2019年03月21日

2019.3.16. 山手線歴史探訪ウォーク 第7回

渋谷駅〜五反田駅
JR渋谷駅ハチ公⇒東京メトロ銀座線渋谷駅⇒SIBUYA MARK CITY⇒豊栄稲荷神社⇒金王八幡宮⇒金王神社前信号⇒魚屋・渋谷3丁目2⇒六本木通り⇒渋谷ファーストタワー⇒青山トンネル⇒実践女子大⇒青山学院初等部⇒常陸宮邸⇒常盤松の碑・渋谷区東4丁目4-9⇒国学院大学⇒国学院大学前信号⇒常磐松(ときわまつ)小学校⇒渋谷図書館入口信号⇒渋谷氷川神社⇒塙保巳一史料館⇒区立広尾中学校⇒都立広尾高等学校⇒福昌寺⇒庚申橋⇒東恵比寿商栄会⇒恵比寿1丁目信号⇒JR恵比寿駅西口⇒JR恵比寿駅東口⇒恵比寿ガーデンプレイス⇒アメリカ橋⇒TOP of EBISU⇒銀平(昼食)⇒エビスビール記念館⇒三田橋⇒目黒三田郵便局⇒三田春日神社⇒茶屋坂⇒アルジェリア民主人民共和国大使館⇒JR目黒駅⇒大円寺⇒大鳥神社⇒五百羅漢寺⇒目黒不動⇒JR五反田駅

JR渋谷駅ハチ公は渋谷駅の待ち合わせ場所として最も有名な銅像。
ハチの飼い主は東京大学の上野栄三郎教授。上野先生が大学で急死した後10年後にハチも死去したようです。お墓は青山墓地の上野博士のお墓の傍。現在の像は2代目。初代は本田晋作でしかもハチの存命中に制作されていたようです。八の市はその翌年だったのも何となく不思議。剥製が現在の国立科学博物館にあるとのことでした。
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渋谷は再開発が真っ最中!!東京メトロ銀座線渋谷駅はいままで地下にあったと思いますが山手線のさらに上がホームになっていました。びっくり!!
SIBUYA MARK CITYは地上25階建て。ホテル、オフィス、バスターミナル、京王渋谷駅、東京メトロ車庫などがあり、綺麗に立派にできたようです
渋谷マークシティの連絡通路で一般公開されている岡本太郎の巨大壁画「明日の神話」を見ました。縦5m、横30mは圧巻でした。
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「明日の神話」は1954(昭和29)年3月1日、ビキニ環礁での米・水爆実験で被爆したマグロ漁船「第五福竜丸」をテーマとした作品。1960年代後半、メキシコのホテルに設置するために制作され、その後行方が分からなかったのが2003年にメキシコ資材置き場で発見され、「明日の神話」再生プロジェクトが発足。1年余りの修復作業を経て2008年に渋谷区を恒久設置先に決定し、同年11月17日より同所で一般公開がスタート。以来、NPO法人「明日の神話保全継承機構」の主導で、毎年秋に壁画の清掃・修復・補強作業が行われ、今年で3回目を迎えたとのことでした。

金王八幡宮(こんのうはちまんぐう)。
1092年(寛治6年)現在の渋谷に渋谷城を築き、渋谷氏の祖となった河崎基家(渋谷重家)によって創建されたとのこと。江戸時代には徳川将軍家の信仰を得、特に3代将軍徳川家光の乳母春日局は神門、社殿を造営したとのことでした。なお、江戸時代末期まではこの神社に隣接する澁谷山親王院 東n宦i天台宗)が別当寺であった。当初は渋谷八幡とよばれていたようです。社名にある「金王」は、重家の嫡男常光がこの神社に祈願して金剛夜叉明王の化身として生まれたことにより金王丸と称したからだそうです。
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金王丸が植えたという金王桜がありました。
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宝物殿にはとても古い御神輿があり、これは鎌倉八幡宮七神輿の一基で都内西湖の物だそうです。
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常盤松(ときわまつ)の碑。
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「常盤松」は、氷川神社の神域にあった名木で、『江戸名所図会』の「渋谷 氷川明神社」の絵に「神木」として描かれている木がそうです。伝説では、源義朝の側室である常盤御前(ときわごぜん)が植えたとされており下記のような和歌があります。
わがきみの こゝろのまゝに ゆくすえも ときわの松の はなにこそみめ
またこの歌は義朝が常盤御前を想って詠ったものともいわれています。常盤御前は、有名な牛若丸こと源義経の母親で、義朝の死後は公家の一条長成に嫁いだそうです。

渋谷氷川神社。
渋谷地区の最古の神社で古くは氷川大明神といって旧下渋谷村、豊沢村の総鎮守であったとのことです。創始は1605年(慶長10年)に別当宝泉寺第百代の住職宝円の記した「氷川大明神宝泉寺縁起」によると、景行天皇の皇子日本武尊東征のとき、当地に素盞嗚尊を勧請し、その後嵯峨天皇の弘仁年中慈覚大師(円仁)が宝泉寺を開基し、それより同寺が別当となったとあるようです。
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その昔9月29日(現在は9月15・16日)の祭礼に金王相撲が行われ大変な人気だったそうでその時の土俵が今も残っています。
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塙保巳一(はなわほきいち)史料館。
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塙 保己一(1746〜1821)は盲目の学者。現在の埼玉県本庄市児玉町の農家に生まれ、7歳のとき肝(疳?)の病がもとで失明、15歳で江戸に出て盲人の職業団体である当道座の雨富須賀一検校に入門鍼・按摩・灸、琴・三味線などの修行をするが上達せず、雨富師匠の支援で学問を始めて文学・医学・律令・神道などを、さらには賀茂真淵にも入門し『六国史』などを学び、安永8年(1779)34歳から『群書類従』の編纂に取り組み、40年後の74歳で完成させた方だそうです。本日は中に入りませんでしたが館内には書物の元となった版木などが保管されているとのことです。またここを昭和12年に訪れたヘレン・ケラーが「私は子どものころ、母親から塙保己一先生をお手本にしなさいと励まされて育った」と語ったという話を聞きました。
更に埼玉県本庄市には平成27年にリニューアルされたばかりの塙保己一記念館があり、国史跡の旧宅や666冊の本となった群書類従が見られるとのことでした。

福昌寺(ふくしょうじ)。
近代的な建物がいきなりありましたが実は天正・文禄の頃の寺院だとのことです。
入口左手に石棺仏の石刻阿弥陀像がありました。
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彫刻が少ない十五世紀頃の石仏でしかも石材は6世紀頃の古墳型石棺の蓋に使われていた和泉砂岩だそうです。
またすぐ傍に花供養塔があり、説明の碑もありました。
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花は天地自然の美しき心を姿色香にあらわし 人の世の喜怒哀楽につけて その人の心を和らげ慰め励まし無量の福楽を与え来れるものなり
その花を己が商とすることを天職と思い 花を愛し 花と天地自然に感謝しつヽ生花を商う 願心の施主横山サダ及び同業の有志相寄りて人々の心を慰め散り行ける多くの花の命に感謝し慰霊せんものと 渋谷山福昌寺の聖域をトし 茲に供養塔を建立し 併せて施主家の家門興隆同業有志各家の繁栄 業界の発展を祈念するものなり   昭和丙辰51年4月吉日 花供養塔建立協賛会

庚申橋供養碑は渋谷区東3丁目の庚申橋のたもとにありました。1799年に建てられたこの碑は四面すべてに橋講中の世話役や万人講および個人の名が渋谷、麹町、赤坂、芝、麻布、四谷、大久保、池袋、市ヶ谷、目黒、中野、世田谷、荻窪と広い範囲にわたり刻まれており、この橋が江戸時代重要な交通路であったことを示しているのです。
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恵比寿ガーデンプレイスは、渋谷区と目黒区に跨る複合施設で、サッポロビール工場跡地の再開発事業として1994年(平成6年)に開業したとのことです。
東京都写真美術館手前の高層ビルはTOP of EBISU 38階の銀平で昼食。
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煮魚定食はさすがに美味でした。
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エビスビール記念館。
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サッポロビール本社やヱビスビール記念館がある恵比寿ガーデンプレイス(東京都渋谷区恵比寿)。そこには、かつてヱビスビールを造る工場がありました。1887(明治20)年、日本麦酒醸造会社(現サッポロビール)が設立され、1890(明治23)年に「恵比寿ビール」が誕生。1901(明治34)年には恵比寿停車場という名の積み卸し専用の駅ができ、そこから「恵比寿ビール」を各地へと出荷。恵比寿という地名ができたのは、その後の話。そう、恵比寿という街の名は、ヱビスビールが発祥なのです
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茶屋坂と爺々が茶屋。
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江戸の初め、田道橋を渡り三田方面に通ずる坂上の眺望のよいところに、1軒の茶屋がり徳川3代将軍家光は、目黒筋遊猟の帰りにしばしばこの茶屋に寄って休息をとっていた。家光は、茶屋の主人彦四郎の素朴な人柄を愛し、「爺、爺」と話しかけたため、この茶屋は「爺々が茶屋」と呼ばれるようになったとのこと。そしてある時、遊猟の帰途、茶屋に寄った将軍が、空腹を感じて彦四郎に食事の用意を命じて出されたのが目黒のサンマ。こうして「さんまは目黒に限る」という落語がいまもつたわっているようです。爺々が茶屋の子孫は、坂下の方に住んでおられたとのことで目黒ニ丁目の島村家がそれで、同家は、代々彦四郎を襲名してきたが、今はもうやめたようです。しかし島村家には、今なお当時の模様を伝える古文書―御成之節記録覚―や一軒茶屋の図が保存されているとの話は面白いですね。

