2020年02月12日

2020.2.11 あれこれ大忙し

関東はようやく冬晴れの日が続いています。体調も回復してきたので友人のお誘いをいただき、ここ数日大忙しでお出かけをしました。

2/7森山良子コンサートへ。
ウエスタ川越の大ホールは3階席まであり1700席もあるホールで音響は素晴らしく木の香りも感じられて素敵なところでした。自席は3階でしたが十分に楽しめました。演奏は16:00〜18:30まで。「この広い野原いっぱい」「さとうきび畑」「涙そうそう」などなど聞きたい曲はすべて堪能。長男は森山直太朗さんとは知っていましたが72歳にはびっくり。伸びやかな歌声とお元気な様子に負けてはいられないと思いました。素晴らしかったです。
その後、「いも膳」で食事。このお店はサツマイモ料理のお店。本日はいも懐石をいただきました。
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先付け・前菜・椀物・焼き物・蒸し物・お凌ぎ・甘味・デザートすべてサツマイモが含まれており、おまけに美しくて、美味しい。是非、皆様も伺ってみてください。

2/8朝日健康・医療フォーラム2020へ。
有楽町朝日ホールにて12:00〜17:05まで。
セッション1:自分なりの「生涯現役」
 演者は渡辺昌彦北里大学北里研究所病院長、脚本家の大石静さん、漫画家の内田春菊さん。
 大石さんと内田さんは病気の経験を、渡辺先生は治療のことなど、かなり面白かったです。
セッション2:唾液力を高める〜口のケアで健康長寿
 演者は槻木恵一神奈川歯科大学大学院教授と植田耕一郎日本大学歯学部教授。虫歯や歯周病を防ぎ口腔ケアをすれば健康寿命は伸びる。また唾液の働きが有効なことが説明されました。このセッションが一番よかったです。
セッション3:外にでよう、旅行へ行こう
 演者は冒険家三浦雄一郎さんのエベレストなどの登山に国際山岳医として参加した大城和恵医師と瀧靖之東北大学教授。三浦雄一郎さんがとても身近なそれでいて超人なのは日ごろがあるからと伺いました。
このフォーラムは朝日新聞の広告を見て申し込みました。抽選だったのに2名分が当選したので友人と参加しました。700席もある広い会場でした。また大部分が高齢者で私と同様3セッションとも参加され、とても皆さん熱心でした。面白かったことは野菜の摂取が十分かを測る機械があり私は十分クリアしていてヤレヤレだったのです。

2/11白糠町(しらぬかちょう)ふるさと納税感謝祭へ。
東京駅前丸の内ビルディング35Fサンス・エ・サヴールにて12:30〜15:00までフレンチフルコースをいただきました。
このイベントは北海道白糠町のふるさと納税が多くの方々から寄せられたことからその方々の中から抽選で白糠町の食材をつかった食事のご招待だったのです。抽選倍率約80倍のところ友人が当選したのでお誘いがあり同席させていただいた次第です。またおもてなしは町長さんはじめ生産者の皆さん、それにサンス・エ・サヴールのシェフが親しくテーブルを回り色々お話を伺いました。
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御食事では白糠町の特産のいくら・サーモン・シシャモ・蝦夷鹿肉などがふんだんに出てきましたので只々美味しくいただきました。

イクラを使った一口前菜。
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前菜は柳ダコ・数の子とツブ貝、モッツアレラチーズなどの組み合わせ。
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エンペラーサーモンとししゃもなどのお魚料理。
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蝦夷鹿ロース・タンタカとじゃがいものガレットのお肉料理。
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鹿肉は初めてでしたがとても美味しかったです。

デザートはリコッタチーズとアイスクリーム。
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今日は日本晴れで丸ビル35階は展望がよく富士山や街並みを見られてとても気持ちよかったです。
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私は一時期、室蘭を中心に北海道で暮らしましたが一度も白糠町に伺ったとこがなかったのでこれを機会にふるさと納税はもちろん、白糠町をぜひ訪問したいと思いました。
皆さまごちそうさまでした。
posted by yunofumi at 17:11| ドタバタ日記

2020年01月20日

2020.1.20 さいたま彩発見ぶらり街あるき 第7回北区

令和2年になって最初の本格的なウォーキングです。お天気もほぼ快晴のなか、元気に22名が出発です。先導はいつものように喜多見修一先生、TDは小松さんです。

東武アーバンライン大宮公園駅⇒寿能町2丁目⇒寿能城跡⇒西縁見沼代用水路・見沼緑道⇒御嶽社⇒東野第9踏切⇒土呂の地蔵堂⇒見晴公園⇒市民の森見沼グリーンセンター⇒神明橋通り⇒神明社⇒JR土呂駅⇒盆栽レストラン大宮⇒大宮盆栽美術館⇒藤村園⇒盆栽町会館・神徳庵大社⇒さいたま市立漫画会館⇒芙蓉園⇒大宮盆栽町郵便局⇒盆栽四季の家⇒JR宇都宮線土呂駅

東武アーバンラインは元々東武野田線といわれ大宮駅から千葉県の柏駅を経て船橋市の船橋駅を結ぶ東武鉄道の路線。「東武アーバンパークライン」の愛称は2014年4月につけられたようです。 東武鉄道で唯一、千葉県内を通る路線とのことです。

大宮公園駅は1929年(昭和4年)の開業で2015年に現在の駅舎になったようです。大宮公園には埼玉県立歴史と民俗の博物館、大宮競輪場、埼玉県営大宮公園野球場、さいたま市大宮公園サッカー場(NACK5スタジアム大宮)、大宮第二公園、そして本日伺う大宮盆栽村もあり、風光明媚なところでもあります。

