、都内に11ある東京都中央卸売市場のうち最も古い歴史を持つ、水産物、青果物を取り扱う総合市場。特に、水産物は世界でも最大の取り扱い量だそうです。
場内では、主に競りや卸売り用の生鮮食品などの販売が行われ、競りでは、売り手(卸売業者)が買い手(仲卸業者など)に海で獲れた魚などを売買しているのです。
築地市場の場外は、一般の人が買い物や食事が楽しめるような場所です。場内と比べ、店舗数が多く、飲食店も広くスペースがある店舗が多く見られました。お客さんは外人さんも多いようでした。
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波除稲荷神社(なみよけいなりじんじゃ)の御祭神は倉稲魂命(うがのみたまのみこと)。明暦の大火後、築地の埋め立て工事が行われたが、荒波の影響で工事はとても難航したようです。しかしその頃、光を放ち漂う御神体が見つかり、1659年(万治2年)、現在地に社殿を建て祀った。その後、波が収まり工事が順調に進んだことから、以降厄除けの神様として信仰を集めることとなったとの話を伺いました。
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築地本願寺は、浄土真宗本願寺派の寺院で京都にある西本願寺の直轄寺院です。住職は門主の大谷光淳氏。本尊は聖徳太子手彫と伝承される阿弥陀如来立像。もともとは江戸時代(1617年)に、西本願寺の別院として横山町に建立され「江戸海岸御坊」などと呼ばれていたようです。その後明暦の大火で本堂を焼失。さらにその後、江戸幕府の区画整理で八丁堀沖の海上が割り当てられたため佃島の門徒が中心となり、本堂再建のために海を埋め立ててこの築地の土地を築き、1679年に本堂などを再建し「築地御坊」と呼ばれたのです。1923年9月の関東大震災では火災により再び伽藍を焼失したのでした。現在の本堂は1934年の竣工。古代インド様式をモチーフとした建物は、東京帝国大学伊東忠太教授の設計。当時は珍しい鉄筋コンクリート造で、大理石彫刻がふんだんに用いられています。浄土真宗本願寺派の新体制移行(2012年4月)に伴い、正式名が「築地本願寺」になり、今、この築地本願寺は全国唯一の直轄寺院なのです。
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築地居留地は1868年(明治元年)から1899年、外人の内地雑居許可までの期間,東京築地明石町にあった外国人居留地のこと。
居留地は,そこだけ外国人の居住・営業を許し,治外法権を認めた特別地域で東京の中の外国という扱い。この間に教会やミッション・スクール等が開設されたり、近くに外国人専用ホテルができるなど,居留地周辺は独特の開化風俗がただよい,錦絵の題材ともなったのです。今は案内板が設置されているだけでした。
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聖路加国際大学(英語: St. Luke's International University)は、1964年に設置された日本聖公会系のキリスト教主義ミッションスクール。大学名は「ルカ福音書」の聖ルカ(St. Lukes)に由来しているとのこと。私立大学として日本で初めて看護学部を設置、さらに日本で初めて看護の大学院博士後期課程を設置するなど、設立当初から日本の看護界のリーダーと指導的人材を多数育成してきた有名大学です。
聖路加国際大学の敷地にトイスラー記念館がありました。ここは1933年(昭和8年)に聖路加国際病院の宣教師館として建設されたとのことです。設計者は米国人建築家のJ・V・W・バーガミニィ。建物は、鉄筋コンクリート造一部木造の2階建てで、ヨーロッパの山荘のような重厚な風格がありました。
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聖路加看護大学の西側の道路脇には播州赤穂藩浅野家の上屋敷があったことを示す「都旧跡 浅野内匠頭神邸跡」と記された石柱がありました。
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松の廊下の刃傷事件の後、この屋敷は幕府に没収されたのです。四十七士が討ち入りをした後、泉岳寺へ引き上げる途中で、この上屋敷の近くを通ったことは有名な話です。  
中央区教育員会発行の「中央区沿革図集」に掲載されている延宝7年(1673)の「江戸方角安見図鑑」では、現在の聖路加看護大学と聖路加国際病院の敷地全体が、浅野又一と書かれているとのこと。浅野又一とは浅野内匠頭のことです。 