アルジェリア民主人民共和国大使館。
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目黒区三田2-10-67にありました。ホームページで見るとアルジェリアは、アフリカの北に位置し様々な風景を楽しむ事が出来る国。国土面積は、2 381 741 Km2、国境を接する国々は、チュニジア、リビア、ニジェール、マリ、モーリタニア、西サハラそしてモロッコの7か国。アルジェリアを取り巻く国境線の距離は6000kmとのこと島国の日本では想像できないことが一杯と思いました。
緩い登りの権之助坂を上りきるとJR目黒駅。
この後の歩程が大円寺⇒大鳥神社⇒五百羅漢寺⇒目黒不動⇒JR五反田駅とわかっていました。これらのコースは何度か歩いたことがあるため空模様が気になり、本日はこれにて自主的に終了とさせていただきました。
結果として渋谷〜目黒で7km、歩程約15000歩。お陰様で翌日の「MBTノルディックウォークin 代々木公園」に元気に参加し、春の花々を大いに楽しみ仲間と過ごすことができました。感謝!
これで山手線はあと1回、また4月に頑張ります。
それではここで日比谷公園の春を感じた花をアップしておきます。

ミモザです。
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ユキヤナギです。
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彼岸桜です。
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コブシです。
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posted by yunofumi at 07:26| あちこちウォーク

2019年03月09日

2019.3.3. 東京新発見旅第22回 大田区

今日の大田区は大森区と蒲田区からそれぞれ一文字ずつ採った合成地名。東京都に23ある特別区の一つ。人口約73万人。東京都区部の最南端。大田区は多摩川を挟んで神奈川県川崎市と接する交通の要地で、東京都心と神奈川県を結ぶ鉄道(JR東海道線・京浜東北線や都営地下鉄浅草線と相互乗り入れする京急線など)の本数が多い。区東部には羽田空港があり、大田区の面積の約3分の1を占める。
大田区でのキーポイントの一つは大森貝塚。1877年(明治10年)横浜に上陸したアメリカ人の動物学者・エドワード・S・モースが、横浜から新橋へ向かう途中、大森駅を過ぎてから直ぐの崖に貝殻が積み重なっているのを列車の窓から発見したのが大森貝塚。これは日本で考古学が発達していった最初だそうです。大田区側の大森駅近くのNTTデータ大森山王ビル横の小道の線路側に石碑があるとのことでしたが今日は雨降りで見に行きませんでした。
もうひとつのキーポイントは文士村。石坂洋次郎、宇野千代、尾ア士郎、川端康成、 川端龍子、北原白秋、、子母沢寛、高見順、萩原朔太郎、三島由紀夫、室生犀星、村岡花子、山本周五郎、山本有三、吉屋信子、和辻哲郎などなどが日常を過ごし楽しく暮らしていたようです。
これらは山王会館や郷土博物館で色々知識を得られるとのことで楽しみにして出発しました。

JR大森駅⇒天祖神社⇒大森射的場跡(日本帝国小銃射的協会跡石碑)・大田区山王2丁目14⇒山王公園⇒山王会館・馬込文士村資料展示室⇒いにしへの東海道石碑・明神橋・大田区中央1丁目14⇒龍子記念館⇒熊谷恒子記念館⇒尾崎士郎碑⇒宇野千代碑⇒ネパール料理タンセンビュー(昼食)⇒真船豊碑⇒南馬込五丁目公園⇒佐藤朝山碑⇒郷土博物館⇒湯殿神社⇒池上梅園⇒村田商店⇒池上本門寺⇒萬屋酒店⇒東急池上駅

本日はしばらくぶりに東京23区のウォーキングツアーです。あいにくの雨降りですが参加者21人はJR大森駅に早々に集合。渡辺先生とTD小玉さんの先導で10:00出発。

JR大森駅に降りたのは初めて。山手線から京浜東北線に乗り換えて到着。1日平均乗降客は10万人弱。道理で駅舎もきれいでしたし人が一杯でした。
天祖神社は大森駅のすぐ傍で正式には神明山天祖神社。享保年間(1716〜1735年)、当地の庄屋・年寄・百姓らが伊勢講を組織して、皇大神宮で御分霊を受け祭祀したのが創建といわれているとのこと。神仏分離令にともない、1872(明治5)年に円能寺から分離し「神明山天祖神社」と改称したとのことでした。
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大森射的場跡(日本帝国小銃射的協会跡石碑)。
大森射的場のあった跡地はテニスコートとなっており、入口付近の駐車場の角に「日本帝国小銃射的協会跡」の碑がありました。この射的場は1889年(明治22年)から1937年(昭和12年)ごろまで使用されていたとのこと。敷地は窪んだところにあり谷間に作られた様でした。1899年(明治32年)明治天皇の御下賜金200円を基金に東京府荏原郡大森村に土地を購入し日本帝国小銃射的協会が設立されたのです。大森射的場は周囲の住宅化により1937年(昭和12年)に横浜鶴見の東寺尾に移転してとのことでした。
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大田区立山王会館。
馬込文士村資料展示室が1階に設けられており、山王ゆかりの文士を紹介する展示がありました。平成7年5月に「馬込文士村散策コース」中の拠点施設の一つとして開設され馬込ウォークのパンフレットもいただきました。
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馬込文士村散策マップがあるとのことでした。
これを見ながら再び気候の良い日に再度伺いたいと思いました。

環七通りの陸橋をくぐった先に「いにしへの東海道」と書かれた石碑がありました。「此の道は 時代により奥州街道 相州鎌倉街道 平間街道 池上往還などと呼ばれていた古道です」と彫られていたとのことでした。
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大田区立龍子記念館は、近代日本画の巨匠と称される川端龍子(かわばたりゅうし)(日本画家)(1885-1966)により、文化勲章受章と喜寿とを記念して1963年に設立。当初は青龍社が関与、1991年から大田区となり現在にいたっているようです。館内には大正初期から戦後にかけての約140点の龍子作品を所蔵。多角的な視点から龍子の画業を紹介しているとのことでした。展示室では、大画面に描いた迫力のある作品が多くありました。
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龍子記念館の向かいの龍子公園には、旧宅とアトリエが保存されていました。
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ボケが立派な実を付けていました。
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熊谷恒子記念館。
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美智子皇后陛下にご進講されたことでも知られる現代女流かな書道家、熊谷恒子(1893年から1986年)の旧居を改修し、作品を展示しています。春夏秋冬それぞれの季節の作品展が行われています。
作品約100点のほか、書道関係の書籍などを収載しています。

尾崎士郎邸跡、宇野千代邸跡、真船豊碑、藤朝山碑と次々に説明を書いた石碑があり、如何に文士たちの住まいや活躍の場が多かったかがしのばれました。

ネパール料理タンセンビューで昼食。はじめてのネパール料理でした。カレーは相当辛かったですが美味しくて皆が笑顔になりました。
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大田区立郷土博物館。
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中の展示は大田区の地中の歴史、昔の道具、海苔養殖、大田の物つくり、麦わら細工などみるものが沢山ありました。馬込が発祥の地といわれる馬込大太三寸人参がプランターで育てられていました。

湯殿神社。
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池上梅園。
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ここはもともと日本画家伊東深水の自宅兼アトリエだった「月白山壮」がありましたが戦災で焼失。戦後は築地の料亭の小倉氏の別邸だったとのこと。その後庭園を残して大田区に譲られたとのことでした。現在大田区の花である白梅150本、紅梅220本が植えられているとのこと。今日は雨模様でしたがほぼ満開状態で散策を楽しみました。

村田商店は天草100%の寒天はほんのり甘くお土産にも最適という池上で評判の甘味処。
店先に大きくみつまめ、あんみつ、ところてんと書いてありました。
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池上本門寺(いけがみほんもんじ)は、日蓮宗の大本山。日蓮の入滅の霊場であり日蓮宗の十四霊蹟寺院のひとつでありまた大本山のひとつにも挙げられている寺院です。
1282年(弘安5年)、病身の日蓮が身延山を出て、湯治のために常陸(茨城県)へ向かう途中に武蔵国池上郷(東京都大田区池上)の池上宗仲の館に到着し、生涯最後の20数日間を過ごしたのです。またこの時、池上氏館の背後の山上に建立された一宇を日蓮が開堂供養し、長栄山本門寺と命名したのが池上本門寺の起源ということでした。

