2023年03月23日

2023.3.19 春の花々を求めて

本日の休日は春の日差しが輝くばかりの陽気なので近場に春の景色を求めて散策しました。

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まずは川越市故仙波町の中院へ。こちらは、天台宗の寺院。山号は星野山。寺号は無量寿寺。院号は中院。平安時代、淳和天皇の勅許で円仁(慈覚大師)が建立、当初は無量寿寺仏地院といい、鎌倉時代、尊海僧正によって再建されたようです。枝垂れ桜が有名です。また色々な花々も咲き、お陰様で大いに楽しました。
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庭には島崎藤村記念碑とお茶室不染亭があり,お茶をいただけました。
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お庭は賑わっていましたがとても風情がありました。
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こちらでは彫刻教室をやっているようで皆さんが作られた仏様が並んでおられました。
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毎年伺っている中院ですが珍しく記念撮影をしました。
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この後は近所のそぞろ歩きをしました。
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桜を訪ねて今度はふじみ野市の地蔵院へ。
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こちらは正和三年(1314年)、僧 覺應の開山とのことです。平成27年には開山700年の記念行事が行われたということです。もともとは鎌倉幕府の高官であった二階堂氏が反幕府勢力を監視するため亀久保の地へ入部(1200年代初頭)し館(持仏堂)を構えたのが地蔵院の前身ということです。
今日は薬師堂が御開帳でした。
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樹齢約400年のしだれ桜(ふじみ野市指定天然記)は花笠を開いたような姿で、とても優雅。
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こうして優雅な一日を過ごしました。それにしてもやはり”桜”はいいですね。そして”春”っていいですね。元気も出ますし、気分は爽快!また日々頑張ります。
posted by yunofumi at 14:07| ドタバタ日記

2023年03月22日

2023.3.18 2巡目第14回東京新発見「葛飾区」

近頃春めいた日々が続いていたのですが今日は寒い!雨もかなり降り続くとの予報でしたがとにかくJR金町駅10:00集合の11名が出発しました。

JR金町駅⇒金蓮寺⇒南蔵院⇒水元公園⇒水辺の生きもの館⇒東金町五丁目信号⇒葛西神社⇒江戸川水塔・金町浄水場⇒柴又公園・矢切の渡し⇒柴又帝釈天⇒船橋屋⇒京成柴又駅

JR金町駅は普段馴染みがなく、路線案内を見ながらまいりました。JRは常磐線、そして京成電車とキョロキョロ状態でしたが10:00集合には間に合いました。本日は小雨、9℃という状況の中ですがとにかく、国先生の先導、村上TDの付き添いで11名が出発です。

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金蓮院(こんれんいん)は、真言宗豊山派の寺院で新四国四箇領八十八箇所霊場第31番札所とのこと[。永正年間(1504年〜1521年)、賢秀によって開山され、「本寺」の格式を持つ寺であったとのことです。このお寺は度々火災に遭い、寺宝の弘法大師の肖像画は自ら飛び出して難を逃れたという逸話から「火伏の大師」との異名をもつということです。

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羅漢槙(ラカンマキ)はマキ科に属する常緑樹です。古くから金蓮院の「ラカンマキ」として有名で、1829年(文政12年)の紀行文「十方庵遊歴雑記」などの文献にも記された名木です。ラカンマキの大木は都内でも極めて少なく、樹高は10mあまり、幹廻りは3mほどで、樹齢は400〜450年といわれているようです。
 
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南蔵院(なんぞういん)は、真言宗豊山派の寺院で長保年間(999年-1004年)に開山されたとのこと。また熊野権現(現熊野神社)を勧請した際に、別当寺として創建されたとも伺いました。
江戸時代、徳川将軍は鷹狩のために江戸郊外のこの地を度々訪れており、この寺は「御膳所」(休憩場所)に充てられたのです。また延享3年(1746年)の銘が入った梵鐘があっようですが、戦時中の金属類回収令によって供出され、現存していないのです。
この寺の裏にはかつて南蔵院裏古墳と呼ばれる6世紀後半ごろの古墳があって、埴輪などが出土しているとのことでした。

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しばられ地蔵尊は、盗難除け、足止め、厄除け、縁結びなど、あらゆる願い事を聞いて下さる霊験あらたかな地蔵尊として祀られているようです。

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水元公園(みずもとこうえん)は、都立公園で東京23区では最大規模の公園で、水域面積の多い水郷公園とのことです。
水元公園は小合溜(こあいだめ)に沿って造られた、都内では唯一水郷の景観を持つ公園なのです。実は昭和50年までこの辺りは都立江戸川水郷自然公園でした。今では小合溜(こあいだめ)から引いた大小の水路が園内にあり、水郷景観が美しいのです。園内ではポプラやメタセコイア、ハンノキなどの樹木、ハナショウブ、スイレン、蓮などの水生植物がみられます。
小合溜とは今から約300年前まで古利根川といわれ江戸川に合流していました。江戸時代に現在の中川にあった亀有溜井を川に戻して、その代わりに古利根川を締め切り、小合溜井(小合溜)を作ったのです。そしてこの水は葛飾や江戸川流域の水田を潤しているのです。また小合溜の対岸は埼玉県三郷市の埼玉県立みさと公園と案内もありました。

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水辺の生きもの館の中は簡易的な展示場のような場所で、園内の生き物の情報がたくさんあります。印象的だったのはオニバスの葉の大きさと小さな花の写真でした。


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葛西神社の創建は平安時代末期、1185年(元暦2年)とのこと。当時は上葛西、下葛西合わせた三十三郷(現在の行政区分では、東京都葛飾区、江戸川区の全域、墨田区、江東区、足立区の一部地域にあたる)の総鎮守として葛西三郎清重公の信仰により、香取神宮の分霊を祀ったのが始まりとのことでした。
祭囃子発祥の神社でもあるようです。祭囃子すなわち葛西囃子は城東地域(東京東部)に古くから伝わる郷土芸能の一つで起源について明確にはわかっていないようですが通説としては享保年間、葛西神社の神官、能勢環(のせたまき)が敬神の和歌に合わせ、音律を工夫して和歌囃子として村の若者に教え、御神霊をお慰めしたのがその起源とされているようです。

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金町浄水場は、大正15年8月、当時の南葛飾、南足立、北豊島3郡の12町村を給水区域とする「江戸川上水町村組合」の施設として給水を開始。昭和7年に東京市に引き継がれ、その後数回の拡張改良工事の後、平成4年には、東京都で初めてオゾンと生物活性炭とを組み合わせた高度浄水施設の運転を始めたようです。