芥川龍之介生誕の地の案内板が聖路加国際大学の敷地脇(明石町10)にありました。
1883年(明治16年)頃、この付近には「耕牧舎」という乳牛の牧場があり、ここで芥川龍之介は、明治25年にその経営者新原敏三の長男として生まれたのです。龍之介は誕生後七ヶ月で母の長兄芥川道章に引き取られ、本所区小泉町に移り、12歳の時、芥川家の養子になったのです。東京帝国大学在学中から文筆に親しみ、夏目漱石の門に入り、『地獄変』、『羅生門』、『河童』、『或阿呆の一生』など、多くの名作を遺し、昭和2年35歳で自害したのです。
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カトリック築地教会は、キリスト教(カトリック)の教会と聖堂。教会堂名は「聖ヨゼフ」とのこと。1869年(明治2年)築地鉄砲洲が外国人居留地となった。このころキリスト教は禁教だったので、1866年(慶応元年)から横浜に滞在していたパリ外国宣教会の宣教師ジャン・マリエ・マランが、1871年(明治4年)、京橋区八丁堀鉄砲洲の稲荷橋付近に商家を借り、語学塾を開いたのです。そして1873年(明治6年)、キリシタン禁制がでたことでパリ外国宣教会は行動を開始。1874年(明治7年)、マランは日本政府より築地居留地の一部を借り、翌月より聖堂建設に着手し、1874年11月東京で最初のカトリック教会として築地教会の献堂式が行われ、東京以北の宣教の中心地となったとのことです。現在の聖堂は、当時の東京大司教ジャン・ピエール・レイの要望で古代ギリシャのドーリア式神殿を忠実に模して木造モルタル造にて建設されているのです。
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旧聖堂時代の石膏の聖ペトロ像は、震災の被害を免れて現在も安置されているとのことでした。本日は中には立ち入らなかったのでみられませんでした。
すぐ傍に「暁星学園発祥の地」の碑がありました。

料亭治作の門前に「運上所跡」の石碑があり、その下には「東京税関発祥の地」とありました。
鎖国が廃止後1859年(安政6年)長崎・横浜・函館に運上所が開設し、外交や運上の事務を扱ったとのことです。江戸の運上所は1868年(慶応3年)にここ築地鉄砲洲に設けられたのです。「税関」という役所名は 1872年((明治5)年から。 関東地方では 最初に横浜に設置されました。戦後 1953年(昭和28年)に 「横浜税関東京税関支署」が廃止され, 新たに「東京税関」に生まれ変わったのです。
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電信創業之地。
明石町・あかつき公園の向かい側,公団住宅の植え込みの中に この碑が建っていました。
明治2年9月19日(太陽暦10月23日) 横浜裁判所と 東京築地 運上所内に設けられた 「電信機役所」を結ぶ 約32kmの電信線架設工事が開始され, その年12月25日に業務が開始されたとのこと。これが, 日本における 公衆電気通信の最初だったのです。
この記念碑は, 先駆者の業績を後世に伝えるため, 昭和15年に建立され, 昭和53年, 南南東約40mの地点から この場所に移設されたとのことでした。
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「月島の渡し」は、月島一号地の埋立が完成して間もない1892年(明治25年)、土木請負業の鈴木由三郎が、南飯田町(現、明石町14)から月島(現、月島3丁目)へ、手漕ぎの船で私設の有料渡船をはじめたことがこの渡しの始まり。
1901年(明治34年)、月島への交通の重要性を考慮し東京市が市営化を決め、1902年(明治35年)、汽船曳船二隻で交互運転を開始し、渡賃も無料となったのです。以後、月島は東京の臨海工業地帯として発展したので、1911年(明治44年)には、乗客の増加に対応するために徹夜渡船も行われていたとのこと。
そして、昭和15年(1940年)には勝鬨橋が架橋され、渡船の利用者は減少の一途をたどり、月島の渡しは廃止されたのでした。
今は案内板のみでした。

勝鬨橋(かちどきばし)は、隅田川に架かる橋で晴海通りの道路が通っており、1940年6月14日に完成しています。
日本で現存する数少ない可動橋(跳開橋)ですが、1980年に機械部への送電を取り止め、可動部もロックされ、今も跳開することはありません。

当時、陸運よりも水運を優先するということでさせるべく、3,000トン級の船舶が航行するするために可動橋として設計され、跳開により大型船舶の通航が可能となったのです。
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橋を渡り切ると「勝鬨橋とかちどき橋の資料館」がありました。