総門は元禄年間(17世紀末〜18世紀初め)の建立とのこと。「本門寺」と刻された扁額は本阿弥光悦の筆によるとのことでしたが、現在掲げられている額は複製。オリジナルは霊宝殿に収蔵されているのです。
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大坊には日蓮が亡くなられたお部屋があるとのことでした。
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多宝堂は境内の西方にあり、日蓮の荼毘所と伝えられる場所に建っていました。
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経堂は東京空襲による焼失をまぬがれた建物の1つ。輪蔵形式の内部に回転する八角形の書架があり、天海版一切経が収められていたとのこと。現在は別途保管。1784年(天明4年)に建立。第二次大戦後、大堂再建に伴う旧宗祖奉安殿移設により、元の場所よりやや北側の現在地にありました。
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本殿は、本師(釈尊)のおられる殿堂。1969年(昭和44年)に、戦災で焼失した釈迦堂を再建したもの。
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五重塔高はさ31.8m。空襲による焼失をまぬがれた貴重な古建築の1つ。江戸幕府2代将軍徳川秀忠の乳母である岡部局(大姥局)(正心院日幸尼)の発願により、1608年(慶長13年)に建立され、後に現在の位置へ移築されたようです。
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力道山の墓。この方は大相撲出身だったのがプロレスラーで有名になった方。お酒の上での殺傷事件で命を落としたようです。
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大野伴睦の墓。
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昭和39年に亡くなった政治家。典型的な党人政治家として知られ、「伴ちゃん」の愛称。また、「政治は義理と人情だ」「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ」等の名言を残した大物政治家。

日蓮像。
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宗祖七百遠忌記念のとして昭和58年富山県新湊市の黒谷美術株式会社より奉納された像。制作は、斯界の権威 北村西望。北村西望は平長崎の平和祈念像.の制作者でもあります。

萬屋酒店。
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池上本門寺参道沿いで、もとは茶屋を営んだのがはじまりとのこと。つし二階建,出桁造りで江戸時代以来の町家の形式で、上げ下げ戸を含め、旧状を良く残しているようです。門前町の代表的な建物のひとつで棟梁は加藤甚五郎とのことでした。

東急池上線は蒲田から五反田までに15駅があります。1922年(大正11年)に池上本門寺へ参拝客を運ぶ目的で開業。はじめは蒲田から池上、その後、現在の五反田まで開通。沿線では現在も池上本門寺と洗足池が有名。私的には星薬科大学のある戸越銀座駅や昭和大学がある旗の台駅が馴染みです。

本日は出発時から終了まで雨降り。朝は4℃、日中も10℃はなかったかもしれません。
久しぶりにゴアテックスの上下を着こんでいたので特に寒さは感じませんでした。やはり街歩きとはいえ装備は大切なのです。歩程8km、150000歩をこなし、まずますのウォーキングでした。この東京新発見もあと1回の北区を残すのみとなりました。次回は3/23です。晴天になりますように!!
posted by yunofumi at 23:16| あちこちウォーク

2019年02月27日

2019.2.26 さんさん会ウォーク 総持寺から・・・

本日は旧東海道五十三次有志の集まり「さんさん会」からのお誘いでウォーキングに参加。
幹事千代田さん、講師の浅井先生含め19名が参加。
私は2013年(平成25年)10月の32期での完歩でしたがこの集まりは33期の集り。私はこの2つのグループの行程で都合の良い時に参加していたのでどちらの方々とも仲良しになったのです。

JR京浜東北線鶴見駅⇒鶴見西口歩道橋⇒鶴見大学歯学部附属病院⇒総持寺⇒京急鶴見駅−京急電車−生麦駅⇒キリンビール横浜工場⇒生麦事件碑⇒明神前信号⇒生麦事件参考館⇒京急生麦駅⇒京急横浜駅

総持寺は曹洞宗の大本山。曹洞宗は中国より坐禅を中心とする仏法を日本にもたらした道元禅師と、その教えを全国に広めた四代目榮山禅師を両祖とし、それぞれが開いた永平寺と総持寺の二つを大本山としています。もともと石川県輪島市門前町にあった総持寺ですが1898年(明治31年)の大火災で多くの伽藍が焼失しこれをきっかけに横浜の現在地に移転してきたのです。
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総持寺の三門(さんもん)は 1969年(昭和44年)落成。鉄筋コンクリート造りでは日本一の大きさとのこと。三門の左右には金剛力士(仁王)像が置かれ、元横綱・北の湖の15歳の姿をモデルにしたと伝えられる。三門楼上には、瑩山が能登に開山するにあたり三門楼上に僧形の観世音菩薩像、地蔵菩薩像を安置したことにちなみ、観音・地藏の放光菩薩像と十六羅漢像および四天王像が祀られているとのことです。三門正面の扁額には總持寺の山号「諸嶽山(しょがくさん)」と書かれていました。
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香積台(こうしゃくだい)は 総受付で拝観・墓地・法要・参拝等の受付を行っている所。売店や休憩所もありご朱印もこちらでいただきました。玄関には日本最大といわれる木彫の大黒尊天が祀られていました。
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香積台から入り迷路のように案内されて食事場所に伺いました。途中の案内でホテルのように宿泊施設もあることがわかりました
食事は精進料理膳で味付けは薄くとても美味しかったです。
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百間廊下は長さ164m。東西の殿堂群をつなぎ合わせて、外苑と内苑とを分ける廊下のこと。廊下の途中には朝をあらわす「金鶏門」(東)、昼をあらわす「中雀門」(中央)、夜をあらわす「玉兔門」(西)という脇門(通用門)がありました。1日2回雑巾がけをしているとのことでツルツル、ピカピカでした。
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大僧堂は、雲水僧が集まり来るということから「雲堂」、また仏祖を選出する道場の意から「選佛場」と書かれた額がありました。私たちは中を見ることはできません。
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仏殿は 1915年(大正4年)に竣工され本尊釈迦如来像が安置されているとのことです。
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方光堂(ほうこうどう)は1911年(明治44年)に総持寺が能登から移転されて、最初に法要が厳修された記念すべき建物とのことです。もともとこのお堂は安政年間に山形・鶴岡の総穏寺本堂として建立され、その後、総持寺移転に際して特別に献納された由緒があり、当時は、大祖堂として中心的な役割を果たしていたとのことです。現在は全国檀信徒の永代供養のご位牌を祀り、日夜回向しているようで、中には沢山のお位牌が見られました。
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墓所に入ると日比野雷風のお墓がそびえたっていました。
日比野雷風とは、幕末の剣術家で神刀流道場を開いたようです。ここは剣術以外に槍術や柔術等も指導する総合武術道場のようだったと伺いました。
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石原裕次郎さんのお墓はいつきてもお花が絶えないようです。
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キリンビール横浜工場は以前にも伺いました。
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工場見学が参加者にわかりやすくさらにパワーアップしていました。映像の見せ方や機械など行程のなどかなり新しいヴァージョンでした。何よりも工場長が女性で驚きました。この方はビール製造大手、キリンビールで初めての女性工場長となった方だそうです。彼女自身はキリンビールに入社後、品質保証や醸造担当、醸造部長などを経て、神戸工場長に就任、そして現在に至るとのことです。きっとものすごい頑張り屋さんだと思います。
また見学コース途中にビールづくり体験教室のお部屋とパンフを見ました。できれば体験したいところですがすごい人気だそうです。
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試飲コーナーでは出来立ての一番搾りを含め3種類のビールとソフトドリンクの試飲ができました。お酒をいただかない私はノンアルコールビールや珈琲、紅茶などいただきましたが見事に美味しかったです。
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生麦事件碑は案内板も新しくなりわかりやすくなっていました。
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生麦事件参考館は浅海武夫さんが開設されている史料館です。今回初めて見せていただきました。
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中には貴重な資料がいっぱいあり驚きました。約1時間浅海武夫さんの講演をビデオで見せていただき事件の真相をとても詳しく理解しました。まるで大河ドラマにでもなりそうな筋書きでとても驚きました。また事件の解決というか結末が日本的で、昔も今も日本人って変わってない!とも思いました。「ドキュメント生麦事件」という冊子にサインをしていただきまた皆で記念撮影もしました。本当に貴重なひと時でした。
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朝9:30スタートですべての予定を16:45に終了。その後は有志で旧交を温めました。
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横浜駅西口エキニア横浜2階「北海道」はとても美味しく堪能しました。
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お土産はキリンビール工場限定の一番搾りビールゼリーチョコレートと浅海武夫さんのサイン入り冊子「ドキュメント生麦事件」です。
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今日は曇りながら約12℃。少し寒さが厳しいかと思いましたがまずまずのコンディション。
心配した雨にもほとんど会わずに済みました。懐かしい面々とご一緒に浅井先生の先導で1日楽しくウォーキングでした。途中、電車移動もありましたが帰宅してみると歩数は約20000歩。元気に皆さんとお会いできたことに感謝!そしてまたご一緒しましょうと約束しました。感謝!!
posted by yunofumi at 23:42| あちこちウォーク