寿能城(じゅのうじょう)跡。
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1560年(永禄3年)頃に、岩槻太田氏の岩付城の支城として建設され、初代城主は、岩付城主太田資正(三楽斎)の四男?の潮田資忠(母方の姓)であったとのことです。岩付から見て西方の、見沼の対岸に築城されたのです。氷川神社を後ろにしており、位置としては大宮台地のほぼ中央でその先はかっては見沼の入江となっており水に囲まれた城だったようです。城の最後は徳川家康に下った古河藩家老潮田資忠の子孫や潮田家遺臣で資忠の墓碑を城跡に建て、これが現在みられるのです。

見沼代用水西縁(みぬまだいようすいにしべり)は、上尾市・さいたま市・川口市を流れる灌漑農業用水および都市用水路。
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見沼緑道は、見沼土地改良区と水資源公団による見沼代用水改良工事によって生まれた空間地を利用して造られた遊歩道で、JR宇都宮線土呂駅と東大宮駅の中央付近から見沼代用水沿いに下って、東武野田線の付近で一旦迂回し、大和田公園の入り口まで続いています。したがって本日もウォーキングするところも含め、見沼公園・神明社・市民の森・見晴公園・大和田公園などがあるとのことです。
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見沼緑道では途中にあった案内板からわかったとこは、かおり木の道・小鳥と花の道・風と花の道・フローラの泉・杜の道・花かすみの道などを今日は通ったのです。また所々で咲いていた蝋梅の香りがよかったです。
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土呂の御嶽社は全国にある御嶽神社の一つ。旧武田家臣で徳川旗本だった初鹿野氏が氏神として甲州から勧請した神社のようです。
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土呂の地蔵堂は旧武田家臣で徳川旗本の初鹿野氏が自身の陣屋(土呂陣屋)内に建てたもののようです。今日は扉が閉まっていたので建物のみを見ました。
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見沼田んぼには、白い風車のシンボルがある「見晴公園」がありました。「見晴公園」は「市民の森・見沼グリーンセンター」の隣で見沼たんぼの北部にあたり、公園の東側に芝川が、西側に見沼代用水西縁が流れています。春には、風車の前に菜の花畑が広がり、菜の花畑と白い風車が絵になり、桜も満開ならなおさらきれいな景色が見られそうです。
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市民の森見沼グリーンセンター。
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面積約14uの自然と接して楽しめる憩いの場で、常緑樹、落葉樹が植えられ四季を通して豊かな緑があふれる市民の森、広大な芝生広場、シマリスを放し飼いしているりリスの家、展示温室、盆栽展示場、健康歩道、林間テラス、見沼グリーンセンター本館などの施設がありました。

子リスのトトちゃん像とリスの家
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リスの家には、広めの敷地の中にシマリス約100匹を飼育していて、シマリスの可愛い仕草や姿、生態などが間近で観察が出来ます。今日は冬眠中なのに暖かかったためちょろちょろお出かけしていた5匹を見ることができました。
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土呂神明社の創建年代等は不詳ということですが、源義家の伝説に比定される杉の樹齢が約八百年だったことから中世の創建ではないかということです。明治6年村社に列格、明治40年村内にあった字御嶽御嶽社(境内社三峯社)、字稲荷山稲荷社、字植嶽稲荷社(境内社神明社)、八雲社を合祀したとのことです。
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土呂駅(とろえき)は、埼玉県さいたま市北区土呂町一丁目にある東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線の駅。この路線は「宇都宮線」の愛称区間に含まれており、上野駅発着系統と、新宿駅経由で横須賀線に直通する湘南新宿ライン、上野駅・東京駅経由で東海道線に直通する上野東京ラインが停車します。 開業は1983年(昭和58年)10月。2017年(平成29年)にさいたま市で「第8回世界盆栽大会 in さいたま」が開催され会場のさいたま市大宮盆栽美術館の最寄り駅であったことから改札などへの盆栽の配置や、駅構内におけるフラッグや盆栽のモチーフが飾られたようです。駅舎の前にはオブジェのように大きな盆栽が今でもあります。
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さいたま市立漫画会館(さいたましりつまんがかいかん)は、「日本の近代漫画の先駆者」・「日本初の職業漫画家」とされる漫画家、北澤楽天の晩年の居宅跡に1966年(昭和41年)11月に開館した施設です。公立美術館として日本初ですし漫画を主な収蔵品とするマンガ・アニメミュージアムとして知られているとのことです。
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盆栽町会館のお隣に神徳庵大社と清水瀞庵翁紀功碑がありました。この方は関東大震災後最初にこちらに移住した方でこの盆栽の町を作った功労者とのことです。
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さいたま市大宮盆栽美術館。
旧大宮市には1923年(大正12年)の関東大震災で被災した東京小石川周辺の盆栽業者が移住して形成された盆栽村があり、今も盆栽の町として知られています。
この大宮盆栽美術館は盆栽の魅力を発信するための観光施設として、2010年に開館したとのことです。
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盆栽村を開拓した先人達の先見性から、現在の道路幅も当時造られたそのままで、ほぼ碁盤の目状に造られ、道の両側にはさくら、もみじ、かえで、けやきなどの木々が植えられていました。それらの道は「けやき通り」「もみじ通り」など植えられた木の名前が付いており、盆栽四季の道と今も呼ばれています。
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途中にはお休み所「盆栽四季の家」がありました。ここで盆栽最中を美味しくいただきました。
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盆栽村は今、盆栽町という珍しい町名となっておりました。各盆栽園は自由に見学できるとのことです。今も営業中の盆栽園は、芙蓉園・九霞園・清香園・蔓青園・藤村園・松雪園とのことで特に芙蓉園には中に入ってみることができました。
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盆栽レストラン大宮。
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さいたま市大宮盆栽美術館のお向かいにありました。6年前に開業したそうです。
盆栽教室もやっているとのことで私を含め数名がウォーキング終了後苔玉つくりをしました。
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12月に腰痛が出て1か月は自重していましたが本日はお陰様で1日元気に過ごしました。気温9℃、ほとんど風なしの中、参加者全員が元気にゴールしました。さいたま市内ウォーキングも順調に回を重ねており、もうすぐ10区すべてが終わりそうです。その後は県内各市を巡るウォーキングがはじまるとのことです。また元気に参加できるように日頃から足を鍛えることを忘れないようにしたいです。
皆様、またお会いしましょう。
posted by yunofumi at 22:51| あちこちウォーク