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江戸川の右岸にある2基の取水塔から表流水を取り入れ、金町浄水場内へ導水しています。三角形のトンガリ帽子の屋根を持つレンガ造りの第2取水塔は、昭和16年に完成。映画「男はつらいよ」シリーズや漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」にも登場しているようです。河川敷は柴又公園となっており矢切の渡しもありました。

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柴又帝釈天は日蓮宗のお寺で経栄山題経寺(日蓮宗)と言い、1629年(寛永年間)に開基され、開山上人を下総中山法華経寺第十九世禅那院日忠(ぜんないんにっちゅう)上人とし、その弟子の第二代題経院日栄(だいきょういんにちえい)上人が実際の開基とのことでした。古い記録から文化文政(1803〜1829年)の頃 こちらにはすでに六間四面の帝釈堂があったようです。正面の小さな山門を潜って石畳を進むと、突き当たりに帝釈堂があって、お堂の前には瑞龍の松があり、その右に祖師堂(本堂)、左に庫裡があったとのことがいわれています。

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帝釈天の参道は週末だというのにとても賑わっていました。参道に沿い草団子と煎餅のお店がやはり目立ちました。

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昼食は船橋屋で暖かいにゅう麺・紫蘇飯と葛餅のランチセット。にゅう麺には浅利がたくさん入っており薄味ながらとても美味しかったです。

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京成柴又駅前にはフーテンの寅さんとさくらの像もあり、すっかり楽しく終了。
お土産は船橋屋の洋菓子「フィナンシュ」にしました。
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結局、今日は雨降りで、気温は9℃と裏寒かったですがランチで少し休憩でき、帝釈天参道もぶらぶらできてのんびりしたウォーキングでした。
ちょっと残念は雨に気を取られていたからか、“寅さん記念館”を見てくるのを忘れました。残念!!国先生はこのコースはいつも“雨”と言われていましたが、他のウォーキングでもまた元気にお会いしましょう。国先生の明朗な解説がとても気に入った一日だったのです。ではまた皆様、次回もお楽しみに!!
posted by yunofumi at 23:42| あちこちウォーク

2023年03月21日

2023.3.7 2巡目第13回東京新発見「北区」

本日は約1年ぶりの東京新発見ウォークでした。晴天に恵まれ、19℃と春めいた中でのウォーキングで21名はとても元気に楽しめたと思います。

JR田端駅北口⇒田端大橋⇒田端文士村記念館⇒ASUKAタワー⇒田端高台通り⇒北区立童橋公園⇒芥川龍之介旧居跡⇒そば処福寿庵⇒田端八幡神社⇒東覚寺・赤紙仁王尊⇒板谷波山旧居跡⇒田端文士村散歩道⇒ポプラ坂・ポプラ倶楽部跡・田端保育園⇒北区田端公園⇒劇団文化座⇒八幡神社⇒大龍寺・子規墓所・板谷波山墓⇒北区立田端中学校⇒中里橋⇒第二中里踏切⇒光明山円勝寺⇒聖学院⇒本郷通り⇒滝野川会館前歩道橋⇒都立旧古河庭園⇒平塚神社⇒平塚亭⇒滝野川消防署⇒滝野川公園⇒花と森の東京病院⇒国立印刷局東京工場⇒滝野川警察署⇒西ヶ原一里塚⇒七社神社・旧一本杉神明宮社地⇒渋沢翁のテーマパーク王子飛鳥山⇒豫園飯店 (ヨエンハンテン)⇒関の甘納豆⇒JR池袋駅

山手線は品川が起点で田端が終点。あとは埼京線などがあることでぐるり、一周しているとのことなのです。
駅舎そばにJR東日本 首都圏本部ビルがあり、そのためでしょうか駅舎の前、田端大橋には東北新幹線200系の連結器カバーや車輪の展示がありました。
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田端文士村記念館の見学は1時間とまったりできました。石川県出身の室生犀星、板谷波山、田河水泡など著名な方々の展示がありました。

北区は高低差があるのでちょっと楽をしてASUKAタワーから高台へ。
このASUKAタワーは第一生命のビルとのことですがその中にチョコチップクッキーで有名なイトウ製菓も入っているようです。でもテナントで入っているファミリーマートにはこの会社の製品がないとのことでちょっと可笑しかったです。
田端高台通りにでると北区立童橋公園がありました。
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こちらは室生犀星の旧宅の庭にあった石が置いてありました。

芥川龍之介旧居跡には今は別の建物がありましたが、すぐそばにもうすぐ芥川の記念館が建つとのことでした
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そば処福寿庵は芥川龍之介が自宅の手書き案内図に書き入れていたお蕎麦屋さんで現在も営業中とのことでした。

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東覚寺は1491年(延徳3年)源雅により神田に創建されその後根岸そして、田端の地に移転されたとのことです。
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お堂のまえには赤紙仁王があり、病を患った人が病に相応する箇所に赤紙を仁王像に貼ると治癒されると言われており、現在においても赤紙を貼る人が絶たないとのことです。 その後病が治癒すると、草履を供えるものとされており、その風習も現在残っているようです。

春めいた日でしたのでこぶしもすっかり咲いていました。
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またマンホール蓋には「のらくろ」が描かれていました。
途中には田端文士村散歩道の案内や陶芸家板谷波山旧居跡の案内もありました。
田端保育園はポプラ倶楽部の跡で、ポプラ坂の名はこれにちなんでいるとのこと。ポプラ倶楽部は、明治41年ごろ、洋画家の小杉放庵(未醒)が作ったテニスコートで、田端に住む洋画家の社交場だったようです。陶芸家の板谷波山、洋画家の山本鼎、彫刻家の吉田三郎、詩人の室生犀星、小説家の菊池寛などが、このすぐ近くに住んでおり、大正2年、田端に越してきたのが芥川龍之介なのです。

北区田端公園を過ぎると劇団文化座がありました。
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劇団文化座は戦時下の1942年(昭和17年)に井上正夫演劇道場のメンバーであった演出家の故佐佐木隆、女優の故鈴木光枝らによって結成され、同年4月第1回公演梅本重信作「武蔵野」で旗揚げしたとのことです。現在在籍の俳優さんでは佐々木愛さんとか伊藤勉さんのお名前がありました。