2019年02月25日

2019.2.23 横浜散策 第15回神奈川区

JR東神奈川駅⇒京急仲木戸駅⇒東神奈川駅前郵便局⇒金蔵院⇒熊野神社⇒松並木・御殿町公園・高札場⇒神奈川地区センター⇒成佛寺⇒慶運寺⇒浄瀧寺⇒神奈川の大井戸・宗興寺⇒滝の橋⇒理容滝の橋・神奈川町本陣跡⇒横浜福音教会⇒笠間稲荷大明神⇒神奈川台場跡⇒青木町本陣跡⇒幸ヶ谷小学校⇒宮前商店街⇒洲ア大神⇒神奈川宮前郵便局⇒普門寺⇒甚行寺⇒萬新菜館(昼食)⇒京急神奈川駅⇒青木橋⇒本覚寺⇒三宝寺⇒高島山公園⇒東横フラワー緑道⇒大綱金毘羅神社⇒料亭田中屋⇒神奈川台関門跡・袖ヶ浦見晴所⇒上台橋⇒鶴屋町歩道橋・鶴屋町クレインズ歩道橋⇒JR横浜駅

神奈川区では「かながわ歴史亀さんぽ」というパンフレットが横浜市歴史博物館の協力で作られており本日はこれを見ながらウォーキングです。片面が地図になっており旧東海道と神奈川宿歴史の道が色付けでわかるようになっていました。
とても良い工夫の一つ目の発見は車道と歩道境目の車止めは亀のモチーフがずらり。
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二つ目の発見は街路灯のてっぺんに亀のモチーフが街灯大きさにより2種類。
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三通目に発見は観光史跡や名所の入口には青紋が扇形でありました。
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JR東神奈川駅自由通路東口通路には歌川広重の東海道五十三次の「神奈川台の景」があり茶屋立ち並ぶ風景と湊の様子がわかるとのことでした。惜しいことに本日の集合待ち合わせが西口デッキあたりだったので見損ないました。

金蔵院は京都醍醐寺三宝院の開祖勝覚僧正により平安末期に創られた古刹とのこと。その後、徳川家康から十石の朱印地を許されています。その昔の参道は街道まで伸び、金蔵院と今はお隣の熊野神社が境内に並び立っていたとのことです。本堂前には徳川家康の「御手折梅」といわれる梅があり当時は毎年一月にご住職が、この梅の一枝をたずさえて登城するのがならわしだったとのことです。本日は閉門しており熊野神社の方から垣間見ました。
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熊野神社の創建は1087年(寛治元年)、醍醐三宝院勝覚僧正68代が紀伊国牟婁郡熊野坐神社を分祀、神奈川権現山に勧請、熊野三社大権現としたとのことです。1582年(天正10年徳川家康公武州小机領神奈川郷の内御朱印高10石を賜ったのです。
拝殿は銅板葺入母屋造。扁額には「熊野大神」と記されており拝殿背後の本殿は、美しい流造です。現在の社殿は戦後に再建されたものとのことでした。
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境内入口は南東向いており、石の大鳥居の左右におおきな立派な狛犬がありました。
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本殿右手後方には樹齢四百年の公孫樹の木がありました。
木の中央部に洞があり、少し焦げたあとのようでした。
この公孫樹は1868年(慶応4年)の神奈川大火や1945年(昭和20年)の戦災で焼失したのにその後、再生したため「火伏のイチョウ」と呼ばれているとのことでした。
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御殿町公園から神奈川地区センターの先まで神奈川宿を偲ぶことができる松並木になっていました。松並木は夏は木陰を作り福や吹き付ける風や雪から旅人を守ったといわれています。この風景は町おこしで新たに松が育ちつつあるようです。
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傍には昔のお知らせを掲げた高札場がありました。
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そうそう、神奈川地区センターには広重の東海道五十三次八十二万歩の旅のジオラマがありました。

成佛寺(じょうぶつじ)(外国宣教師宿舎跡)。
成佛寺は、鎌倉時代の創建と伝えられる浄土宗の寺院。徳川三代将軍家光の上洛に際し、宿泊所の神奈川御殿造営のため寺地が現在地に移されたとのことです。1859年(安政6年)の横浜開港当初はアメリカ人宣教師の宿舎に使われ、ジェームス・カーティス・ヘボン博士は本堂に、宣教師のブラウンは庫裡に住んだということを伺いました。ヘボンはヘボン式ローマ字で知られおり日本最初の和英辞典を完成ました。また、ブラウンは聖書や賛美歌の邦訳に尽力、ここでは通訳として活躍したアーネスト・サトウも学んだようです。
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写真中央の石の模様が浪のようなのが「浪石」。言い伝えでは満ち始めると湿気を持ち、満潮になると夜露がしたたるようになりまた、引き潮になるとぬぐったように乾くので潮の時刻がわかるということでした。浦島太郎が竜宮から帰ってきて両親の墓に参り、呆然とたたずんだあと再び竜宮へ行こうとしたが、それは出来なくて、この石に腰を下ろして過ぎし日を偲んで思わず大きな涙をこの石にはらはらと落としたことから「浦島太郎の涙石」「泣き石」とも言われているようです。

慶運寺(けいうんじ)(フランス領事館跡)
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横浜・神奈川区に江戸末期明治時代に観福寿寺という寺院に浦島太郎が竜宮より持ち帰った観音像を本尊としていたため「浦島寺」と呼ばれていたということです。ただ明治初年に浦島寺が焼失して以降、観音像と浦島大明神像・亀化龍女神像(乙姫像)は慶運寺に移されて祀られたのです。東京芝・増上寺元禄8年の記録に「浦島太郎所持之観音像」と記されているそうで、浦島寺の観音像は、江戸時代のはじめから浦島太郎ゆかりの観音さまとされていたのです。
浦島観音の扁額があるお堂内には観音様がはっきり見えました。
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浦島太郎の山車は浦島町浜公園で年数回展示されるとのことでした。
また浦島太郎の絵本ができており浦島太郎伝説を子供たちに伝える努力がされているとのことでした。

滝の川を挟んで浄瀧寺(じょうりゅうじ)(イギリス領事館跡)がありました。
日蓮宗に寺院、1260年(文応元年)妙湖尼が日蓮に出会い法華経の道場とした寺院だとのこと。
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「神奈川の大井戸」は徳川将軍や明治天皇が来れた時にも使われた井戸だそうです。井戸の水量が増えると次の日にはお天気といわれ「お天気井戸」とも呼ばれていたとのことでした。
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宗興寺(そうこうじ)は曹洞宗のお寺で正式には開塔山日輪院宗興寺。創建年代は不詳とのことですが、伊豆海島風土記によると永享12年(1440年)に開塔山宗興寺から住職を請うて八丈島宗福寺を創建したとのこと。臨済宗さらに曹洞宗寺院となったようです。
幕末になると横浜が開港され、ヘボン式ローマ字の宣教医ヘボン博士がこの宗興寺に施療所を開設したのです。
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境内には「ヘボン博士施療所」碑がありました。
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神奈川宿の本陣は今は閉店したらしい理容滝の橋の所に神奈川町本陣跡と青木町本陣跡の2カ所に説明板がありました。

横浜開港当時、港の警備のために権現山の土を使ってできたのが神奈川台場。これは勝海舟が設計した8000坪の台場だったようです。今は埋め立てられ石垣のみが一部残っていました。
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洲ア大神(すざきおおかみ)は源頼朝が作った神社とのこと。この神社にご神木のアハキがあったことからこの辺りは青木町となったようです。
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甚行寺(じんぎょうじ)(フランス公使館跡)
横浜開港当時ここの本堂は土蔵作りだったのを改築して公使館として使われたようです。

青木橋から本覚寺と権現山を見ると東海道本線の辺りがぐっとへこんでいます。しかしこの権現山(現在の幸ヶ谷公園)と本覚寺の辺りはもともと尾根続きだったそうで、戦国時代にはそれぞれ隣接して権現山城と高島台には青木城があったのです。この両者の間を削りこの土を色々なところの埋め立てに使ったようです。右手に見える権現山は見事にてっぺんが削られています。
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また鉄道を通したことから青木橋の下は谷積みよう壁という頑丈な壁になっているのです。