2020年01月04日

2020.1.4. 草加宿七福神めぐり

新年 おめでとう ございます
新しい年を迎え埼玉もこのあたりは連日よい天候が続いております。
元旦は家族でおせち料理やお雑煮をいただき、いつもの通り初詣へ。
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近所の八雲神社と多聞院へ。
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そして年賀状のいただいたのを楽しく拝見し、その後はまだ出していなかった方々へ急いで年賀状を作成し、投函。

2日は映画「男はつらいよ お帰り 寅さん」を拝見。
実にうまく作ってある映画で「ほろりとしたり、笑ったり」。忙しかったです。何より画像がきれいで感心しました。

3日も映画鑑賞。名作をいろいろ取り上げている「午前十時の映画館」のシリーズで「ショーシャンクの空に」でした。これは1994年に公開されたアメリカ映画で刑務所内の人間関係を通して、冤罪によって投獄された有能な銀行員が、腐敗した刑務所の中でも希望を捨てず生き抜いていくヒューマン・ドラマ。 とても心打たれる映画できた。

本日は草加駅に10時集合で友人のMさんと草加宿七福人めぐりをしました。

草加駅・おせんさん像⇒高砂1丁目⇒回向院⇒三峰神社⇒八幡神社⇒藤城家⇒草加住吉郵便局⇒大川本陣跡⇒清水本陣跡⇒氷川神社⇒元祖源兵衛せんべい⇒東福寺⇒草加八潮消防局⇒谷古宇稲荷神社⇒神明宮⇒おせん公園・河合曽良像⇒草加宿芭蕉庵・松尾芭蕉像⇒谷古宇橋⇒出世弁財天⇒矢立橋⇒草加松原⇒ハープ橋・浦寺橋⇒草加駅

草加宿は江戸時代に栄えた宿場。松尾芭蕉などが日光街道を歩んだ所。草加の七福神めぐりは平成13年にスタートし七福神と宝船を加えた8か所を巡った後、草加松原のある矢立橋と札場河岸公園でゴールのように作られており歩程としては約4.1kmとのことでした。

@回向院(布袋尊)
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ここは1653年(承応2年)に開創。本堂に阿弥陀三尊が鎮座。外陣に呑龍上人像があったので足や頭をなでてきました。お正月の時期だけということで布袋尊を拝めました。
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A三峰神社(寿老人)
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この小さな神社は秩父の三峯神社神社を本社としておりお犬様といわれるオオカミがまつられていました。お正月ということで社殿横に南極星の化身といわれる寿老人の木像が見られました。
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B八幡神社(恵比寿)
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この神社は1700年前半(亨保年間)に創建とのこと。社殿内には野口金蔵の天井絵、大きな雌雄一対の獅子頭、恵比寿神像がありました。
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すぐそばに藤城家がありました。この家は街道に面して建つっていました。木造二階建、切妻造桟瓦葺で、正面に下屋を設けています。正面構えは、一階はガラス戸を、二階は格子をたて、軒は太い腕木で桁を持出し、出桁造りです。建ちが高く風格ある趣を持つ昭和初期の商家で、宿場の面影を十分に伝えていました。
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そばには古い道案内の石柱も凛とそびえていました。
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近くには大川本陣跡と清水本陣跡の石碑がありました。
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C氷川神社(大黒天)は草加宿の開祖大川図書の没後、地域の氏神様として親しまれているとのこと。社殿横の小さなお社に大黒天が鎮座されていました。
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東福寺手前に元祖源兵衛せんべいを発見。
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焼きたてをいただいて小休憩しました。
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D東福寺(毘沙門天)
江戸時代に草加宿の開祖大川図書創建。本堂は地域最大で立派。
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お正月の時期だけのようですが毘沙門天が御開帳されていました。
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山門の彫り物が素晴らしかったです。
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E谷古宇稲荷神社(福禄寿)
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草加消防署わきからくねくねと進むとあった神社です。ここは旧谷古宇村の鎮守社とのこと。在の方が詰めておられ境内もとても清らかでした。母子狐と雄狐が社殿を守っておりました。七福神もよく見えました。
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通りに出ると芭蕉さんとともに旅した河合曽良さんの像がありました。
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F神明宮(しんめいぐう)(七福神宝船)
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1615年(元和元年)建立。約100年後にこの地に移転して草加宿の総鎮守となったようです。
そこにこの七福神宝船があったのです。
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そばのおせん茶屋公園には「草加せんべい発祥の地碑」もありました。
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G出世弁財天(弁財天)
札場河岸公園の綾瀬川を挟んでお向かいにありました。
朱色のミニ階段と鳥居が目印でした。弁財天様は出世の願いを聞いてくださるとのことでした。

その後芭蕉庵や芭蕉像を見て矢立橋、草加松原、ハープ橋、浦寺橋も見た後草加駅に戻りました。
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本日は気温10℃晴天でほとんど風もなく、のんびりした草加七福神めぐりでしたので約3時間と予定の倍の時間を費やしました。街中には市が作成した案内板もあり、どうにか終了できました。歩程約2万歩は久しぶりでしたが、完歩できて大満足。これでまた今年もウォーキングに精出すことができそうです。草加観光協会のスタンプラリーもきちんと作成できて大満足でした。
posted by yunofumi at 22:43| あちこちウォーク