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大龍寺は真言宗の寺院で堂々とした山門と大きな本堂が目を引くお寺でした。墓地には陶芸界の先駆的役割を果たした板谷波山、俳人・正岡子規、上皇にチェロを教えた清水勝雄などが眠っていました。
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北区立田端中学校の校歌は室生犀星ののことでした。

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第二中里踏切は、山手線の田端駅と駒込駅の間にある踏切で2005年以降、山手線に唯一残されている踏切とのことです。

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浄土宗寺院の円勝寺は、僧信阿聖法(弘安9年1286年寂)が開山し、戦国時代末期には曲輪内龍ノ口付近(千代田区)にあったようです。こちらには、石州流茶道伊佐家の墓所がありました。

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聖学院は大学・高等学校・中学校・小学校・幼稚園がある学校法人。この学校は1903年に宣教師のハーヴェイ・H・ガイ (Harvey Hugo Guy)と学習院大学教授の石川角次郎により、まず本郷森川町教会(現在の東京大学赤門付近)に設立された聖学院神学校に由来するとのことです。よく知られている方では渡辺明 (棋士)、坂東玉三郎(歌舞伎役者)、小室等(ミュージシャン)がおられます。

都立旧古河庭園ではやはり石造りの洋館が有名です。いつみても真鶴産の赤味がある小松石がいいですね。
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こちらはバラや桜の花で有名ですが今日はちょっと見られませんでした。また時期を見て伺うようです。

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平塚神社祀られているのは、源義家、源義綱、源義光。神社には『平塚明神并別当城官寺縁起絵巻』が伝わっているとのことです。
お隣には浅見光彦シリーズで知られる「平塚亭」がありました。本日は残念ながらお休み。お団子を食べてみたかったです。

滝野川消防署には併設で東京消防庁消防防災資料センターがあります。
またお隣の滝野川公園は、水と緑が多く、子どもから高齢者まで、多くの人々に利用されています。この公園の特徴は「防災公園」としての性格も有していることで、隣接する北区防災センターには、災害備蓄倉庫、応急給水槽(1500トン)、深井戸、散水塔(放水銃)などの防災設備が整っているのです。周辺には消防署、警察署、病院、体育館があり、滝野川公園を含めた、このいったいが総合的な防災拠点になっているようです。
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西ヶ原一里塚は、江戸の日本橋から日光まで続く“日光御成道”の二里目の一里塚で、徳川時代に設置されたままの旧位置を留めており、都内では大変貴重なのです。大正時代に道路改修工事にともない撤去されそうになりましたが、実業家の渋沢栄一等を中心とする地元住民の運動によって塚の保存に成功したのです。

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七社神社は火災により古記録を焼失したため、創建年代等については不詳とのことですが古くから西ヶ原村の鎮守であったようです。もとは無量寺の境内(現在の古河庭園内)にあったのが、明治初年の神仏分離の後、現在地へ遷座したようです。

渋沢翁のテーマパーク王子飛鳥山です。
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茶室 無心庵。
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豫園飯店 (ヨエンハンテン)は本格的な中国料理で久しぶりに美味で、最後の杏仁豆腐もおいしかった。

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関の甘納豆は竜野川2−7−7の甘みのお店で創業90年の甘納豆専門のお店。大納言は北海道産小豆使用。周りにはグラニュー糖をまぶしており、軟らかくて上品な味でした。
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本日は講師大山先生とTD間宮さんのコンビに付き伴われてのウォーキングでした。
このコースは2019年に訪れた所です。今日の講師,大山先生の説明には初めての話が多く非常に目新しく感じました。そしてつくづく実感したのは東京って様変わりが激しいのです。
本日は午後王子神社の予定でしたが、今年年明けにすでに伺っていましたので午後はエスケープして早帰りさせていただきました。
ということでまた次回が今月葛飾区ですから楽しみです。
posted by yunofumi at 10:40| あちこちウォーク

2023年03月06日

2023.3.3 江の島めぐりと寒桜

私の地元、上福岡はここ数日暖かく、上福岡中央公園では寒桜が満開になりました。
そして今朝は5時前に起きてすぐに出発準備。昨夜、今回のツアー出発場所が朝霞と気づき、超ビックリ。どうやら申し込み時の勘違いかもと思い直しての今朝なのです。集合はまだ夜明け前のため、少し薄暗っかたですが、でも元気にステップトラベルバスツアー41名がそろって7:30に出発。

JR朝霞駅南口⇒江の島⇒鶴岡八幡宮⇒横浜中華街⇒ファクトリ⇒朝霞駅

まずは約100km先の江の島へ急行です。途中の狭山PAでのトイレ休憩や交通事故渋滞などありましたがAM9:00頃には江の島に到着しました。
江の島弁天橋はこれぞ観光地という感じでした。
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1891年、江の島に初めて木製の橋が架かり、その後、1959年に現在のコンクリート橋に架け替えられた弁天橋なのです。通行は無料とのこと。歩行者用の弁天橋の隣には、自動車専用の「江の島大橋」もあり、こちらは夜間通行禁止。したがって深夜、江の島へ車では渡れないようです。

そもそも江の島(えのしま)は神奈川の陸繋島で、同島全体を指した町名で片瀬地区(旧片瀬町地域)に属するとのこと。江の島一丁目および江の島二丁目があり全域で住居表示が実施されているようです。

さすが観光地です。商店街前の路面には貝のタイルがはめ込まれていました。
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すぐに有名な青銅の鳥居到着。
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江の島弁財天信仰の象徴である青銅の鳥居は1747年(延亨4年)に創建。現在のものは1821年(文政4年)に再建されたもの。約200年の間、潮風をうけながらも姿をそのままとどめているとのこと。両柱には再建に協力した寄進者の名前が記され、信仰の厚さを物語っています。鳥居をくぐると江島神社へと続く参道で、土産物屋がずらりと並んでいます。
その後はだらだらと弁財天仲見世通りを上り瑞心門・朱の鳥居をくぐりました。
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更に上り、辺津閣(江島神社)まで伺い、お詣り。
1206年、時の将軍・源実朝 が創建。1675年に再建された後、1976年(昭和51年)の大改修により、権現造りの現在の社殿が新築されたのです。
今日はこれで時間切れなので駐車場に戻りましたが実はこの江の島の頂上には江の島シーキャンドルや江嶋神社(中津宮)江の島大師もあるとのことでしたからまた気候の良いときに来ることを心に秘めました。
今日は江嶋神社の御朱印をいただけたことで満足。