本覚寺(ほんがくじ)(アメリカ領事館跡)
もと臨済宗で、1226年に宗祖栄西により創建されたと伝わっています。
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横浜開港時アメリカ領事ドーアが庭木を切り払い4星条旗を掲げ寺の正門には白いペンキを塗ったとのことです。その後このペンキを剥がすことが大変だったようでまだ山門の一部が白くなったままでした。文化の違いは恐ろしいですね。
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この石碑は、幕末に横浜の開港を首唱した岩瀬肥後守忠震(いわせひごのかみただなり)の顕彰碑。横浜開港の恩人への感謝として有志により昭和57年に建立されたとのことです。 岩瀬忠震は、幕末に海防掛目付に任ぜられた後、外国奉行にまで出世し、開国論の中心的存在として活躍をした人物。日米修好通商条約においてはアメリカ総領事ハリスに対し、下田奉行井上清直と共に交渉にあたり、ハリスの要求した江戸・品川・大坂などの開港希望地をしりぞけ、幕府百年の計のためにと横浜の開港を首唱したのが岩瀬忠震なのでした。その結果、1859年に横浜が開港し、発展めざましい今日の基を開くことになったのです。しかし、開港の前年に岩瀬忠震は左遷され、更には安政の大獄により永蟄居を命ぜられ、その後、1861年、44歳で死去したとのことです。
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このペンキ剥がしが縁なのでしょうか。全国塗装業者の慰霊碑がありました。
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高島山公園には「望欣台の碑」と「弁玉の歌碑」がありました。
高島山は高島嘉右衛門の屋敷があった所。この方は明治初期に鉄道を通すために尽力した方。埋め立ては野毛浦石崎から神奈川停車場までの1.5km、幅76mの海面を埋め立てたのです。この時使われた土が権現山と本覚寺手前の所、ということで今は東海道線がとっているのです。
「望欣台の碑」は横浜の都市形成期の恩人高島嘉右衛門の顕彰碑。
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「弁玉(べんぎょく)の歌碑」にある弁玉は幕末の僧侶・歌人。浅草の生まれ、晩年はこの公園そばの三宝寺の住職でもあったとのことです。
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東横フラワー緑道は、東急東横線の地下化により生じた東白楽駅 - 横浜駅間の線路跡に横浜市によって整備された延長約1.4kmの緑道(公園)です。AM6:00〜PM9:00までの通行可能なのが面白いと思いました。
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広重の「東海道五十三次」の神奈川・台之景に描かれており、坂の上から三軒目に「さくらや」とあるのが、現在の田中家。幕末の頃、1863年(文久3年)に、田中家の初代がそのさくらやを買い取り、「田中家」がスタートしたとのことです。
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幕末の偉人、坂本龍馬の妻おりょうが夫亡き後に仲居として働いており、明治時代には、幕末の偉人達や要人、各国の大使、文化人などが利用したようです。
ちなみに坂本龍馬の妻・おりょうは、寺田屋騒動の折、龍馬の危機を救った女性として広く知られています。龍子は横須賀で再婚し、西村ツルの名で最初は大津、次に米が浜に住んでいました。人生の後半生33年間を横須賀で過ごしたおりょうのお墓は、現在、大津の信楽寺(しんぎょうじ)にあり、毎年秋に龍子を偲んで墓前祭など、「おりょうさんまつり」が催されているとのことでした。

神奈川台関門跡。
横浜開港後色々事件が起こったため関門や番所を作り外人さんの行動範囲に制限を架けたようです。関門か神奈川宿には東西にあったようです。
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袖ヶ浦見晴所。
昔はこの石碑があるお向かい、田中屋の後ろはもう海でしたからきっとこの辺りの台地からは見晴らしがよいということで見晴らし所があったことでしょう。

現在の横浜駅は三代目の駅舎。初代は桜木町駅に改称されています、二代目の「横浜駅」は現在の横浜市営地下鉄高島町駅付近にありました。現在は国道1号「高島町交差点」脇に駅舎基礎部分の遺構が残っており、横浜市認定歴史的建造物となっています。

本日はスタート10:00、ゴール15:50。からりとした青空で気温13℃はちょうどよかったのですがかなりの強風でちょっと大変でした。でも浅井先生TD金子さんの支えがあって参加者17名は無事に約15000歩、11kmを完歩。
横浜駅前で解散時お土産は高島屋でいかが!とお声掛けをいただきました。
早速7階の横浜001コーナーで勝海舟が設計した台場をイメージした「勝サブレ」と名物「横浜崎陽軒のシュウマイ」をゲットしました。
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居合わせた店員さんから「勝サブレ」をどうして求めたかの質問をいただき、事情を話したところとても喜んでいただきました。
さてさてこれで横浜散策はあと3区となりました。
またスケジュールを見ながら18区完歩を目指します。
posted by yunofumi at 21:39| あちこちウォーク

2019年02月21日

2019.2.20 大多摩ハム工場見学ウォーク

JR青梅線拝島駅⇒熊川⇒ファミリーマート拝島駅北店⇒玉川上水沿い日光橋⇒玉川上水沿いどんぐり橋⇒玉川上水沿い日光橋公園⇒玉川上水沿いみずくらいどん公園⇒玉川上水沿い五丁橋⇒熊川2号水源⇒福生消防署熊川出張所⇒五丁橋通り入口⇒横田基地第5ゲート⇒わらつけ街道⇒原ヶ谷戸東公園⇒福生街道踏切⇒氷・山上商店⇒大浦歯科医院⇒大多摩ハム⇒JR青梅線福生駅

本日はMBT自由が丘店のイベントで大多摩ハム工場見学ウォークでした。
ずっと昔、大学卒業早々はすぐ傍の羽村町に住み、青梅市立総合病院に勤務していましたので懐かしくて参加しました。
JR青梅線拝島駅には8:45集合。駅が綺麗になっていてびっくり。
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今日はまたしても晴天、朝出がけAM7:00は5℃くらい、でも日中はほぼ無風で陽射しが強く19℃はあった感じ。ウォーキング中はやや汗ばみました。
さて参加者14名は拝島駅から9:00出発。すぐ玉川上水沿いにウォーキング。途中のどんぐり橋で記念撮影。
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全員が4MBTシューズですがほとんど同じ靴の方がいないのがオモシロイ!
日光橋公園では雑木林の中を散策。
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五丁橋あたりも玉川上水の水はとても綺麗。
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ほどなく横田基地第5ゲートに到着。
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この辺りの地元車は八王子ナンバー。そういえばそうか?と長年忘れていた記憶をまさぐっていました。
大多摩ハム、シュトゥーベン・オータマは1921年小林榮次が創業。この方はドイツ人技師アーグスト・ローマイヤに師事してドイツハムの技術を取得したようです。もともと都内にあった工場はこの福生には終戦後の1947年この地の水がご縁で工場を構えたようです。現在は3代目社長が相変わらず国産肉にこだわり手造り低添加ドイツ式を貫いているとのことでした。
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まずはお互いに自己紹介。
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和んだところでの工場見学は手作業でのカット作業を見せていただきました。
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その後レストランでドイツ風の昼食。皆さんはビールをいただき大いに盛り上がっていました。アルコールをいただかない私はハムステーキランチを食しました。
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その後は直売店でお土産を物色。
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すっかりお腹も身満たされましたのでこちらで各々が解散。
私たちはJR青梅線福生駅に出て立川〜西国分寺から武蔵野線で帰路につきました。本日は約10000歩の歩程でしたから十分余裕が残っていたので地元で夕食の買い物をして帰宅しました。皆様、またお会いしましょう。
posted by yunofumi at 22:21| あちこちウォーク

2019年02月17日

2019.2.16 東京まちさんぽ

メトロ護国寺⇒護国寺⇒大塚三丁目信号⇒大黒湯⇒お茶の水女子大学⇒跡見学園⇒メトロ茗荷谷駅⇒茗台中学校⇒春日2丁目⇒傳通院⇒淑徳学園⇒善光寺のムクノキ⇒慈眼院沢蔵司稲荷⇒えんま通り商店街⇒大亜堂書店⇒こんにゃくえんま⇒善雄寺⇒富坂下信号⇒メトロ後楽園駅⇒小石川後楽園⇒日中友好会館⇒飯田橋職安前信号⇒お茶の水石碑⇒湯島聖堂⇒外神田2丁目信号⇒昌平橋信号⇒三組坂下信号⇒メトロ湯島駅⇒湯島中坂下信号⇒白梅商店会⇒天神下信号⇒旧岩崎邸庭園⇒不忍池西信号⇒横山大観旧宅・庭園⇒池之端1丁目信号⇒上野動物園池之端門⇒忍岡小学校⇒きもの多古や⇒根津神社⇒根津神社裏門坂⇒日本医科大学病院⇒向ヶ丘1丁目信号⇒浄心寺⇒都立向ヶ丘高等学校⇒向ヶ丘2丁目バス停⇒メトロ本駒込駅

護国寺。
メトロ護国寺駅傍、大塚五丁目の真言宗のお寺さん。1681年(天和元年)に徳川綱吉の母である桂昌院が開祖。確か大隈重信さんやジョサイア・コンドルさんのお墓があると以前伺ったことがありました。
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境内はとても綺麗で日本水仙が咲き誇っていました。
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大黒湯。
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とても古そうな銭湯で今も営業している様子でした。屋根には八角形の湯気抜き見えました。