1905年(明治38年)、築地と、月島を結ぶ渡し舟である「勝鬨の渡し」が設置されました。月島の埋め立てにより石川島造船所の工場などが多く完成したことで多数の交通需要により、1929年(昭和4年)架橋が実現したのです。
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月島の勝どき地区と西仲通り方面を結ぶ橋が「西仲橋」。
西仲通りに入るともんじゃ焼きのお店がずらりと並ぶ月島西仲通り四番街、月島西仲通り三番街を抜けると温泉があり、その1階に月島開運観音堂がありました。
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昭和26年に長野県善光寺の別院として建立され、平成13年9月、再開発事業完成のときに、現在の場所に設置されたそうです。お参りすると「いつの間にか運が開けあらゆる念願が成就する」と言われているようです。

草庵(昼食)は月島の日本料理店です。もんじゃの提供はありませんでしたがとてもおいしくいただきました。これでようやく本日の午前の部は終了したのです。
では続きはまた次回にアップします。お楽しみに!!
posted by yunofumi at 23:32| あちこちウォーク

2017年01月24日

2017.1.21 第11回 東京の新発見旅「港区」

東京メトロ銀座線外苑前駅⇒梅窓院⇒旧赤坂青山南町案内板⇒港区立青山公園⇒龍泉寺⇒青山霊園⇒南青山陸橋⇒桂由美ブライダルハウス東京本店⇒旧乃木邸⇒乃木神社⇒正松神社⇒乃木坂⇒成長の家いのちの樹林⇒東京ミッドタウン⇒檜坂⇒赤坂氷川神社⇒転坂⇒勝海舟邸跡⇒日大三中・三高跡地⇒アオザイ(昼食)⇒メトロ千代田線赤坂駅⇒国際新赤坂ビル⇒ダンディハウス⇒勝海舟・坂本龍馬の師弟像・港区立赤坂子ども中高生プラザ⇒赤坂教会⇒南部坂⇒アメリカ大使館⇒JTビル⇒虎の門病院⇒虎の門2丁目西交差点⇒築地虎ノ門トンネル・虎ノ門ヒルズ⇒真福寺⇒愛宕神社⇒TOKYO REI HOTEL⇒NHK放送博物館⇒青松寺⇒御成門⇒御成門駅⇒増上寺⇒JR浜松町駅

梅窓院
外苑前駅1b出口のすぐそばにありました。
1643年(寛永20年)徳川家康公以来の家臣、老中青山大蔵少輔幸成公が逝去の時、 青山公の下屋敷内に13,247坪の地を画して側室を 大檀越として建立されたとのこと。
現在の梅窓院は約3000坪ということです。
山門に向かい見事な竹林です。孟宗金明竹(もうそうきんめいちく)というそうで節と節の間に緑色が鮮やかに見えました。
また寺院棟は近代的な高層ビル。墓地は広く効率よく作られており、有名人のお墓がたくさんありました。
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港区立青山公園は、青山霊園の周縁にあり、赤坂御用地や明治神宮外苑側にある北地区と新国立美術館や六本木ヒルズ側にある南地区に分かれているとのこと。
開園は昭和45年で旧陸軍の射撃場跡地と引揚者住宅跡地を整備してできたようです。
青山霊園は1872年(明治5年)、美濃国郡上藩(現在の岐阜県郡上市)の藩主だった青山家の下屋敷だった所。1926年(大正15年)、斎場の建物などのすべてが東京市に寄附され、日本で初めての公営墓地となったとのことです。
現在は東京都の所管。霊園は、桜並木の名所。明治維新の功労者や文学者・科学者・芸術家・政治家等の著名人墓所が数多くありました。維新の三傑である大久保利通、細井和喜蔵の『女工哀史』の印税で建てられた「解放運動無名戦士墓」も存在、忠犬ハチ公の墓も見受けられました。附属立山墓地には、永田鉄山、木村兵太郎、相楽総三なども眠っていました。
霊園内には外人墓地もありました。
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桂由美ブライダルハウス東京本店はブライダルファッションのトータルショップ。花嫁の夢、希望に合った最高のドレスを 用意できるといわれているようです。
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旧乃木邸は乃木希典が住んでいた邸宅でこの建物は乃木が留学中に見たフランス連隊本部を参考に設計したもので、明治35年に改築されたとのことです。
邸内は入り口横の階段を上がり通路に沿って見ることができました。奥のほうに乃木夫妻が殉死した部屋がありました。夫妻が亡くなった場所に木札が置かれていました。
邸内入口横にレンガ造りの厩もがありました。旅順開城後にステッセルから贈られた愛馬「壽号」の厩舎だったとのことです。
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乃木神社
東京市長が同志を集めて中央乃木会を組織し、乃木邸内に夫妻の御霊を祀ったことが始まり。昭和20年の空襲で本殿などが焼失しましたが、昭和37年に復興したそうです。千代田線乃木坂駅のすぐ近くにあります。神社境内の展示室(写真右側の建物)には、乃木の書幅や自刃の際に使用した刀が展示されています
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乃木神社の境内には正松神社(せいしょうじんじゃ)がありました。ここには玉木文之進と吉田松陰が祀られています。乃木希典は吉田松陰を追慕し、16歳の時、松陰の叔父であり、松下村塾の創始者である玉木文之進の門に入り薫陶を受けたようです。吉田松陰を深く敬い玉木から教育を受けこれが乃木大将の人格形成に大きな影響を与えたということで、乃木神社戦災復興の際、萩の松陰神社から二柱の分霊を請い受け摂政社として境内に鎮守されたのです。