鶴岡八幡宮はコロナ禍が少し落ち着いたことがはっきりわかるほどの込み合いようでした。
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今日は全国旅行支援で代金20%OFFと「いざ、神奈川クーポン」で2000円分をいただいていたのでちょっとお得な思いもしました。
ということで定番の鳩サブレ―をゲット。また鎌倉彫吾妻屋で根付の猿と羊もゲット。
鎌倉彫の 根付も購入し、これでお土産は十分。
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時間的制約があり小町通りまで見物できませんでしたが、色々新しい建物も目につきました。そのひとつが「英国アンティーク博物館」。これはちょっと気になりました。ここでの再訪を心に決めました。
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横浜中華街はすごい混雑。
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福満園別館にはちょどお昼に到着。単品で次々に提供されましたがこれが一番辛かった!
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次はちょっと離れて横浜旭区に移動して高木ファクトリーへ。超高級なムートン製品を見て私などは目の保養。それでも購入の方が数名おられたようで業者としては大喜びの様子でした。

こうしてPM6:00には朝霞駅に到着でしたから本日は上々のバスツアーでした。途中観光はほぼ1時間自由行動でしたから自宅に帰れば13000歩も上々という具合。多分バスの移動は往復290kmくらいだったでしょうか。若い男性の21歳添乗員さん頑張っていました。コロナ禍の少し下火の時でしたからお陰様で久しぶりにお土産もゲットし、呑気なツアーに知人と参加でき、リフレッシュいたしました。
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また週明けから日々がんばります。
posted by yunofumi at 14:40| ドタバタ日記

2023年02月04日

2023.1.26 さいたま新発見 ぶらり街あるき 川越市

本日は馴染みのある川越の街歩きです。朝10時集合の参加者16名はこの混雑する街歩きにはベストの人数でした。

東武東上線川越駅⇒稲荷大社⇒川越八幡宮⇒まるひろデパート⇒吉野園⇒新富町山車⇒小江戸蔵里⇒てんこもりラーメン⇒湯ゆうらんど⇒山田屋⇒連雀町繁栄会⇒川越熊野神社⇒轟屋⇒蓮馨寺⇒立門前商栄会⇒はたごこえどや⇒大野屋⇒旧川越織物市場・旧栄養配給所⇒蔵造りの街並み・伊勢源・川越商工会議所・仲町観光案内所⇒山崎美術館⇒まめ屋・仲町信号⇒星名歯科医院⇒うなぎ傳米⇒椿の蔵⇒旧埼玉りそな銀行本店⇒料亭山屋⇒行傳寺⇒養寿院⇒菓子屋横丁⇒時の鐘⇒陶舗やまわ・陶路子(とろっこ)⇒新井武平商店⇒川越まつり会館⇒大澤家住宅⇒弁天長屋⇒川越市役所・川越譲大手門跡⇒和菓子龍月⇒川越氷川神社⇒川越市立博物館⇒川越城本丸御殿⇒三芳野神社⇒成田さん別院⇒喜多院・五百羅漢⇒泥棒橋⇒埼玉病院⇒新町浄水場⇒川越城富士見櫓跡⇒西武新宿線本川越駅⇒東武東上線川越市駅

川越には町中に東武東上線川越駅、東武東上線川越市駅、西武新宿線本川越駅と3つの駅があります。一番古い西武新宿線本川越駅は、川越市内では最初の鉄道駅として1895年(明治28年)に開業し、125周年を迎えたとのこと。 西武新宿線の前身の川越鉄道(川越<現在の本川越> 〜 国分寺間)は、現在の西武鉄道で最初に開業した鉄道路線なのです。
東上線は開業時、「川越西町駅」で今の新河岸当たりで市街地からはずれていたのですがその後、川越町駅(現在の川越市駅)、そして川越駅ができたようです。

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川越八幡宮の御祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)と倉稲魂神 (物部神社)。 1030年(長元3年)、甲斐守源頼信により創建。源頼信が平忠常の乱平定の祈願をここで行い、戦勝に感謝し創祀したようです。
境内にある民部稲荷神社(相撲稲荷)は足腰を強くするという御利益で、箱根駅伝出場選手などに人気があるようです。
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また明仁上皇御生誕を記念して1993年(昭和8年)に境内に植樹された夫婦銀杏の神木があり、良縁、夫婦円満に御利益があると言われている。
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小江戸蔵里は、この場所で1875年(明治8年)に創業した旧鏡山酒造の建築物を、当時の面影を残しつつ改修した施設。市民と観光客との交流、地域の活性化を図りまた、川越市の物産等を楽しんでもらおうと平成22年10月に誕生。施設は明治・大正・昭和の時代に建てられた酒蔵を改装。おみやげ処(明治蔵)、まかない処(大正蔵)、ききざけ処(昭和蔵)の3つの蔵と、つどい処(展示蔵)からなっています。ということで川越のことを知りたい方はこちらに来ると手っ取り早いのです。

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川越熊野神社は『明細帳』によると1590年(天正18年)に蓮馨寺二世然誉文応僧正が紀州熊野より勧請したことが始まり。以後、松郷の人々が氏神として崇敬した開運・縁結び・厄除けの神社です。その後の1713年(正徳3年) 蓮馨寺十六世然誉了鑑僧正の時、社殿を改築し鳥居を石造りとしたのです。 御祭神は熊野大神で伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉册命(いざなみのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)の御四神です。
境内は八咫烏(ヤタガラス)だらけ。八咫烏(やたがらす)はサッカー日本代表のシンボルマーク。勝利に導く八咫烏は、日本サッカー協会公認のお守り「勝守」のデザイン。
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蓮馨寺(れんけいじ)は、連雀町にある浄土宗の寺院。山号は孤峰山。院号は宝池院。ご本尊は阿弥陀如来。河越(川越の元の言い方)夜戦後の1549年(天文18年)、武蔵国河越城主大道寺政繁の母・蓮馨が開基。開山は大道寺政繁の甥にあたる感誉存貞上人。存貞上人は増上寺第十世法主となった方。また源誉存応上人(増上寺の十二世法主)など代々、高僧が住職となったていたのです。

旧川越織物市場・旧栄養配給所はこれらを復活させるべく、只今工事中。よく調べると旧川越織物市場(川越市所有)は、明治後期に建設され、産業遺構として当時の姿を残す全国的にも希少性の高い建物とのこと。また、施設内の旧栄養食配給所は、中小織物工場主たちが従業員のために設立したもので、同じく貴重な建物だそうです。これらの物資の集散地川越の繁栄を今に伝えていきたいようです。現在、文化財としての復原を行うとともに、建物を生かすため、クリエイター等の創業や新たなビジネスを創出する活動を支援する文化創造インキュベーション施設として活用するための整備等を行っているとのことでした。