2019年12月31日

2019.12.31 一年の振り返り

今年は5月に年号が変わり初めて経験した変化の年でした。災害も多く悲しいニュースも多かったです。
それでも私個人は無事にまずまず元気に過ごせた1年でした。
人生100年を過ごした方々が7万人とかうかがっていますが、自分はまずはそこまでは行けないだろうと思いつつ、できるうちは何事も「やってみたい」の気持ちを大切に今度も過ごしたいと思っております。

活動としてはやはりウォーキング、ジム通いと仕事が相変わらず中心でした。
ウォーキングは日帰りツアーも含め32回、月に1〜2回程度。1回の歩程は約10km程度。
スポーツジムBee Quickへは相変わらず週2を心がけています。
その他、映画鑑賞は25回、図書館の図書貸し出し16冊。それでも印象としては本を購入したのも多く、就寝前には約1時間読書をするようになりました。
ウォーキングツアーではツーリズムの「横浜18区散策」があと2区(これは来春完歩予定)を残すだけとなり、逆に今春からは「さいたま彩発見ぶらり街あるき」がはじまりました。これに参加して思ったことは「埼玉を知らない」ことを実感。そこで映画も本もなるべく埼玉が関係するものを見分するようにしました。最近では“埼玉三偉人”、渋沢栄一、塙保己一、荻野吟子のお三方の伝記を読みました。
遠出は「小布施〜松本へのドライブ」や「しまなみ海道を巡る旅行」に行けたことも嬉しかったです。
こうして振り返っているとお陰様で家族も含め元気に過ごせたことを感謝です。
そうそうもう一つ大事なことです。
前回のこのブログ記事から1ヶ月も書き込みができなかったことの説明です。12月1日の皇居からの帰り、パレスホテルの地下レストラン街でお蕎麦を食べた後、腰に痛みが出て約一週間寝込みました。家族の手助けをもらって病院にも受診し、神経痛といわれ、とても凹みました。お陰さまでここ数日の大掃除などをできるほどに今は回復しました。でも精神的なショックは残っており、来年の過ごし方をこの年末年始の休みにとっくりと考えてみるようです。まあもう若くないという自覚を持つことですかね。
また来年は鼠年ということで近頃、亡き母を思い出しております。存命なら100歳を過ぎていることになりますが70歳代で亡くなっていますので今、自分がその年齢に近づいていることも肝に銘じておかねばと。生きた時代や生活背景が違いますから何とも言えませんがやはり健康に気をつけ日々元気に過ごすことを頑張らねばなりません。2020年はオリンピックもあり何かとざわつきそうです。世間の動きと相まって自分を忘れずに過ごしたいと思っております。
では来年も頑張りましょう!みな様良いお年をお迎えください。
posted by yunofumi at 09:18| ドタバタ日記

2019年12月02日

2019.12.1天皇御即位記念 大嘗宮(だいじょうぐう)・皇居乾通り 特別公開

大嘗宮(だいじょうきゅう)は、天皇陛下が五穀豊穣と国民の安寧を祈る儀式が行われる場所で名立たる宮大工によって造られた建物。古式ゆかしい貴重な大嘗宮は、11月21日から12月8日まで公開予定!と伺っておりました。
乾通りは、乾門から宮内庁庁舎前に至る乾濠及び蓮池濠沿いの約750mの通りです。 両側にさくらや紅葉がとてもきれいで春と秋に公開されます。
昨日、TVで皇居乾通りの紅葉と大嘗宮を見られると情報が流れました。11/30と12/1は晴天とのこと。公開初日の11/30は7万人の人出が、翌日は11万人の人出が予想されるともいわれました。
ずっと以前にお正月の一般参賀や桜の時期に乾通りを通り抜けて楽しんだことがあります。
人が多くても近頃の警備体制が徹底されているので心配ないだろうとお出かけしました。
東京駅到着AM11:30 行幸通りは皇居に向かう人がほとんどでした。
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和田倉門手前の信号にはポリスカーも出て注意事項を連呼中!
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そこからは行列!行列!
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手荷物検査、金属探知機での身体検査を終えようやく坂下門から入場。
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この時点で正午過ぎ。まずまず順調!
まずは歩みを止めることなく紅葉を楽しみました。
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こちらはフユザクラ。
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これはシキザクラ
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こちらはイロハモミズ。
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これより天守台そばに向かいいよいよ大嘗宮に向かいます。案内の方がこれより大嘗宮まで80分のプレートを持っておられました。
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大嘗宮の後は大手門から出て、二の丸雑木林とお堀の白鳥に慰められ、帰路につきました。
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結局、15時前にはパレスホテルの地下街で空腹を満たして帰宅しました。
乾通りの紅葉は8種類、70本と伺っていましたが気候の性でしょうか色好きはそれなりでした。大嘗宮は神々しくて人々が押しかけているのに我関せずの感じでした。
今日は物見高い私の興味だけでのお出かけでしたが結局15000歩でしたから結構疲れが残りました。数日自浄してまた日常を元気に過ごしたいと思います。
posted by yunofumi at 16:08| あちこちウォーク

2019年11月21日

2019.11.17 さいたま彩発見ぶらり街あるき 第6回見沼区

本日の見沼区は人口16万人、西方から見ると見沼代用水東縁、芝川、見沼代用水西縁、深作川、綾瀬川と川に挟まれた所のようです。

東武アーバンパークライン(旧東武野田線)七里駅⇒七里停車場跡⇒七里自然の森⇒大圓寺⇒めいらく工場⇒大川ホールデングス⇒七里商工会⇒七里駅入口信号⇒風渡野バス停⇒天神社⇒風渡野緑地公園⇒半縄橋⇒大宮東警察署⇒宮ヶ谷塔バス停⇒県営大宮東門前団地⇒氷川神社⇒小深作⇒春おか広場⇒はるおかいちご園⇒野第37号踏切⇒緑のヘルシーロード⇒見沼東縁代用水路⇒中島橋⇒キットチエント(昼食)⇒深作(東)信号⇒深作氷川神社・菅原神社⇒古沢農園直売所⇒コジマデンキ⇒観音寺下公園⇒タイヤ館⇒グリーンプラネット⇒武蔵野銀行⇒宝積寺⇒春野3号公園⇒深作遊水地・深作多目的遊水地⇒深作川⇒関前橋⇒井川歩道橋⇒春野図書館⇒セブンイレブン春野図書館前店⇒アーバンみらいバス停〜路線バス〜JR東大宮駅