東京ミッドタウンは2007年3月30日、六本木に開業。ホテル(ザ・リッツ・カールトン東京)、文化施設(サントリー美術館など)、130に及ぶ商業店舗、オフィス、住居、病院、公園などが集約された複合施設。
ここは、江戸時代は萩藩の毛利家下屋敷だった所。明治時代には陸軍駐屯地、終戦後には米軍将校の宿舎、日本に返還された後は防衛庁の檜町庁舎と、実400年の間、一般には閉ざされた土地として使われていたのです。そして2000年、防衛庁本庁が檜町から市ヶ谷に移転したことから、この街の新しい都市計画が始まり、広大な緑を臨む港区立檜町公園を含めた再開発事業をはじめ、2001年9月、コンソーシアム6社がこの土地を落札。民間都市再生の事業認定を受け、現在にいたったようです。

赤坂氷川神社は昔の赤坂区第1の鎮守社。石段のそばの左右2基の石灯籠は享保9年のもの。鳥居は花崗石。拝殿は、銅瓦葺。拝殿、本殿とも中をよく見られませんでしたがHPを見るとかなり立派なようでした。
現社地は、忠臣蔵・浅野内匠頭の夫人 瑤泉院の実家である浅野土佐守邸跡で、大石内蔵助が討ち入り前に訪れて別れを告げたといわれているところ。「雪の別れ」で有名な「南部坂」が近くにあります。
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勝海舟邸跡 
幕臣・勝海舟の旧宅跡。勝海舟は、1859年(安政6年)から1868年(明治元年)までこの地で過ごしたとのこと。今は案内の表示のみでした。
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旧港区立氷川小学校跡地、現在の港区立赤坂子ども中高生プラザに勝海舟・坂本龍馬の師弟像がありました。
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勝海舟(1823〜1899年)は幕末に江戸城の無血開城に尽力し江戸のまちを戦火から救った方です。またそばには弟子の坂本龍馬(1836〜1867年)も一緒に立っていました。銅像建設には多くの地元の方々が尽力したとのことでした。

東京都は2014年に「マッカーサー道路」の通称で知られる都市計画道路環状2号線のうち、港区内の新橋―虎ノ門間の供用を開始。延長約1.4kmの区間は、「新虎通り」の愛称が付く幅員40m(歩道部を含む)の地上部と、幅員24mで自動車専用の「築地虎ノ門トンネル」に分かれているとのことでした。 
築地虎ノ門トンネルは延長約0.9kmで、森ビルが2014年開業の虎ノ門ヒルズの地下を貫通しています。
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真福寺は、1591年(天正19年)中興照海上人が出府して鉄砲洲に庵室を構え、1605年(慶長10年)に愛宕下の地所を拝領して開創したといいます。
長い歴史の中で度重なる火災や震災などにより堂宇も焼失、その後再建された本堂や庫裡も老朽化し、平成7年4月に近代的な「真福寺・愛宕東洋ビル」として再生されたのです。
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愛宕神社は1603年、慶長8年、徳川家康公の命により防火の神様として祀られました。
慶長15年、庚戊本社をはじめ、末社仁王門、坂下総門、別当所等将軍家の寄進により、建立されました。その後江戸大火災で全焼してしまいましたが、明治10年、9月に本殿、幣殿拝殿、社務所の再建がなりました。大正12年9月1日、関東大震災に、昭和20年5月24日帝都大空襲により太郎坊神社を残し社殿は焼失しましたが、昭和33年9月、氏子中の寄付により、御本殿、幣殿、拝殿などが再建され、現在に至ります。
ここには傾斜約37度、86段の出世の階段があります。これは寛永11年、江戸三代将軍、家光公が愛宕山に源平の梅が満開だったのを見て 「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」と命ぜられ、それにこたえて、四国丸亀藩の家臣だった曲垣平九郎(まがき・へいくろう)が成し遂げというお話がありそれ以後出世の階段といわれているのです。
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どうやら今でも途中休むことなく階段を上るとご利益がありそうです。