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川越には「蔵造りの町並み」が今も残っています。蔵造りは類焼を防ぐための巧妙な耐火建築で、江戸の町家形式として発達したとのことです。今の東京では見ることのできない江戸の面影をとどめています。

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大正浪漫夢通り沿いの角地に建つ「川越商工会議所」は、1928年(昭和3年)に武州銀行川越支店として建てられたもの。1970年(昭和45年)より川越商工会議所が事務所として利用し、現在も現役で使われている建物です。

山崎美術館は1982年(昭和57年)に開館。蔵造りの町並みに面する老舗和菓子屋「龜屋」本店の一角に建つ蔵を利用しているとのことです。館内では、川越藩お抱えの絵師であった橋本雅邦の作品を中心に、山崎家に代々伝わる美術工芸品の数々が季節に合わせて展示されているとのことでした。

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埼玉りそな銀行川越支店蔵の街出張所は、銀行建築としても有名。1918年(大正7年)に完成し、1996年(平成8年)には国の登録有形文化財に登録されたのです。2020年(令和2年)までは現役の銀行有人店舗として使用されていたこの建物は1996年12月には、埼玉県内では初の国の登録有形文化財に登録されたのです。設計者は保岡勝也。彼が設計した建物のうち川越市内には、旧山崎家別邸と旧山吉デパートが現存している。

明治初年から五代続く老舗料亭『山屋』。美しい庭園と会席料理で有名。都会の喧騒から離れ、川越の蔵の街付近にひっそりとたたずむ料亭で、料理人が季節ごとの味わいを様々な料理で表現しているとのことでした。

菓子屋横丁(かしやよこちょう)は、川越市元町にある菓子屋・駄菓子屋が立ち並ぶ商店街。1796年(寛政8年)、養寿院の門前町として栄えていた当地に鈴木藤左衛門が、江戸っ子好みの 気取らない菓子を製造したことが始まり。昭和初期には70軒以上の店があったようです。現在は20数軒ですが、石畳の風情のある町には伝統的な手法で菓子を作り続けている店舗が並び、ノスタルジックな観光地となっています。 2015年6月、店舗のひとつより出火し5棟が全焼しましたが 現在は修復され元気に復活して賑わっていました。

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時の鐘(ときのかね)は、川越市の中心部、幸町北部の蔵造りの街並みに建てられている鐘楼(時計台)。川越の蔵造りの街並みを代表する観光名所で市のシンボルとなっています。3層構造の塔で、高さは16m。現在では機械式で1日4回(午前6時、正午、午後3時、午後6時)川越城下に時を知らせています。今日は皆で正午の鐘音を聞きました。
塔をくぐると薬師神社(もと瑞光山醫王院常蓮寺)の境内になっています。神社は病気平癒、特に眼病に対してご利益があるとされています。

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「陶舗やまわ」の一角にある「陶路子(とろっこ)」では、川越名産のさつまいもの様々な味や食感をいただける「さつまいもミニ懐石」を美味しくいただきました。

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川越まつり会館は、川越市立の郷土博物館。国の重要無形民俗文化財に指定され「関東三大祭」の一つである「川越氷川祭」(川越まつり)に関する資料を展示・伝統を保存するために2003年(平成15年)に開館しました。建築は川越の蔵造りのデザインとなっています。展示ホールでは川越まつりに実際に用いられる実物の山車を交替で常時2台展示してあります。日曜・休日には囃子の実演も各町内が交替で行っているようです。館内では祭礼の変遷や背景、祭りの準備と情景、木遣りや囃子などの紹介が行われている民俗博物館なのです。

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大澤家住宅は1792年(寛政4年)に建てられ、呉服太物を商っていた店蔵。川越町(当時)の3分の1を焼失した1893年(明治26年)の川越大火の際も焼け残り、川越商人に蔵造りを建てさせるきっかけとなった建物の一つだそうです。

観光客でにぎわう川越市の「蔵造りの町並み(一番街)」から北に50m離れた通称「弁天横丁」(東西約90m)。かつては小料理屋やバーが軒を連ねていたが、今、人通りの少なくなった横丁を復活させようと、NPO法人「川越蔵の会」(落合康信代表理事)や新たな入居者が再生プロジェクトに取り組んでいるとのことです。蔵の会は、築百年以上の長屋をリフォームし、飲食店や店舗、シェアオフィスとして若い人に格安で貸し出す計画で、初期費用の一部460万円をクラウドファンディングで募っているとのことでした。

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埼玉県川越市にある川越藩の藩庁だった城が、川越城。その大手口(玄関口)となる大手門の遺構は残っていませんが、川越市役所前に太田道灌の像とともに、川越城大手門跡の石碑が立っています。大手門は城の南に、南大手門(南門)もあったため、西大手門とも呼ばれていました。

和菓子龍月は季節の和菓子と溶けないアイス「涼しん棒」がある和菓子屋さん「龍月」は静かな通りにある小ぢんまりとした店舗ですが、並んでいる和菓子は全て手作り!龍月で、季節の和菓子と溶けないアイス「涼しん棒」、これは本葛を使った「涼しん棒」。カラフルでさっぱりとした味わいは、暑い時期の話題の商品だそうです。

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ここは川越氷川神社。ちなみに川越市内に氷川神社は当社を含めて14社あるとのこと。太田道灌が造って以来、川越の総鎮守とされ、川越藩主ら歴代領主の篤い崇敬を受けていたのです。
国の重要無形民俗文化財である川越まつり(川越氷川祭)は毎年10月14日に氷川神社にて斎行される「例大祭」、直後に行われる「神幸祭」「山車行事(祭礼)」から成り立っています。
毎年、七夕を含む夏には境内に飾られた2,000個以上の江戸風鈴に、願いを書いた短冊を結ぶ祭事「縁むすび風鈴」で賑わうのです。また敷地内には、結婚式場の氷川会館があり、埼玉県内では唯一の神社隣接の専門結婚式場として知られています。また、結婚式で執り行われる誓いの儀式「結い紐の儀」は川越氷川神社独自の儀式として商標登録されているとのことです。大鳥居は木造では日本有数の鳥居で扁額の社号は勝海舟が記したものだそうです。
2003年(平成15年)には 「絵馬のトンネル」が設けられそれは壮観でした。
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また拝殿裏の本殿は入母屋造銅板葺向拝付で、1849年(嘉永2年)に松平斉典の寄進により完成したとのことです。彫物師は、嶋村源蔵と飯田巌次郎、江戸彫りの精巧な彫刻が施されていました。
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川越市立博物館は、川越城二の丸跡に建設された川越市立の博物館。川越藩の城下町として発展してきた川越に関する資料の収集・保存・調査研究・公開を目的として建設され、1990年(平成2年)に開館した。2002年には隣に川越市立美術館が開館。 市制60周年記念事業の一つとして1981年(昭和56年)より準備を進めて建設されたもので、川越市の考古・歴史・民俗等を中心に扱う人文系総合博物館である。