東武アーバンパークライン(旧東武野田線)は大宮から船橋までの35駅、約63kmの路線。途中の大きな駅としては春日部があります。七里駅は大宮から4駅目。
七里駅は1929年に開業。さいたま市見沼区にあります。

さいたま市見沼区風渡野(ふっとの)にあった七里停車場道路元標です。現在の七里駅の傍です。
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町や村で建てられたものとは異なり、道標も兼ねているようです。昭和4年に開業した東武野田線七里駅の記念として昭和5年に建てられたらしいです。

七里自然の森は埼玉県さいたま市見沼区にあり、かなり広々した自然の森。風が心地よかったです。
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この場所で清浦 奎吾の紹介を伺いました。
清浦 奎吾(C浦 奎吾、きようら けいご、肥後(熊本県)出身。(1850年3月27日(嘉永3年2月14日)〜 1942年(昭和17年)11月5日)は、日本の官僚、政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。爵位は伯爵。幼名は普寂(ふじゃく)。旧姓は大久保(おおくぼ)。彼は1872年(明治5年)に上京。以後埼玉県県令となり、そのころ埼玉県の教育に力を貸すよう求められ、埼玉県第21区小学第三校大教授申付(現・さいたま市立七里小学校)として出仕し、1873年(明治6年)には、埼玉県権少属、1874年(明治7年)には権中属、1876年(明治9年)には中属となっているとのことです。さらにその後1924年(大正13年)に第23代内閣総理大臣となっています。埼玉の有名人としては渋沢栄一しか知らなかったのでまったくはじめての説明でややびっくりでした。

大圓寺(風渡野村)は曹洞宗、大成村普門院末。鷲嶽山というようです。
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大圓寺は室町時代の創建で、その頃このあたりは岩付太田氏の領地に組み入れられていました。太田氏と大圓寺とのかかわりは深く、古天明霞釜は太田道灌が茶の湯に愛用していたと伝えられ、のちに大圓寺に寄贈されたもの。寄贈者は陽光院殿で、同寺に参詣する時は、この釜で茶をたて、道灌の位牌に供えたと言われています。天明は、現在の栃木県佐野市あたりの地名で、古天明は、室町時代後期までにつくられたものの総称とのことです。「西の芦谷東の天明」と言われ、茶の湯釜の双璧と称されました。

鞄結桙゚いらく大宮営業所。
スジャータでおなじみのめいらくが大圓寺そばの見沼区大字風渡野にありました。
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こちらは「スジャータ」をはじめ、ホイップやスープ、シルクアイス、コーヒーなど、様々な商品を作っているようです。

風渡野(ふっとの)とは台地に挟まれた地域をいうようです。 バス停で読み方がわかりました。土地の歴史としてのはじまりは幕府領、1633年(寛永10年)にその一部が旗本水野氏の知行となり、その残りは1661年(寛文元年)より旗本伏見氏の知行となって2氏による協力体制ではじまったようです。

中川天神社。
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御神祭は菅原道真。見沼区中川にあります。中川天神社の創建年代等は不詳で、江戸期には中川村小名天神に鎮座、村民持ちの社だったようです。明治40年中山神社に合祀されたとのことでした。
ご神木です。
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この場所の宮ヶ谷塔(みやがやとう)とは鎮守であった氷川神社(宮)と、谷戸があったことから「宮ヶ谷戸」と呼ばれ、その表記が変化したものとのことです。もともとは江戸期より存在した武蔵国足立郡南部領に属する宮ヶ谷塔村だったようです。『武蔵国田園簿』では宮ケ谷戸村とも伝わっているようですが、『元禄郷帳』では宮ヶ谷塔村とあるとのことです。地勢上綾瀬川に近く、水利には恵まれていた反面、大水の被害に度々見舞われていたという土地柄らしいです。
地名はバス停で確認できました。

この氷川神社は中氷川神社とも呼ばれています。別称として氷川神社(大宮区)・氷川女体神社(緑区)とともに一体の氷川神社を形成していたという説がある。
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ここは崇神天皇2年(紀元前95年)創建と伝えられ、氷川女体神社と同年代の創建となるとのことです。「中氷川」の由来は、氷川神社と氷川女体神社の中間に位置することから付けられたということでもあるようです。社伝では、鎮火祭(後述)の火により「中氷川」の氷が溶け、「中川」の地名になったとされているともいうことでした。1591年(天正19年)徳川家康から社領15石の朱印を受け、明治40年(1907年)周辺の神社を神社合祀し、鎮座地の中川の「中」と、江戸期の新田開発以来、氏子付き合いを深めてきた上山口新田の「山」を合わせて、中氷川神社から中山神社へ改称したとのことでした。
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参道に「小川とく」と書かれた石碑がありました。この方はこの神社傍で住んでいた方で久留米縞織の創始者。明治期の殖産家,染色家 久留米縞織で有名。もともとの出身は筑後国三瀦郡鳥飼村(福岡県)とのことです。

春おか広場では芝生広場、ソフトボール圓、お花畑、多目的広場と広々とした空間のほか、多目的ホール・会議室・和室・料理実習室があります。研修、会議、習い事等などに利用できるとのことです。桜やヒマワリの満開のころに来てみたいものです。
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「緑のヘルシーロード」及び「水と緑のふれあいロード」は、見沼代用水路やその支線用水路の改修により生み出された土地や管理道路を有効に利用して設置された、自転車・歩行者・農耕車の専用道路です。サイクリングやジョギングをしながら、水と緑に囲まれた田園空間を楽しめそうです。