傳通院(でんつういん)
山門がとても立派。
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山門を通ると高くなった位置に本堂がありました。「如是我聞」の石碑横の紅梅が見事でした。
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善光寺のムクノキと説明板があり、痛々しい姿ながら大切にされている樹木のようです。
この場所は現在「善光寺坂」といわれる区道817号とその横の歩道との間に設けられたポケットパーク内とされていました。ここは江戸時代の頃は伝通院境内であったようです。廓山(かくざん)上人(伝通院中興第一世、寛永2年〔1625〕没)によって植栽されたものと伝わっておりまたその後、伝通院の鎮守であった澤蔵司稲荷の神木として現在に至っているとのことでした
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えんま通り商店街は江戸時代より源覚寺(こんにゃくえんま)の門前町として栄えた商店街のようです。今年から始まった大河ドラマ「いだてん」の主人公金栗四三が走っていた街と旗が掲げられていました。
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こんにゃくえんまの石柱を曲がると源覚寺(げんかくじ)でした。こちらは浄土宗の寺院。お堂の中には像高100.4cmの木造の閻魔王坐像があり、右側の眼が黄色く濁っているのが特徴とのことでしたがちょっとわかりませんでした。お供え物はすべて蒟蒻でした。
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小石川後楽園は、今から約400年前、江戸時代初期の1629年に水戸藩の初代藩主・徳川頼房によって江戸の中屋敷の庭として造られ、二代藩主の光圀の代に完成した所。お庭、特に池の配置などが素晴らしいとわかっているので本格的な春や紅葉の秋にまた伺います。
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コースを外れてお茶の水の湧水と石碑を見に立ち寄りました。
江戸時代、今のJR御茶ノ水駅周辺一体にあった「高林寺」の境内の一角より湧き水が出ていた所。三代将軍家光が鷹狩りで寺へ立ち寄った際にその水でお茶を立てたところ、大変美味しいためお気に入りになりその湧き水を「御茶ノ水」と名づけ将軍専用のお水とされたのです。この話を語り継ぐ史跡として御茶ノ水橋の交番横にありますが実はこの涌き水は現在は水道水とのことです。
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湯島聖堂は江戸湯島(東京都文京区)にあった孔子廟(こうしびょう)大成殿の別称です。1690年(元禄3)上野の忍ヶ岡(しのぶがおか)より移したもの。ここの敷地内に幕府の学問所昌平黌(しょうへいこう)がありました。これらは関東大震災でほぼ全焼し、その後再建された建築物をまとめて湯島聖堂といっているようです。
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メトロ湯島駅の隣にこれはまた年代ものの建物を見つけたので記念に撮影しました。このような発見も面白いのです。
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旧岩崎邸庭園は三菱財閥岩崎家の茅町本邸だった建物とその庭園を今は都立公園として整備したもの。今まで数回訪れているので花の少ないこの時期なので中に入らず通過しました。

横山大観旧宅・庭園は、近代日本画の巨匠として有名な横山大観を記念して、1976年(昭和51年)に開設された記念館。この地に大観は、1909年から1958年に亡くなるまでほとんど居住て作品を制作していたようです。記念館には大観を始め、春草、芋銭、観山などの作品や大観の愛用した美術品が展示されているとのことでした。雰囲気は何か厳粛でちょっと入りずらかったので表の説明をじっくり読み、後日見学に来ようと思いました。
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池之端一丁目信号を過ぎると上野動物園池之端門が見えました。この入り口は初めて知りました。いつも混雑の上野動物園です。一度こちらから入ってみたいと思いました。きっと穴場ですね。
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根津神社はもとは根津権現,須賀社といわれていたようです。日本武尊が1900年近く前に創祀したと伝える古社で、東京十社の一社です。境内はツツジの名所で私も何度か見に来ています。また森鴎外や夏目漱石などの文豪が近辺に住んでいたこともあり、これらの文豪に因んだ旧跡も残されています。
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メトロ本駒込駅はメトロ南北線の東大前の隣の駅。普段そんなに乗降客は多くないと思いますが今日はイベントのゴールだったので改札前のコンコースは大にぎわいでした。おかげで私も無事にゴール出来て大満足でした。
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今日の東京メトロのイベント、AM9:00出発、メトロ護国寺駅〜メトロ本駒込駅の歩程約11kmに参加しゴールメトロ本駒込駅14:00でした。本日は素晴らしい晴天で朝はかなり寒かったですが日中ウォーキングしている時には14℃はあった感じでした。おかげで終わってみれば約24000歩とかなりの歩行で目安の歩行時間は約3時間25分となっていましたが食事やお茶、それにウインドウショッピングも楽しんだので充実したウォーキングでした。
ゴール後南北線本駒込駅からJR駒込駅に移動。駒込駅に来るとすぐ傍のお茶をする洋菓子「アルプス」で休憩。いつもと雰囲気が違うのでふと見ると3月いっぱいで閉店の張り紙が見えました。このお店は本格的な洋菓子と珈琲がとても美味しいお店なのでとても残念に思いました。でも偶然でしたが長年の感謝の気持ちを込めてのお茶タイムはそれなりに過ごせました。
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本日は5000人参加の大イベントでしたが私は抽選に当たり参加できました。今までは手作業での参加やゴールの確認でしたが本日は送られてきたQRコードをかざすだけで何事も進歩が見られてちょっと感心しました。
スタート時にはドリンクのヘルシア、ゴール時には参加証でタオルと缶バッヂ。お土産に買った「きもの多古や」のハンカチ共々記念になります。
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このメトロイベントはほぼ毎月あるようです。自分の都合を踏まえて申し込みをしても当選はなかなかで今回が2回目。ぜひまた参加しようと思っています。
posted by yunofumi at 23:23| あちこちウォーク

2019年01月27日

2019.1.27 高尾山へ(12回目)

ここ数日関東地方はほぼ快晴。
寒さが厳しいですが1月も終わるので高尾山へお出かけ。朝はかなり冷え込みましたが昼近くには8℃くらいになり大助かり。
ケーブルカーで高尾山駅へ。駅前には真新しいお店が沢山出来ていました。
十一丁目茶屋横からの展望もスッキリ!はっきり!東京まで見えました。
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浄心門を通り男坂へ。
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石段横にはもう若芽を出している植物もありました。

薬王院手前に杉の苗木寄贈の方々の木札が一杯。
さらに横には「高尾山健康登山の証」百冊成満者の御芳名が175番まであり、びっくり。
いつ見ても確実に増えているのです。
この手帳はスタンプ集めのようなものですが1回の登山に1回押印いただき、1冊21回分で萬行。
21×100回の登山の方が175人はおられるということです。このスタンプを集めていない方もおられるでしょうから高尾山がいかに人気があるのがわかります。
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薬王院山門。
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天狗も頑張って見えを切っています。
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薬王院仁王門。
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薬王院本堂。
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薬王院権現堂(本社)。
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高尾山不動堂。
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山頂、十三州大見晴台についてホッと一息。
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そしてなんと富士山がいつになくピカピカ!クッキリ!!とてもキレイ!!
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これより下山し、途中で薬王院太子堂にお参り。
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帰りのケーブルカーでは運転席横になりました。
線路向こうまで見るとこのケーブルカーは日本一の最急勾配31度18ということがはっきり実感できました。
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こうして私の12回目の高尾山ウォークは終了。
それにしてもお正月以後、この寒さもあり、ちょっと筋トレ怠け気味がモロに出ました。帰宅までに約16000歩だったのですが、ちょっと疲れていました。年齢も重ねていることが言い訳にもなりませんが、「筋肉は一日一日の積み重ね!三日怠ければ元の木阿弥!」日頃からわかっておりながら、なかなか自己管理が生ぬるく結果が露呈!!反省!!
また明日から何とかします!!
posted by yunofumi at 23:18| あちこちウォーク

2019年01月24日

20190119 鎌倉七福神めぐり

JR北鎌倉駅⇒東慶寺⇒1浄智寺⇒長寿寺・亀ヶ谷坂切通⇒建長寺⇒円応寺⇒巨福呂坂送水菅路ずい道⇒二十五坊遺跡⇒2鶴岡八幡宮⇒近藤(昼食)⇒3宝戒寺⇒土佐坊昌俊邸址⇒4妙隆寺⇒日蓮上人辻説法跡⇒大巧寺⇒5本覚寺⇒鎌倉市農協連即売所⇒下馬交差点⇒和田塚4号踏切⇒六地蔵⇒六地蔵交差点⇒鎌倉彫寸松堂⇒中山刀剣美術店⇒主馬盛久之頸幽⇒文学館入口交差点⇒甘縄明神宮⇒萬屋本店⇒のり真安濟商店⇒旅館對僊閣⇒6長谷寺⇒鎌倉彫白日堂⇒7御霊神社⇒江ノ電長谷駅

朝5時起き!まだ暗闇の中で支度開始。気温1℃?かなり冷え込んでいました。日中は晴天、ほぼ無風、最高気温11℃の予報を確認し、副都心線で約2時間弱、JR北鎌倉駅到着。これまでにも数回伺った北鎌倉駅はこじんまりと可愛い。今朝はいくつものグループが出発準備中。私は駅前の喫茶「門」が営業中だったので温かい珈琲をいただいてからクラブツーリズム「鎌倉和総菜ランチと鎌倉七福神めぐり」ツアーに参加。講師:長坂先生、TD川崎さん、参加者13名で9:45出発。

鎌倉七福神とは大黒天、毘沙門天、恵比寿天、寿老人、福禄寿、弁財天、布袋尊の七つの神様の総称。「七難即滅、七福即生」の説に基づき七福神を参拝すると七つの災難が除かれ七つの幸福が授かるといわれています。近頃はお正月にあちらこちらでよく行われています。本日の鎌倉七福神めぐりは約5kmのコース。