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川越城本丸御殿。
川越城は、1457年(長禄元年)に、上杉持朝の命により、家臣の太田道真・道灌親子が築いたとのこと。
江戸時代には江戸の北の守りとして重要視され、代々幕府の重臣が城主となっていました。現存する建物は嘉永元年(1848年)に建てられたもので、本丸御殿の一部として玄関・大広間・家老詰所が残り、川越藩17万石の風格が偲ばれます。
川越城本丸御殿のすぐ前にある三芳野神社は、の参道は童歌「通りゃんせ」の舞台だそうです。そばに歌碑もありました。

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成田さん別院は1853年(嘉永6年)開山照温師は当時廃寺となっていた本行院に成田山新勝寺貫首照輪上人が開眼された不動明王を安置して再興されました。1876年(明治9年)成田山の末寺となり翌年には管理一切を成田山に移してより成田山川越別院本行院となったのです。

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喜多院(きたいん)は、天台宗の寺院。山号は星野山(せいやさん)。良源(慈恵大師、元三大師とも)を祀り川越大師の別名で知られています。広大な境内は池や掘を廻らせた景勝地となっています。1月3日の初大師(だるま市)、節分、長月護摩講塔、七五三、菊祭りなど諸行事があり、四季折々の行楽客で賑わっています。また毎年、正月三が日の初詣には埼玉県内の寺院の中では最も多い約40万人の参詣客が訪れるのです。
喜多院境内にある五百羅漢の石像も有名。羅漢(らかん)とは阿羅漢。略称して羅漢といいます。漢訳は応供(おうぐ)。尊敬や施しを受けるに相応しい聖者という意味だそうです。日本三大羅漢の一つに数えられています。この五百余りの羅漢さまは、川越北田島の志誠(しじょう)の発願により、1782年(天明2年)から1825年(文政8年)の約50年間にわたり建立されたもの。十大弟子、十六羅漢を含め、533体のほか、中央高座の大仏に釈迦如来、脇侍の文殊・普腎の両菩薩、左右高座の阿弥陀如来、地蔵菩薩を合わせ、全部で538体が鎮座。笑うのあり、泣いたのあり、怒ったのあり、ヒソヒソ話をするものあり、本当にさまざまな表情をした羅漢様がおられます。そして、いろいろな仏具、日用品を持っていたり、動物を従えていたりと、観察しだしたらいつまで見ていても飽きないくらい、変化に富んでいます。また、深夜こっそりと羅漢さまの頭をなでると、一つだけ必ず温かいものがあり、それは亡くなった親の顔に似ているのだという言い伝えも残っているのです。

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川越城富士見櫓跡はかつて天守閣が無い川越城の天守閣の代わりとして、見張りや防戦の足場として活躍した富士見櫓の跡地なのです。数少ない川越城の遺構として現存しています。跡地内には、御嶽神社、富士浅間神社、富士見稲荷神社が祀られています。

本日の埼玉の逸品はくらづくり本舗 の芋菓子 スィートポテト 。甘くてほくほく、いつも大好きなお菓子です。
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この川越ウォークは実は22日にも催行されたとのことでした。何しろ日曜日の川越市内の混雑はよく知っていましたので本日の参加としたのです。今日は街歩きとしては程よい混雑でした。しかし朝自宅出発時の気温はマイナス、日中も4〜5℃くらいだったようですが日差しが十分あったのでおお助かりでした。
ウォーキングは雨や風が大敵です。しかしこのあたりの寒さは歩いていれば何とかなるのです。美味しい食事をいただきましたし、皆さん共々、上機嫌で終了。本日の参加者の中では私が一番自宅が近かったと思いますがそれでも2万歩超は久しぶり。夜はストレッチをしてバタンキューでした。皆様、また来月もお会いできますように!!
posted by yunofumi at 22:46| あちこちウォーク

2023年01月26日

2023.1.21 浦和ウォーキング

本日はしばらくぶりにMBTシューズを使っている仲間と浦和の街散歩をしました。
実はこの街歩きは3年前にコロナ禍になったこともあり、しばらくぶりの参加でした。

ここで少しMBTウォーキングシューズについて書きましょう。
実はマサイ族は、美しい姿勢と抜群の運動能力で有名です。この秘密は、「自然の柔らかく凸凹した地面を裸足で歩くこと」なのです。そこでMBTは、マサイ族が裸足で歩く技術を再現したのです。身体のゆがみをリセットし、足の裏にかかる負担軽減や、日常では使用しづらい筋肉の働きを促すこと。そしてライフスタイルに取り込むことで、体幹バランスを整える、機能性シューズのパイオニアなのです。
私はもう10年以上前にこのシューズに出会い、ほぼ毎日愛用しています。以前は浦和店があったのでそちらの仲間で市内を歩き回るツアーを月1回のペースで行っていました。そのお店がなくなり自由が丘店が出来て近頃はそちらで顔出しをしています。
今日は久しぶりにお声掛けをいただき浦和市内のウォーキングだったのです。

JR浦和駅⇒裏門通り⇒玉蔵院⇒埼玉県庁⇒埼玉県地方裁判所⇒調宮神社⇒喫茶楽風⇒鰻満須屋⇒JR浦和駅

玉蔵院(ぎょくぞういん)は、さいたま市浦和区にある真言宗豊山派の寺院。山号は宝珠山。ご本尊は大日如来座像。実は本堂横にある樹齢100年以上のしだれ桜が有名で市内でも屈指の桜の名所として有名なのです。今日はまだ桜の花はありませんでしたが境内を見てまわりました。