見沼代用水(みぬまだいようすい)は、江戸時代の1728年(享保13年)に幕府の役人であった井沢弥惣兵衛為永が新田開発のために、武蔵国に普請した灌漑農業用水のこと。名前の通り、灌漑用溜池であった見沼溜井の代替用水路で流路は、現在の埼玉県行田市付近の利根川より取水され、東縁代用水路は東京都足立区、西縁代用水路は埼玉県さいたま市南区に至っているとのことです。
今日は見沼代用水東縁(みぬまだいようすいひがしべり)に沿ってウォーキングしました。
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レストラン「キットチエント」は、見沼区深作にある畑に囲まれた一軒家レストランでした。肉の挽き方にもこだわる洋食屋という感じ。地産地消の野菜などの材料にこだわったお料理を提供しているようです。
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メニューで確認するとお値段はリーズナブル。是非また来たいと思いました。

深作氷川神社は深作村の鎮守として創建され、『風土記稿』に「氷川社村の鎮守なり、覚蔵院の持、社辺に庵を作り、覚蔵院より僧をおひて(置いて)社を守らしむ」とあるとのことです。明治の初めに神仏分離が行われるまでは、地内にある覚蔵院という真言宗の寺院がこの神社を管理していたようです。
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この神社で300年以上続いている「深作ささら獅子舞」があるとのこと。実は境内には、氷川・諏訪・太神宮の三社が合祀されていて氷川様には神楽を、諏訪様には獅子舞を奉納する習わしとなっていたのですが神楽は長い間途絶え、神楽殿も数年前に焼失してしまったようです。 「ささら獅子舞」は、牝獅子、中獅子、牡獅子の3頭立てで、他に花笠を被るササラ2人、笛方2人、山神(天狗)1人の役があり、道行きでは総代を先頭に金棒曳き2人、神主、親方、ホラ貝等が加わるものです。毎年8月にお祭りがあるようです。

宝積寺(ほうしゃくじ)。
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曹洞宗寺院の宝積寺は、深作山延命院といいます。こちらは、密庵俊茂が開基、實州参和尚(寛永6年1629年寂)が開山したといわれており新秩父三十四ヶ所霊場29番でもあります。本堂には円空作役行者像(えんくうさくえんのぎょうじゃぞう)があり、わざわざご住職が見せてくださいました。
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板石塔婆は供養のため造立された卒塔婆の一種で天沼町の大日堂板石塔婆に次いで市内二番目の大きさ。石材は緑泥片岩で、塔身部上部に五点具足のアーンク(梵字の胎蔵界大日如来)を薬研彫りし、その下に造立趣旨が刻まれています。

深作多目的遊水地はさいたま市見沼区を流れる深作川の多目的遊水池でL字型に曲っているのが特徴とのこと。説明では 遊水池の南には「遊水池公園」と「アーバンみらい東大宮」という住宅地があるようです。ここは遊水池とその周囲が公園化されており広々した感じでした。 手前では木の柵で中には入れないようでした。
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さいたま市見沼区の北部の綾瀬川沿いに広がる低地に「アーバンみらい東大宮」があります。バス停から見ると自然の田舎の風景とビル群が同時に見られ不思議な街が出来上がっていました。この新興住宅地は 地区の東側から南側・西側を深作、北側を丸ヶ崎とが隣接し、 かつては深作沼等の広大な湿地帯であり沼を埋め立てて宅地を整備したとのことでした。一番近くには深作川が流れていました。

今朝10:00からアーバンみらいバス停1530までのウォーキングは約18000歩、歩程約9m。気温16℃、晴天でまあぁ、気持ちよかったことが一番の収穫。講師喜多見先生、TD小松さんとともに参加者26名のほとんどが満足した昼食にありつけたこともとても良い印象を残した一日でした。さいたまウォーキングはかなり新鮮で今後も楽しみです。
posted by yunofumi at 07:58| あちこちウォーク

2019年11月19日

2019.11.15 神田川船の旅

JR浅草橋駅⇒浅草橋三浦屋船着き場⇒左衛門橋⇒美倉橋⇒和泉橋⇒防災船着き場・柳森神社⇒万世橋⇒旧交通博物館⇒昌平橋⇒お茶の水橋⇒水道橋⇒後楽橋⇒三崎橋⇒新三崎橋⇒あいあい橋⇒新川橋⇒掘留橋⇒南堀留橋⇒俎橋(まないたばし)⇒宝田橋⇒雉子橋⇒一ツ橋⇒錦橋⇒神田橋⇒鎌倉橋⇒竜閑さくら橋⇒新常盤橋⇒常盤橋・常盤橋公園⇒一石橋⇒西河岸橋⇒日本橋⇒江戸橋⇒兜橋・兜神社⇒茅場橋⇒湊橋⇒豊海橋⇒永代橋⇒中央大橋⇒佃大橋⇒勝鬨橋⇒築地大橋〜これより東京湾〜浜離宮⇒晴海運河⇒相生橋⇒〜これより隅田川⇒永代橋⇒隅田川大橋⇒清州橋⇒新大橋⇒首都高速7号⇒両国橋⇒JR総武線⇒蔵前橋⇒厩橋(うまやはし)⇒駒形橋⇒吾妻橋⇒浅草寺二天門船着橋・言問橋⇒浅草・むぎとろ本店

本日は朝日旅行の神田川・日本橋川・東京湾・隅田川に架かる約60橋を眺めながらのクルージングに参加。

9:40JR浅草橋駅東口改札に参加者41名、講師2名、TD1名でスタート。
浅草橋駅より徒歩3分、神田川にかかる浅草橋と左衛門橋の間にある屋形船三浦屋の粋人丸に乗船。
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客席の一番前に着席できスタート後、すぐに左衛門橋をくぐって行きましたがどうやら橋の名前が書かれているのもあったりなかったり。これは注意してみていこうと意識しはじめてすぐ神田ふれあい橋に遭遇。橋の上を見るとJR山手線がちょうど走ってきました。
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これはちょっと面白い写真も撮れるかもと期待が高まりました。