NHK放送博物館
1925年(大正14年)東京芝浦の東京放送局仮放送所から、日本のラジオ第一声が発せられ当時はJOAKといっていたようです。そしてこの年の7月、この愛宕山で本放送が始まり、このことから愛宕山を“放送のふるさと”といっているとのことでした。
NHK放送博物館は、1956年に、世界最初の放送専門のミュージアムとして、“放送のふるさと”愛宕山に開館しました。
日本の放送が始まってから90余年、放送は、ラジオからテレビへ、さらに衛星放送、ハイビジョン、デジタル放送へ。8K画面はとてもきれいでした。
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青松寺(せいしょうじ)は江戸府内の曹洞宗の寺院を統括した江戸三箇寺の1つで、太田道灌が雲岡舜徳を招聘して文明8年(1476年)に創建したようです。当初は武蔵国貝塚(現在の千代田区麹町周辺の古地名)にあったが、徳川家康による江戸城拡張に際して現在地に移転した。しかし移転後も長く「貝塚の青松寺」と俗称されていた。長州藩、土佐藩、津和野藩などが江戸で藩主や家臣が死去した際の菩提寺として利用されたとのことです。
境内に「獅子窟学寮」があり1875年(明治8年)には、曹洞宗大学林専門本校を開校。翌年、港区高輪の泉岳寺学寮、文京区駒込の吉祥寺学寮「旃檀林」と統合し、今日の駒澤大学へと発展した由緒ある場所です。

御成門。
近くの虎ノ門が江戸城の外郭門(がいかくもんに対し、御成門は実は芝増上寺の北方馬場にあった裏門の別称だそうです。
増上寺は徳川家の菩提寺の一つで、将軍が参詣(さんけい)する際にこの裏門がもっぱら用いられましたので、御成門と呼ばれるようになったようです。もともと御成門交差点にあったのですが、1892年(明治25年)東京市区改正計画で日比谷通りの道路が新設された際に、現在の東京プリンスホテルの駐車場脇に移転して現存されているのです。ちなみに虎ノ門は1873年((明治 6年)撤去されたと伺いました。
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増上寺
増上寺は、1393年(明徳4年)、浄土宗第八祖酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって開かれたとのこと。
徳川将軍家との深いゆかりがある増上寺は、江戸時代には日本有数の大寺院へと発展してきました。
増上寺には、二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公の、六人の将軍の墓所があります。また墓所には各公の正室と側室の墓も設けられています。また家茂公正室で悲劇の皇女として知られる静寛院和宮様も含まれています。現存の徳川将軍家墓所は、本来家宣公の墓前にあった鋳抜き(鋳造)の中門(なかもん)を入口の門とし、内部に各公の宝塔と各大名寄進の石灯籠が配置されています。
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港区は坂の多い街でした。ここでは見かけた四つの坂を紹介します。
「乃木坂」は港区の赤坂8丁目と9丁目の境、乃木神社前を西へ外苑東通りへと上る坂。江戸時代には幽霊坂とか行合坂、膝折坂などともいわれたようです。
「檜坂(ひのきざか)」は港区赤坂6丁目と同9丁目の間、檜町公園の北脇を北西から南東に上る坂道。江戸時代には、檜の木が多いため檜屋敷と呼ばれた山口藩毛利邸に添う坂であったとのことです。
「転坂(ころびざか)」は赤坂6丁目5番、6丁目9番の間にある坂。江戸時代から道が悪く、通行する人たちがよくころんだためにこのように呼んだそうです。
「南部坂(なんぶざか)」は赤坂2丁目と六本木2丁目の境界にある坂道。坂のそばに南部屋敷があったことからこのように呼ばれたようです。