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埼玉県庁(さいたまけんちょう)は、浦和区に所在する広域自治体である埼玉県の中心の庁舎の総称。第一庁舎(県庁)、第二庁舎(埼玉県警本部)、第三庁舎、議会議事堂(埼玉県議会)、職員会館、衛生会館、別館、危機管理防災センター等から構成されています。なかなか機会がないと訪れることがないので皆さんは珍しそうでした。私は日々第二庁舎(埼玉県警本部)の隣のビルで仕事をしていますが、何しろこの建物の古さを今後どうするつもりかと内心やきもきしています。
県庁正面近くに埼玉県庁の緯度経度:「35.85694,139.64889 北緯[North] 35°51′25″ 東経[East] 139°38′56″」と記した緯度経度を示す標識がありました。
県庁は埼玉県の中心ですから当然といえばそれまでですが今日初めて見つけました。

調宮神社(つきのみやじんじゃ)。
調神社(つきじんじゃ)は、浦和区岸町にある神社。式内社で、旧社格は県社。別称は「調宮(つきのみや)」。社名の「ツキ」により月待信仰が古くからあり、狛犬ではなく狛ウサギがある神社として知られています。ということで今年の干支は「ウサギ」ですから本日もお詣りの方がいっぱいでした。
祭神に関する伝説としては、調神社に古くから伝わる七不思議で「松が無いこと」だそうです。その伝説では、この地に姉神・弟神がいたが弟神は大宮に行ってしまい、姉神が帰りを待っても弟神は帰って来なかったため、姉神はもう待つことを嫌ったということです。この伝説に見える姉神と弟神は、天照大神(当社祭神)と素盞嗚尊(大宮の氷川神社祭神)ということでした。

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さてここまでくると近頃のコロナ禍で私など運動不足ですからまずはお茶でも、ということですぐそばの「日本茶喫茶・ギャラリー 楽風(らふ)」へ移動。こちらは通りに面しては「青山茶舗」があり、その裏にあるお店。1階が喫茶で和風洋風のお茶とお菓子があります。久しぶりですからすごく長くお邪魔し、はたと気づくとお昼!
ということで今度はすぐ近くの創業明治21年という「うなぎ満壽屋」さんへ。お昼時で30分待ちでしたがどうにかうなぎランチをいただき満足満足!
ということで本日は仲間9名と久しぶりの懇親会気分で14000歩は十分でした。そしてまた次は春の再開を約して解散しました。皆様お疲れさまでした。
posted by yunofumi at 22:32| あちこちウォーク

2023年01月18日

2023.1.15 コンサートは久しぶり

今日はふじみ野市広報誌で見つけたコンサートに行ってきました。
行く前の情報でふじみ野市音楽家協会というのがあってプロの音楽家が市内に沢山おられることを知りました。
お隣の川越市ではこのような方々のコンサートに伺ったことがあったのですが地元のことをあまり知らなかった私なのです。

表題 ふじみ野市文芸術企画提案型委託事業
Two Seasons Concert 第1章 JAZZ & NATIN 音楽
第一部 テキーラ・チュニジアの夜・スターダスト・ウェーブ・スペイン・バードランドの子守唄・ラバンバ・A列車で行こう
第二部 星に願いを・きらきら星・風の通り道・大きな古時計・故郷・シングシングシング

事前にふじみ野市音楽家協会をHPで見ると声楽・鍵盤楽器・弦楽器・打楽器等など結構な数の方々のお名前があり、びっくり。
その中から本日は6名の方々が参加。第一部はいくつか意馴染みの曲もありさすがとと思いました。第二部ではよく聞かれる曲が次から次とバリエーションを変えて演奏され本当に楽しかったです。
ちなみに会場はステライーストの大ホール500席のうち1/3程度の聴衆をいれたみたいで安心してゆったり楽しみました。
まだまだコロナ禍が続いていますが機会があればまた伺いたいと思いました。感謝!
posted by yunofumi at 16:32| ドタバタ日記

2023年01月03日

2023.1.3 お正月はまったり

大晦日は前日までに大掃除を終え、家の表の正月飾りは娘のお手製で可愛くし、準備万端での元日です。
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関東は青空一辺倒で本当に晴れ晴れした日和となりました。
元旦朝一の御節は大部分が娘のお手製。彼女がお料理好きで私はおお助かり。
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年賀状も早々に到着し、懐かしい便りもいただきとても嬉しかったです。
ちなみに私も12月中旬には出せたのでほっと一息なのです。
その後、初詣に近所の八雲神社へお出かけ。ここのところ年々きれいになっている神社でとても気持ちよかったです。
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はじめて説明板もありました。
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手水舎はお花で飾られておりいわゆる「花手水(はなちょうず)」状態できれい。
ちなみに埼玉県では行田市が街を上げて取り組んでおり、花手水があちらこちらでみられます。
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1月2日は映画鑑賞。「Drコトー診療所」
医療現場のシーンも多く、撮影はさぞ、大変だったかも、、、など色々。
でも邦画って最後の終わりがいつも中途半端なことが多いのでこれはよかったかも、ということで満足。

1月3日は王子神社詣りをしました。
実は暮れの片づけで東京十社巡りの御朱印帳を見ていたらこちらの御朱印がなかったことに気付き、伺った次第です。
Jr京浜東北線王子駅について見るとやはり以前に来たことを思い出し、神社もすぐわかりました。
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北口駅前の音無親水公園。
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王子神社鳥居前には大勢の方が行列していて結局、1時間並びました。
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本殿は相変わらず立派でした。
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こうして無事に御朱印もいただき、帰路につきました。
この三ヶ日はお陰様で晴天の日々が続き、本当にのどかに過ごせました。
ではでは、今年も相変わらずで過ごすことにいたします。
皆さま、懲りずによろしくお付き合いくださいね。
posted by yunofumi at 17:20| ドタバタ日記