出発後すぐに東慶寺(とうけいじ)の門前に到着。
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ここの山号は松岡山、寺号は東慶総持禅寺。開基は北条貞時、開山は覚山尼とのこと。開山以来尼寺で、幕府寺社奉行も承認する縁切寺として知られ、女性の離婚に対する家庭裁判所の役割も果たしていたようです
「開山潮音院覚山志道和尚」は安達義景の娘で、鎌倉幕府の第8代執権・北条時宗の夫人であったためここは松岡御所ともよばれ格式ある寺だったのです。

1番目・浄智寺(じょうちじ)・布袋尊様(家庭円満の神様)
鎌倉幕府5代執権北条時頼の三男宗政が29歳で1281年に没し、8代執権北条時宗が弟の菩提を弔うために建てた寺院。庭が広く梅や牡丹が有名だそうです。
三門と甘露の井がお出迎えです。
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総門
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仏殿
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お寺の奥のやぐらの中に布袋尊様がおられました。参拝客の皆さんがお腹を撫でたため少し黒ずんでいました。
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建長寺(けんちょうじ)は鎌倉時代の1253年(建長5年)の創建。、本尊は地蔵菩薩。開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権・北条時頼、開山(初代住職)は南宋の禅僧・蘭渓道隆、鎌倉五山の第一位。今日は門前でのご挨拶のみ。
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巨福呂坂送水菅路ずい道。
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元々は旧海軍施設。日露戦争の勝利により、海軍力増強が推し進められ、横須賀海軍工廠をはじめ海軍施設が拡張されたため、艦隊補給や工廠用水など水需要が増大。走水水源では間に合わなくなった海軍が新たに相模川支流の中津川から水を引くことを計画したのが軍港水道半原系統で、約53km離れた愛川村半原から新設の逸見浄水場まで自然流下式で導き、ろ過した後、各施設に配水するものだったのです。送水線路はほぼ直線に南東に向かい、鎌倉あたりで東南東に少し折れて横須賀・逸見へと続いており、送水線路上にあった河川や丘陵には水道橋や隧道が何箇所か建設されたのです。この水道管が敷設されたルートは「横須賀水道みち」、「横須賀海軍水道みち」と呼ばれたとのことです。

2番目・鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)・弁財天様(財運を招く神様)
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鎌倉市雪ノ下にある神社で武家源氏、鎌倉武士の守護神で鎌倉初代将軍源頼朝ゆかりの神社。京都の石清水八幡宮を厚く信仰していた源頼義が前年の役で奥州の安部氏を平定後、1063年(康平6年)、京の石清水八幡宮を鎌倉由比が浜郷に勧請し社殿を創建。その後、1180年(治承4年)、源頼朝が鎌倉入りするや由比が浜八幡宮(元八幡)をこの地小林郷に移したのです。1191年(建久2年)には武士の守護神の宗社に相応し上下了宮の現在の姿となったとのことでした。

弁財天様は旗上社におられました。
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若宮通り、津多ビル1F創作和料理「近藤」にて昼食。
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寒い時期は温かいことも御馳走のうち。お魚の煮つけの味もよく、野菜も添えられ美味しかったです。こちらは初めて伺ったお店ですがもう一度鎌倉野菜を味わいたいと思いました。

3番目・宝戒寺(ほうかいじ)・毘沙門天様(病魔退散・財宝富貴の神様)
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宝戒寺は天台宗の寺院で開基は後醍醐天皇で1335年(建武2年)に創建。この場所はもともと北条義時が小町邸を造って以来、北条執権の屋敷があった所。1333年(元弘3年)新田義貞に鎌倉攻めで鎌倉幕府は滅亡し北条一族は滅びたのです。北条得宗家九代の霊を慰めまた人材養成修行のために後醍醐天皇が足利尊氏に命じてこの屋敷跡に建立された寺院なのです。本尊は子育経読地蔵大菩薩で本堂にあるようでした。
お庭には可憐な日本水仙が咲いていました。
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聖徳太子を祀る太子堂。
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徳崇大権現者
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ここは白萩が有名で萩寺といわれています。

4番目・妙隆寺(みょうりゅうじ)・寿老人様(長寿の神様)
ここは日蓮宗の総寺院。 
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またこのあたり一帯は千葉常胤の子孫・胤貞の別邸跡といわれており千葉屋敷とも呼ばれているとのことでした。胤貞が1385年(至徳2年)七堂伽藍を建立して妙隆寺を創建。ご本尊は日蓮上人。

妙隆寺の墓地には丸山定夫の碑がありました。
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丸山定夫は、明治34年5月12日、愛媛県松山市北徒歩町に、丸山常次の四男として生まれました。そして早くから演劇の魅力に憑かれ、大正13年6月3日、築地小劇場が東京築地に開設されるや、その開幕のドラを叩いた方です。昭和3年まで同劇場で働き、昭和4年新築地劇団の創立に加わり、15年まで舞台に立ち、独異の性格俳優として「新劇の団十郎」といわれ、新劇史上不朽の名をとどめた方です。多くの人に愛されましたが、昭和20年8月6日、広島市堀川町99番地、移動演劇桜隊の宿舎でアメリカ軍投下の原爆に遭い、十日間の苦悶の末、16日、厳島存光寺の庫裡で誰にも見取られずに43年のいのちを閉じたのです。その後、埋められた場所さへ知られずにいたのを、最近この地に朽ちかけた墓標が発見され、友人知人たちの協力で新しく記念碑が建てられ碑には由来が記されていました。

日蓮上人辻説法跡。
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昔の鎌倉では地震、暴風雨、干ばつ等で疫病が続発し、不安と恐怖におののく人々を救おうと、38歳の日蓮上人は、松葉が谷の草庵から毎日小町大路の街頭に出て、道行く人々に辻説法を行い法華経を教え熱心に説いていたようです。「煩悩菩薩・生死即涅槃」「南妙法蓮華経」と唱え、人生のいろいろな悩みや執着はそのまま悟りだと思い、法華経を信じる事を説いたのです。「政治が正しくなければ国も庶民の生活も安ずることが出来ない」また「為政者が邪教を信じ、法華経をないがしろにすれば”自界叛逆・他国侵逼難”となって日本は滅亡する」と予言していたとのことでした。

大巧寺はおんめさまとよばれたお寺。 安産を願う妊婦さんが、日本全国や海外からお札を受けに見えるようです。また、境内にて季節ごとに咲く多種類の花々が、訪れる方の心を癒します。
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5番目・本覚寺(ほんがくじ)・恵比寿天様(商売繁盛・五穀豊穣の神様)
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本覚寺は日蓮宗の寺院。日出上人が開山し、1436年(永亨8年)に創建。足利持氏が鎌倉の夷堂があった場所に寺を建て日出上人に寄進した寺院とのこと。
1274年(文永11年)に佐渡の流罪を解かれ鎌倉に戻った日蓮上人はこの夷堂に滞在して布教していたとのこと。
本覚寺文骨堂には身延山から分骨した日蓮上人の御骨が収まっており、東身延山ともいわれているのです。ご本尊は釈迦三尊。
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境内には樹齢100年以上の百日紅が花をつけるとのことでした。

鎌倉市農協連即売所の発足は昭和3年に、鶴岡八幡宮の参道、若宮大路の茶屋の休憩所を借りて始まったようです。次に現在丸七商店の場所を経て、戦後の32年に現在の場所に移転してきました。 鎌倉野菜の運搬も、牛車、自転車にリヤカー、オート三輪車、トラックへと変わり、生産者も、3代目、4代目となっているとのことでした。

下馬交差点(げばこうさてん)は昔、鎌倉幕府へ詣(もう)でる武士は、ここで馬を下りてあとは、歩いて行ったと伝わる場所でした。

由比ガ浜大通の中ほどの道の角に六体の地蔵が赤い頭巾をかぶり、よだれかけを首にかけて並んでいて、このあたりの地名にもなっていました。
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この場所からやや北によったところに、鎌倉時代の刑場(けいじょう)があったと言われており、この刑場跡に罪人の霊を弔う(とむらう)ために祀(まつ)ったのが、六地蔵のはじまりとのことで、後に人通りの多い現在の場所に移されたとのことです。