今日は強風の中でしたが元気に21名が約20000歩のウォーキングを終了。気温11℃とのことでしたがもっと寒いと感じました。愛宕神社は3回目でしたが本日はお詣りの方が多く、社務所も開いており、華やかな印象でした。また青山墓地は色々話題を耳にしていましたがあまりに広大なこと、有名人の墓所も多いことで、改めて東京!を感じました。今後も楽しくウォーキングを目指します。
posted by yunofumi at 21:46| あちこちウォーク

2017年01月15日

2017.1.15 ポールウォーキング代々木公園

昨年閉店した浦和のMBTウォーキングスタジオですが、相変わらずMBTシューズを愛用している仲間で時々ウォーキングをしています。
本日は何度目かの代々木公園でのポールウォーキングです。
9:00集合で今年一番の冷え込みは−2℃。6人の懐かしい顔が揃い、早速ストレッチ後ポールウォーキング。
公園内は霜柱、そして池には氷が張っていました。
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公園内の様子は冬真っ只中!
このような時期は駅伝が盛んなようです。園内では渋谷区民駅伝大会が開催中。中学生らしい元気な方々を頼もしく思いました。
寒さが厳しくても風がほとんどなく陽ざし十分で、とても気持ちよくウォーキングできたので皆、大満足。
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きっと日中も天気予報通りで5℃以上にはなりそうにありません。やはり冬真っ盛り。
本日は大学センター試験2日目、裏日本などは大雪とのこと。
今年も色々あるでしょうが元気で過ごしたいと強く思いました。

posted by yunofumi at 17:11| あちこちウォーク

2017年01月13日

2017.1.11 房総へのバス日帰り旅行

朝10:30集合で43名が参加。
添乗員さんは50歳過ぎのおじ様、なかなかハッキリものを言われる面白い方でした。
そしてバスはだたひたすら高速を走り、目的地で自由行動ですぐまた次に向かうというオモシロイツアーでした。

ウエスタ川越⇒厚生水産⇒をくづれ水仙郷⇒房州きよっぱち⇒東京ドイツ村⇒川越駅
陽ざしがまぶしいくらいの快晴の元、富士山を見たり、海ほたる通ったりと、久しぶりの千葉県です。
厚生水産、木更津港のお土産店に立ち寄りました。ここまでで2時間。
店内はいけすもあり、つくだ煮などはお味見して楽しみました。滞在は20分間のみで忙しかったです。
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鋸南町は淡路や越前と並ぶ水仙の産地だそうです。
をくづれ水仙郷の水仙は12月ころより咲きはじめ1月が最盛期とのことでした。
野山に自生して咲いている感じが愛らしかったです。
駐車場から佐久間ダムに向かって道を下り水仙と共に梅や桃の花々を楽しみました。
ダムまでは片道約1kmとのことでしたがのんびり歩いているとダムまでには到達しませんでした。滞在約40分ではちょっと短かったです。
ここは桜もよさそうですからまた機会を見て訪ねるようです。
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房州きよっぱちは南房総市富浦町深名にある漁師さんとお百姓さんが獲れ立てを販売している市場。きよっぱちとは「清八丸」という船の名前からきているようです。
オープンデッキという場所で遅めの昼食をいただきました。さすがにお刺身が美味しかったです。
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お土産にめざしと赤魚をゲット。食べるのが楽しみです。

東京ドイツ村は袖ケ浦市永吉にありました。
イルミネーションは毎年テーマを掲げているようで今年は「大冒険」。
バスでの到着が日没直前だったので約250万個のLEDや電球が輝き始めるところも見られて美しかったです。観覧車に久しぶりに乗りました。
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本日昼間の気温は11℃くらいだったようですが陽ざしがあったのでとても気持ちが良かったです。夜になるにつれ気温はグングン下がったようですがドイツ村辺りではまだまだ大丈夫で大いに楽しみ、夕暮れの富士山も見えとても幸せな気分でした。こちらでの滞在は約60分間。まずまずでした。
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その後また2時間以上、高速をひた走り川越着は20:00。まずはバスの走行距離がすごいツアーでしたからこの帰着は上出来!!やはりお出かけは平日に限る!!
これはこれでオモシロイ旅行でした。皆様に感謝!!
posted by yunofumi at 00:05| ドタバタ日記