2022年12月31日

2022年 一年の振り返り

今年もとうとう大晦日です。
まだまだコロナ禍が続いていますが皆様も無事に、2022年の大晦日をお迎えでしょうか。
私は相変わらず。平日は浦和の埼玉県病院薬剤師会の事務局に通勤し、バタバタと一年が過ぎていきました。
恒例で自分の行動をまとめてみましたら、
劇場での映画鑑賞20回、もっとも良かったのは「ラーゲリーより愛をこめて」。
筋トレのジム通いは毎週とはいきませんでしたが、週2回を心がけています。
読書は購入したのが6冊、図書館から借りたのもそのくらい。今年は和田秀樹先生の「80歳の壁」などを参考にして日常生活に活かそうとしています。
ツーリズムの「埼玉再発見」のウォーキングツアーはとてもまじめに10回も参加。月1の開催ですからこれで充分。
このようにいつものように過ごしましたとこの記事も終えるところでしたが、ここにきて一大ハプニングなのです。
実は11月中旬に車を運転中に追突され、自分は何ともなかったのですが車は後部が大破。修理に5週間かかり、手元に戻ってやれやれと日常の生活をしていました。そして一週間。12月中にまたしても追突されました。今度は車は少々の被害。でも、でもなのです。結果として反省をすべきは誰?ということで娘からも厳しく、年齢も考え、人身事故や自分が大けががないこのタイミングだからこそ、”運転はやめるべき”と強くお説教を食らいました。
ということで12月13日をもって、きっぱり車の運転をやめました!30歳過ぎから78歳まで無事だったこともすごいこと。ちょっと感慨深かったです。ということで運転免許は誕生日前に返納予定。
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ということでそれからの日々は電車通勤をしています。ところで今頃いうのも変なのですが、通勤で1日約8000歩、歩くことがわかり、ちょっと体調が良いのです。日々の疲れもさしたることはありません。
ということで本年も元気に年越しできそうです。
今年もお世話になりました。
皆様もどうぞお元気にまた新しい年をお迎えください。
posted by yunofumi at 20:34| ドタバタ日記

2022年12月07日

2022.12.4 さいたま新発見 ぶらり街あるき 鶴ヶ島市

東武東上線若葉駅⇒雷電池公園・雷電社⇒鶴ヶ島メモリードホール⇒クリーム本舗⇒下向公園・龍蛇ふる里会館⇒安養山善能寺⇒白髭神社⇒東江物産⇒鶴ヶ島第一小学校⇒才道木日光街道道しるべ⇒脚折才道木信号⇒鶴ヶ島保健センター⇒日枝神社⇒JAいるま野鶴ヶ島農産物直売所⇒旬彩ぷらんたん⇒若葉駅


鶴ヶ島市は地図で見ると埼玉県の中ほどですが、一般的には西部地区に位置している感覚です。武蔵野台地や入間川があるので土地としては平坦。ということで本日は広々した土地をひたすらウォーキングなのです。人口約7万人。ゆるキャラは「つるゴン」。“鶴”は幸せを運ぶこと、脚折雨乞(すねおりあまごい)で有名な“龍(ドラゴン)”も幸せを運ぶということで平成19年にできたようです。
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若葉駅(わかばえき)は、1979年(昭和54年)にできた東武鉄道東上本線の駅。駅舎は立派で場所的には坂戸市にあるようですが駅の西口と池袋寄りは鶴ヶ島市とのことでした。

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雷電池公園(かんだちがいけこうえん)は伝統行事“脚折雨乞”の聖地。この行事は国の選択無形民俗文化財、鶴ヶ島市の無形文化財。4年に一度の開催でこの雷電池児童公園が舞台。麦わらと竹や荒縄で作られた長さ36m、重さ約3tの龍神が近辺を練り歩いた後、雷電池に入りクライマックスなのです。普段は今日と同じに静かな池が中心の公園ですが木々の緑と水の神様が守っている公園なのです。
雷電池
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雷電社。
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下向公園(げこうこうえん)に龍蛇ふる里会館がありミニチュアの龍神がありました。
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真言宗智山派寺院の善能寺は、正式には安養山蓮華院。善能寺の創建年代等は不詳とのことですが、鎌倉時代の創建ということでした。栄慶法印が1596年(慶長元年)に中興開山。
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薬師堂に残されている鰐口は栄慶法印が穀断ちして1650年(慶安3年)に薬師堂を建立した際に掛けられたもので、鶴ヶ島市有形文化財とのこと。

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明治8年にはこちらの本堂が学校に供用され、鶴ヶ島学校が開校しています。
鐘楼も立派でした。
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白髭神社(しらひげじんじゃ)。
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白髭神社の旧社格は村社。全国に存在する白鬚神社のうちの一つ。ご祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)と武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと)。

本殿裏には埼玉県天然記念物の脚折のケヤキがありました。白髭神社のご神木で樹齢900年以上、幹回り7m、樹高17mとのことでしたが昭和47年に台風で大枝を折り、それ以降防腐処置等を施され現在の姿だそうです。
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こちらが鶴ヶ島市最古の鶴ヶ島第一小学校。
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現在より以前の校舎が文化財整理室として保存されているようでした。
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才道木日光街道道しるべは、鶴ヶ島市脚折にある名所旧跡です。これは、日光脇往還(八王子と日光を結ぶ)と越生道(川越と越生を結ぶ)の交差点に、文政4年(1821)に設置された道しるべとのことです。

日枝神社。
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日枝神社の秋祭りには倉の獅子舞が行われたようです。
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高倉日枝神の創建年代等は不詳。高倉朝臣(高麗福信)が近江国から武蔵国に移住した際に日吉大社を勧請したとも伝えられているようです。高倉村の鎮守として祀られ、明治維新後の社格制定に際し明治5年村社に列格、明治40年に、字神明の神明社、字熊野の無格社熊野神社、字富士塚の無格社浅間神社を合祀。祭礼で奉納される高倉の獅子舞は、鶴ヶ島市無形文化財となっています。

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JAいるま野 鶴ヶ島農産物直売所は鶴ヶ島市産を中心とした新鮮な野菜、花、竹の子、山菜類などの他、4月下旬から販売する「野菜の苗」が人気の直売所。今日はホウレンソウがいっぱいでした。
埼玉県は全国的にも里芋とねぎの収穫が多いようです。

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旬彩ぷらんたんはどちらかといえば欧風料理のお店。
サラダはしっかり多めの野菜とロールキャベツはこってり煮込んであり大きい。デザートはカボチャプリン。満腹!大満足でした。
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お土産は埼玉の逸品で「鶴ヶ島最中」と「狭山茶」、そしてJAで購入した「サフランの花芯」。
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「サフランの花芯」はサフランティー、サフラン酒、サフランライスとして楽しめそう!!
この製品は城西大学薬学部でISO評価をした品物のようでした。

本日は最高気温17℃、晴天、ほぼ無風で気持ち良くウォーキングしました。
午前で12000歩でしたので、午後はエスケープしました。何故って!いつも城西大学に通いなれた道筋だったからです。ということで早めの帰宅後は真面目に主婦をしました。
次の年明けは「川越市」。ここは何度言っても楽しめますから!皆様ではよいお年を!
posted by yunofumi at 17:02| あちこちウォーク