鎌倉彫寸松堂(すんしょうどう)。
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構造規模は木造2階建、搭屋付、和小屋組 。延べ床面積421.22u、屋根は銅板瓦棒葺き、一部亜鉛引鉄板葺き及び桟瓦葺き、外壁は漆喰塗り大壁、一部押縁下見板張り。 この建物は、1936年(昭和11年)、鎌倉彫の彫師佐藤宗岳氏の店舗併用住宅として、市内の大工西井喜一、正二親子によって建てられたとのこと。1階店舗部分のガラス 戸、ショーウインドーなどに近代洋風建築技術が見られ、全体としては寺院建築と城郭建築が合体したような建物。寸松堂は建築当初から 笹目町、長谷界隈のランドマークとして重要な役割を果たし鎌倉の景観重要建築物となっています。
もうひとつ鎌倉彫白日堂(はくじつどう)の建物も有名で1940年(昭和15年)に鎌倉彫の工房兼住宅として建てられたとのこと。こちらも鎌倉の景観重要建築物。概観は、城郭風と寺院風を加味した感じにみえました。。
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旅館 對僊閣は明治末期から120年以上旅館として続き、現在の建物は関東大震災後、昭和2年頃に建てられたもの。長谷寺の参道にあり、必ず對僊閣が目につきます。一部改装が施されており、とてもよく戦前の和風旅館の佇まいを残している貴重な建物です。高浜虚子がホトトギスの会を開き、与謝野晶子が宿泊した当時の雰囲気も残っているようです。
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6番目・長谷寺(はせでら)・大黒天様(出世・開運の神様)
こちらは鎌倉時代以前からある古寺で736年(天平8年)の創建。坂東33カ所観音霊場の4番札所。
ご本尊十一面観世音菩薩。高さ9.18m、楠の木造、全身の金箔は足利尊氏が、光背は足利義満が納めたとのことです。
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長谷寺は紫陽花の花が有名、また秋の紅葉のライトアップも見事なようです。
そのほか藤や牡丹、つつじもよいようです。今日はちらほら白梅や蠟梅も見られました。

7番目・御霊神社(ごりょうじんじゃ)・福禄寿(知恵の神様)
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この社はもともと鎌倉の平氏五氏(大庭・梶原・長尾・村岡・鎌倉)の祖先を祀る御霊神社だったようです。その後武勇で名高い領主の鎌倉権五郎景政公一柱を祀るようになったようです。
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本日はほぼ16:00すぎにウォーキング終了。歩程約6km、歩数は16000歩超。一カ所づつ、かなり丁寧に見て歩け、なかなか得難い行程でした。
この時期ですからお花が見られませんでした。今後は時期を見てまた伺おうと思いました。
posted by yunofumi at 00:19| あちこちウォーク

2019年01月14日

2019.1.13 映画やコンサートへ

お正月明けからグンと寒さが厳くなっております。
でも北海道や東北、北陸のことを考えれば関東は晴天が続き、有難いことです。
お正月の次にはこの三連休がありましたので映画やコンサートにお出かけばかりをしていました。

映画:「アリー スター誕生」
原作は1937年監督ウィリアム・A・ウェルマンの『スタア誕生』のリメイク版とのこと。
何しろ2018年ブラッドリー・クーパー監督によるミュージカル・恋愛・ドラマ映画でレディー・ガガが綺麗な歌声を何度も聞かせていましたので実に娯楽としては楽しい映画になっていました。

映画:「この道」
詩人の北原白秋を主人公に、山田耕作、与謝野晶子、与謝野鉄幹が登場してきた映画でした。
詩人白秋はかなりの遊び人、まあ心が天真爛漫。奥さんを3人も取り換えていたことも初めて知りました。いずれにしても白秋と耕作が出会ったことから日本の名作童謡ができた道筋がわかり非常に楽しい映画でした。

映画:「日の名残り」
2017年ノーベル文学賞受賞のカズオノグチ原作小説を1993年に映画化されたもの。
監督:ジェームス・アイヴォリー、主人公の侯爵家執事スティーヴァンスはアンソニーホプキンス。決して派手な映画ではなかったですが男と女の心理描写などが行動や目の動きでわかりかなり意味深の映画できた。そして小説を読んだ時にはよくわからなかった事情もはっきりして名画だったと思いました。

コンサート     
新春スペシャルコンサート:於・オーチャードホール
出演:辻井伸行、加古隆、レ・フレール

辻井伸行さんはスタインウエイ、後のお二人はベーゼルドルファーのピアノで演奏。
スタインウエイは高温が特に明るいハッキリした音色、ベーゼルドルファーはウインナートーンを醸し出すと聞いたことがあるので演奏者はきっと自分好みのピアノで演奏するのだと認識しました。
とても有名なピアニストの辻井伸行さんは6曲ほど演奏されましたが映画「羊と鋼の森」のエンディングテーマがとても良かった。そして何よりご本人の曲名紹介の声はハッキリ朗らかに聞こえたことに胸を撃たれました。
加古隆はピアニストであると同時に随分作曲もされているとのこと。映画音楽では映画「散り椿」「蜩ノ記」のテーマ曲を作曲も然り。演奏は力強く独特の雰囲気で圧倒されました。1/30にはNHKホールで歴史映像と音楽のコラボするコンサートがあるようです。
レ・フレールは斎藤守也・斎藤圭土の兄弟グループ。出身は横須賀で1台で4手連弾は演奏が力強く聴衆を熱狂させる雰囲気に巻き込み手拍子がだんだん大きくホール全体に響き、終わった時は異様な雰囲気でした。きっと彼らの音楽ジャンルが独立しつつあるのかもしれません。
こうして2時間30分のコンサートは嵐の中の出来事のように思えました。
そうそうオーチャードホールB1Fの「ドウマゴパリ」で御馳走をいただいたのも感慨深かったです。またこのような優雅な1日を時々設けたいと思いました。
posted by yunofumi at 21:36| ドタバタ日記

2019年01月08日

2019.1.4 東国三社初参り

東京駅⇒(首都高速・東関東道-酒々井SA)⇒香取神宮(かとりじんぐう)⇒佐倉・そう馬(昼食)⇒息栖神社(いきすじんじゃ)⇒鹿島神宮(かしまじんぐう)⇒東京駅

今日はお正月なので朝日旅行のバスツアー東国三社といわれる香取神宮(かとりじんぐう)、息酉神社(いきすじんじゃ)、鹿島神宮(かしまじんぐう)への初参りに参加。千葉県も含め、個人的にはなかなか訪れるにはハードルが高い神社ですから一度は!と一念発起の参加でした。集合は東京駅。朝早かったですが41名の参加で出発。
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約1時間30分で香取神宮に到着。
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香取神宮は千葉県香取市香取にありました。香取市は平成18年に佐原市・小見川町・栗源町・山田町が合併して誕生したとのこと。式内社、下総国一宮で、旧社格は官幣大社。日本全国に約400社ある香取神社の総本社として有名です。御祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)、又の名は伊波比主命(いはひぬしのみこと)。
社殿創建は神武天皇18年とも伝わっているようで、なかなかの古く、2600年以上の歴史があるようで、蝦夷に対する大和朝廷の前線基地として重要視されていました。平安時代に「神宮」の称号で呼ばれていたのは、『延喜式神名帳』によると伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の三社だけとのことです。
楼門は元禄13年にできたようで豪華絢爛。本殿も負けずに立派でした。
こちらは門前にある亀甲堂の草餅が有名とのことでしたが人が多く買えませんでした。

その後佐原に行き懐石そう馬で昼食を済ませた後街並みを散策。この辺りは小江戸といわれるようです。
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伊能忠敬記念館を見学。伊能忠敬は江戸時代、日本国中を測量してまわり、初めて実測による日本地図を完成させた人。 忠敬は、延享2年(1745年)現在の千葉県九十九里町で生まれ、横芝光町で青年時代を過ごし、17歳で伊能家に入り当主となり、佐原で家業のほか村のため名主や村方後見として活躍。 その後、家督を譲り隠居して勘解由と名乗り50歳で江戸に出て、55歳(寛政12年、1800年)から71歳(文化13年、1816年)まで10回にわたり測量を行い、その結果完成した地図は、極めて精度の高いもので、ヨーロッパにおいて高く評価され、明治以降国内の基本図の一翼を担ったのです。
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息栖神社は東国三社の他の二社に比べ、より静かでこじんまりとした趣がある神社でした。
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鹿島と香取に祭られる二神が武神であるのに対し、息栖神社は、武神の乗り物であった「天鳥舟」というひかえめな存在の神が祭られているのです。説明書には御祭神は久郡戸神(岐神-除厄招福の神)、天乃鳥船(井戸の神)、住吉三神(海上守護の神)。そうそう今の住所は茨城県神酉市息栖。水上交通が盛んな時代には息栖河岸とともに大いに賑わったようです。また一の鳥居の両側にある「忍潮井(おしのい)」があり、日本の三霊泉といわれているそうですが見落してしまい残念。

招霊の木(おがたまのき)は精霊が宿るとのことでした。
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芭蕉の句碑や力石も見られました。
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鹿島神宮は茨城県鹿嶋市宮中にありました。2600年以上の歴史を誇る鹿島神宮。御祭神は武甕槌神(たけみかずち)。この神様は神話の中では地上を治めるのに大変活躍されたとのことです。
荘厳な鳥居をくぐると大きな木々が並び、中にはなんとも神秘的な雰囲気が漂よっています。
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広大な境内にはタケミガヅチがナマズの頭を抑えている「要石」などがあり、不思議なお話もあります。
また武芸の神様「鹿島大明神」としても有名です。

いつも食事が良い朝日旅行です。しかし今回は懐石料理でしたが冷たくてちょっと残念。
また説明がないので単に行きましたというツアーとなり、自分の事前の知識が不足していたことを痛感。
日頃参加する講師と添乗員が同行するツアーに慣れてついついこのような事態の旅行になったのです。新年から反省!!でもまあお詣りできたことに感謝し、またいずれ再訪したい三社となりました。
posted by yunofumi at 04:04| ドタバタ日記