2017年01月09日

2017.1.9 鎌倉散歩−鶴岡八幡宮

鎌倉駅⇒鶴岡八幡宮⇒神苑ぼたん庭園⇒鎌倉和総菜近藤⇒鎌倉駅

年明けにNHKテレビで鶴岡八幡宮の神苑ぼたん庭園の見事な牡丹が咲いているとの情報が流れました。
さすがに三が日ではとっても混雑だろう思い、今朝空模様を気にしながら家を出発しました。
約2時間後、鎌倉駅にはほぼ昼頃の到着となりました。早速参道を進んでお詣り。
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次に神苑ぼたん庭園に伺いました。
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ここは昭和55年に鶴岡八幡宮創建800年記念で開園されたとのこと。
色々な植物がしっかり根付き、とても見ごたえがありました。

その後鎌倉駅そばで見つけた鎌倉和総菜近藤で健康的なお食事をいただき、帰宅しました。
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鎌倉が湘南新宿ラインで池袋に一本となっており、本当に楽々の道のりです。
道中EVやエスカレーターを使わず、歩け歩けで動き回り目標の1万歩達成で満足できた一日でした。
本日、これでお正月気分は終わり。明日からまた日々元気に頑張ります。
posted by yunofumi at 21:57| あちこちウォーク

2017年01月04日

2017.1.3 高尾山5回目

京王線高尾山口駅⇒清滝駅⇒稲荷山コース⇒旭稲荷⇒山頂⇒山門(四天王門)⇒仁王門⇒大法堂⇒薬王院⇒エコーリフト→清滝駅→京王線高尾山口駅→高尾駅

今日は暖かく下界は14℃、山頂は11℃くらい。
お正月早々ですがMBT仲間にお願いして私を含め3人で登山。

電車で高尾山口駅に向かうときも白雪で輝く富士山を堪能。
上り始めてまずは旭稲荷で記念撮影。
前回に比べ恰好だけはばっちりの山ガールです。
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山頂手前には約200段の階段があり、これが最後の難関なのです。
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ようやく着いた山頂で3人でまず記念撮影。
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そして山頂では少し霞がかった富士山ですが見晴らし台から、くっきりばっちり仰ぎ見ました。
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それにしてもすごい混雑ぶり。恐るべし!高尾山!です。新宿や渋谷に勝るとも劣らずの混雑ぶり!!事故防止のためにお巡りさんも加わり、境内は一方通行。こんなことがお山であるなんて!とびっくりでした。
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その後、体力的にいっぱいいっぱいの私はリフトで下山。整理券が発行され、30分待ちで乗り、やっと下山。清滝駅に着くと徒歩で下山した2人とバッタリ一緒になりました。
そして定番の高尾駅前の「たまの里」で鍋焼きうどんをいただき元気回復の後、解散。
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それにしても稲荷山コース3.1km、道幅は広く、ありがたいコースですがこの不慣れで体力不足はまだまだスタコラとはいきません。まあこの年での登山ですから!とあまり気にしない!気にしない!
まずは今後も懲りずに挑戦することを新年の抱負のひとつに掲げます。
ヤレヤレと言いつつ、満足!満足!無事下山を喜んでいます。皆さんありがとう。
posted by yunofumi at 21:46| あちこちウォーク

2017.1.2 川越七福神めぐり

今日はお正月らしく、小江戸とよばれる川越の七福神めぐりをしました。

東武東上線川越駅⇒@妙善寺⇒米穀港町屋商店⇒菅原神社⇒朝日生命⇒川越駅入口(東)交差点⇒サイクルパーク⇒久茂登⇒金子園芸⇒A天然寺⇒川越第一中学校⇒光西寺⇒中院⇒川越総合高校⇒仙波東照宮⇒B喜多院⇒C成田山⇒熊野神社⇒D蓮馨寺⇒蔵造りの街並み⇒時の鐘⇒ライトニングカフェ⇒札の辻交差点⇒E見立寺⇒F妙昌寺⇒東武東上線川越市駅

@妙善寺(毘沙門天)
創建は1626年(寛永3年)。その後火災で焼失したが昭和末に再建。本殿にご本尊の不動明王と共に木造の毘沙門天が祀られていました。門前には川越さつまいも地蔵尊もありました。
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A天然寺(寿老人)
創建は1554年(天文23年)。ご本尊は無病息災の大日如来。ここの寿老人は昔、彦根智教寺にあったといわれています。
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B喜多院(大黒天)
平安時代よりある古くて有名な寺院で歴史としては1200年以上。1638年(寛永15年)徳川家光により、家光誕生の間や春日局の化粧の間を移築再建された。境内はお正月でごった返し、お詣りするために山門前から並んでいました。おかげで五百羅漢やだるま市をゆっくり見る時間も無くなってしまいました。
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大黒天は本堂とは別のお堂に祀られていました。