左手に旧交通博物館、正面に昌平橋。赤レンガが歴史を感じさせます。
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お茶の水分水路入口。
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神田川の途中にあった地下トンネルへの入口が分水路の入口。分水路は地面の下に作られた人工の川で、川の本流のバイパスの役割があるらしいのです。大雨などの時には調整するようです。

防災船着場がこれより先にいくつも見えました。1993 年に発生した阪神大震災の際、大阪湾内で物資や帰宅難民の輸送に対して船舶が利用されたのです。このことから災害時において河川を利用した舟運が見直され、大都市圏では災害時に利用可能となる『防災船着場』が急遽建設されるようになったようです。和泉橋防災船着場は、千代田区が管理している船着場で、千代田区役所和泉出張所の裏に設置された船着場とのことで2005年にできたようです。

後楽橋を過ぎるともう日本橋川です。
俎橋(まないたばし)は靖国通りにある橋で東側は神田神保町三丁目、西側は九段北一丁目及び九段南一丁目を結んでいるとのことです。もともとの橋が2枚の俎(まないた)を渡したような板橋であったことでついた名前または、近くに存在した台所町との関連で名付けられたとするいわれがあるとのことです
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宝田橋あたりから石垣が目立ちました。これは昔の江戸城の石垣のままということです。島津藩の丸に十の彫り物などが見られました。
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一石橋をくぐった時、今日は見えませんでしたがこの界隈は江戸時代迷子が多く、迷子探しの告知石碑があります。一国橋は北側に金座支配・後藤正三郎、南に呉服商頭取後藤縫殿助の屋敷があり後藤(五斗)を二つ足して一石で橋の名前にしたとようです。
日本橋は初めてできたのは1603年(慶長8年)。当時は木造の太鼓橋。現在の石造二重アーチは1911年(明治44年)。

新しくできた豊洲市場。
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この反対側には東京オリンピック選手村。

兜橋あたりから広々。東京スカイツリーも見えました。
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隅田川に出て再び永代橋、中央大橋、佃大橋、勝鬨橋を過ぎると築地大橋がありいよいよ東京湾です。


相生橋
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これより再び隅田川に入り厩橋(うまやはし)、駒形橋、吾妻橋を経て浅草寺二天門船着橋に到着。
ついてみれば川べりから東京スカイツリーがきれい!!
10:00から正午過ぎまでのクルージングを終え、すぐそばの浅草・むぎとろ本店に直行。ミニ懐石むぎとろ膳をいただきました。最後のデザートはとろろ入り抹茶アイスクリームでお腹がいっぱいになりました。
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本日は晴天に恵まれ、気温約15℃。風もあまりなく暖かい日よりでしたが船はそれなりのスピードでした。前もって連絡をいただいていたのでダウンの上下を着こみ手袋をはめ、穏やかな気分で一日中過ごせました。またどの橋の上にも高速道路が縦横無尽に走っており、すごい時代だと思いました。今後は日本橋の上の道路が取り除かれると聞いていますのでせめてもと安堵しております。
posted by yunofumi at 07:48| ドタバタ日記

2019年10月30日

2019.10.26. 2巡目第8回東京の新発見旅「荒川区」

本日も晴天!東武東上線上福岡駅からJR南千住駅はかなり乗り替えながらで遠い!
でもいつもの通り早めに到着し、マクドナルドでお茶の後、集合!

JR南千住駅⇒両国回向院⇒コツ通り商店街⇒素盞雄神社⇒千住大橋⇒南千住熊野神社⇒天王公園⇒荒川ふるさと文化館・南千住図書館⇒円通寺⇒浄閑寺(投げ込み寺)⇒南千住商友会商店街⇒都電三ノ輪駅… 荒川2丁目駅⇒吉村昭文学館⇒荒川区防災センター⇒荒川警察署⇒常磐線第2三河島ガード⇒尾竹橋通り⇒ザ味元(昼食)⇒第二日暮里小学校⇒日暮里繊維問屋街⇒書道博物館・中村不折旧宅⇒子規庵⇒御隠殿跡⇒羽二重団子⇒善性寺⇒JR日暮里駅

JR南千住(みなみせんじゅ)駅には今回はJRで到着。見回せば東京地下鉄(東京メトロ)、首都圏新都市鉄道の駅がそれぞれに存在し、ちょっと複雑。歩行者は慣れているのかスイスイ歩行ですがこちらはちょっとウロウロ気味。

両国回向院(りょうごくえこういん)は荒川区南千住五丁目。正称は豊国山(ほうこくさん)回向院。小塚原回向院ともいわれます。 もともとは1651年(慶安4年)に新設された小塚原(こづかっぱら、こづかはら)刑場での刑死者を供養するため、1667年(寛文7年)に本所回向院の住職弟誉義観(ていよ・ぎかん)が常行堂を創建したことがはじまり。
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安政の大獄により刑死した橋本左内・吉田松陰・頼三樹三郎などのお墓をお参りした後、1771年(明和8年)に蘭学者杉田玄白・中川淳庵・前野良沢らが刑死者の解剖(腑分け/ふわけ)に立ち合ったことを記念した観臓記念碑(建立は1922年)を見ました。
また忘れてはいけない戦後の代表的な誘拐事件、「吉展ちゃん事件」の「吉展地蔵尊(よしのぶじぞうそん)」にも手を合わせました。

南千住コツ通り商店街はJR南千住駅の西側から千住大橋へ続く道で、由来は中世以来の地名「小塚原(こつかっぱら)」を略した説が有力なようです。江戸時代は日光道中の初宿、千住宿が置かれ、当時から多くの商店が軒を連ねていたとのこと。昔は延命地蔵尊の縁日で賑わったのが、今日では「ごりやく富くじ市」が開かれているとのことでした。