C成田山(恵比寿天)
本山は成田山新勝寺。ご本尊は不動明王。
本堂右手前のお堂に恵比寿天とともに大黒天も祀られていました。
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D蓮馨寺(れんけいじ)(福禄寿神)
北条時代の川越城将の大道寺正繁が母のために建立した寺。
触ってなでると病気が治る「おびんつる様」と共に福禄寿神が祭られていました・
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E見立寺(けんりゅうじ)(布袋尊)
札の辻から川に向かい石原橋の手前左折でようやく見つけました。
現在の本堂は1881年(明治14年)に再建されたもの。本堂とは別のお堂に布袋尊が祀られていました。
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F妙昌寺(弁財天)
大本山は池上本門寺。1375年(永和元年)開創。城下町の整備で現在地に移転。
本堂とは別に経ヶ嶋弁財天のお堂に祀られていました。
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天候は快晴、気温13℃、歩き回っていると少し汗ばむくらいでした。
お正月、真っ只中!ということで人出が多く、親子、夫婦での七福神めぐりの姿も多く見受けました。ガイドブックでは歩行時間約100分、約6kmをたよりにウォーキングしました。しかし実際にはライトニングカフェでの休憩1時間,、道に迷ったことも含め約4時間、17000歩は予想外でした。主たる原因はすべてのお寺が混んでいてお詣りするのが大変だったこと。本当にびっくりしたのです。
でもどうにか七福神めぐりの色紙は完成です。
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ライトニングカフェでのキッシュはおいしかったです。またゆっくりランチで伺います。
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はじめて七福神めぐりをしましたがこれはなかなか面白い!
新たな発見です。またあちらこちらで試みることにいたします。
基本は元気にウォーキングです。
posted by yunofumi at 11:57| あちこちウォーク

2017年01月02日

2017.1.1謹賀新年

明けましておめでとうございます
一日温かい陽ざしのなかを初詣も済ませ、穏やかな一年の幕開けとなりました。
皆様もお健やかな幕開けとなっていることと存じ上げます。
そして朝は娘のお手製のお節料理でお祝いしました。
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初詣はまずは町内の八雲神社に伺いました。
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次に隣町にある三富総鎮守の多聞院に伺いました。
ここは年々人気が増ている様子です。お昼過ぎでしたが神楽殿ではお囃子などの催しがあり、とても楽しみました。また境内には温かい陽ざしを受けて蠟梅が良い香りを振りまいていました。
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さてここで、元旦を迎えたので昨年の振り返りをざっとします。
まずはウォーキング!
昨年1年間で72日歩き回りました。時間がかかった取り組みでは富士山裾野ウォーク全17回と結局1年半、それと秩父観音巡りもでき、満足。いつも気の向くままにやっている山手線駅界隈めぐり、鎌倉寺院巡り、高尾山登山は単発的なので今後も続けます。現在、シリーズでは東京新発見23区巡りをしていますが只今10区終わった所なので、これからもぼちぼちです。
それから映画鑑賞は23回。高齢者割引を最大限利用しました。サスペンス好きとしては「ロクヨン」、洋画としては「ハドソン川の奇跡」、初めて見たアニメでは「この世界の片隅に」などが印象に残りました。
そして活字好きとしては読書ですが26冊ほど読破。半数は図書館からお借り出来たので大助かり。「裏返し忠臣蔵」、「一路」、「利休と秀吉」など、時を忘れて読みふけりました。

今年の取り組みは体力保持に努め、高尾山攻略をできるだけ多く挑戦、ウォーキングは無理なく”週一”は頑張る、映画や読書も楽しむ、そして今年は一人ドライブを取り入れたいと思っています。これは安全運転ができる期限が迫っている気がするからです。
私の日々は長年仕事がベースの人生です。しかし近頃は全方位的に「人生楽しく」をモットーにしていますので、一緒に楽しんでくださる仲間がいればこそ!という日々でもあります。
さあ、このような調子でまた頑張って、楽しく過ごしましょう!!
皆様、応援よろしくお願いします。
posted by yunofumi at 01:16| ドタバタ日記