素盞雄神社(すさのうじんじゃ)の開祖となる黒珍(こくちん)の住居の東方小高い塚上に奇岩があり、黒珍はそれを霊場と崇め日夜斎戒礼拝すると、平安時代795年(延暦14年)、小塚の中の奇岩が突如光を放ち二柱の神様が翁に姿を変えて現れ、「吾れは素盞雄大神・飛鳥大神なり。吾れを祀らば疫病を祓い福を増し、永く此の郷土を栄えしめん。」と御神託を授け、黒珍は一祠を建て丁重にお祀りし、この神社がが御創建されたとのことです。
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千住大橋(せんじゅおおはし)は、隅田川にかかる橋で、国道4号(日光街道)を通っています。北岸は足立区千住橋戸町、南岸は荒川区南千住六丁目。旧橋(下り方向)・新橋(上り方向)の二橋で構成されており、旧橋の上流側に東京都水道局の工業用水道専用橋である千住水管橋がほぼ並行しています。
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最初に千住大橋が架橋されたのは、徳川家康が江戸に入府して間もない1594年(文禄3年)で、隅田川最初の橋です。当初の橋は現在より上流200mのところで、「渡裸川の渡し(戸田の渡し)」と呼ばれる渡船場があり、古い街道筋にあたった場所とのこと。 架橋を行ったのは関東代官頭の伊奈忠次。橋長66間(120m)、幅4間(7m)の橋で、土木工事の大家だった伊奈忠次でも難工事だったようで、熊野権現に祈願してようやく完成したといわれています。

南千住熊野神社は、源義家が永承5年(1050)勧請したと伝えられているようです。北千住と南千住を結ぶ大橋を架けた文禄3年(1594)伊奈備前守がここに成就を祈願、残りの材木で社殿修理を行なったことから、橋の架け替えごとに祈願と社殿修理が慣例となっているということです。
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荒川ふるさと文化館は平成10年に、郷土の歴史・文化を楽しみながら学び、探求する場として開館。南千住図書館と併設されていました。荒川ふるさと文化館では、荒川に関する考古・歴史・民俗資料を、荒川の通史に基づき展示公開しています。常設展示では荒川区内で発掘された遺跡や土器、中世の板碑、近世の町や農村の暮らし、銭座の作業風景、昭和41年頃の復元家屋などがありました。
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円通寺(えんつうじ)は、曹洞宗の寺院で山号は補陀山。本尊は聖観音菩薩。
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このお寺は、791年(延暦10年)坂上田村麻呂によって開かれたと伝わっています。明治維新の折、1868年(慶応4年)に行われた上野戦争で亡くなった彰義隊の隊員を現在上野公園の西郷隆盛像があるあたりでこの寺の住職が火葬を行ったとのことです。 このことから、この寺には火葬を行った場所の近くにあった上野寛永寺の総門(黒門)が移築され、亡くなった彰義隊の隊員の墓もあるのです。
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浄閑寺(じょうかんじ)は浄土宗の寺院で山号は栄法山。吉原遊廓の近くにあることから遊女の投げ込み寺としても知られているようです。 地名の三ノ輪から「三ノ輪の浄閑寺」といわれることも多いようです。
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このお寺は1655年に創建され、吉原遊廓の誕生(1657年)よりも早かったようです。この寺が投げ込み寺と呼ばれるようになったのは安政の大地震(1855年)で大量の遊女が死亡した際にこの寺に投げ込んで葬ったことによるとのことでした。
永井荷風の文学碑・筆塚がありました。
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都電荒川線(あらかわせん)は、南千住の三ノ輪橋停留場から西早稲田一丁目の早稲田停留場までを結ぶ、路面電車。愛称は、東京さくらトラム、途中の停留所は30か所で路線距離は12.2km。今日は三ノ輪橋駅から荒川2丁目駅まで乗りました。
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吉村昭文学館。
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吉村昭さんは日暮里に生まれ、空襲で家が焼失するまでの18年間を荒川区で過ごした方です。学習院大学在学中に執筆活動を開始、昭和41年(1966)に「星への旅」で太宰賞を受賞、同年「戦艦武蔵」を発表し話題となりました。戦史・歴史・医学・動物など幅広い題材を扱い、入念な取材をもとにした作品を数多く描いているとのことです。このように様々なテーマを持つ吉村文学に親しむとともに、吉村文学を契機として更に広範な文学に親しみ、心を豊かにし、知的好奇心を満足させることができる空間を提供するということで南千住図書館と同居の形でこの文学館ができているようです。

ザ味元(ザミゥオン) は韓国料理のお店。普通はとても辛いようでしたので辛くないようにとカルビ定食を希望して美味しくいただきました。
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中央にあるのは4人前です。念のため、、、。

夕焼小焼(ゆうやけこやけ、夕焼け小焼け)は、1919年(大正8年)に発表された中村雨紅の詞に、草川信が1923年(大正12年)に曲をつけた童謡で1923年に『文化楽譜 あたらしい童謡・その一』に発表され、童謡としては最も広く親しまれている作品の一つです。
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作詞者の中村雨紅は、1916年に第二日暮里小学校の教師となり、1918年に日暮里町第三日暮里小学校へ転勤。第三日暮里小学校在職中に夕焼小焼の作詞が行われたため、現在の荒川区立第二日暮里小学校前に「夕焼け小焼けの記念碑」があるのです。ちなみに荒川区立第三日暮里小学校には「夕焼け小焼けの記念塔」が建立されているとのことでした。
この歌の情景は、雨紅の故郷八王子の恩方村の様子。彼の生家の近くにある「夕やけ小やけふれあいの里」前には「夕焼小焼」バス停が設置され、今でも高尾駅と陣馬高原下を結ぶ路線のバスが停車するとのことです。

日暮里繊維街は東日暮里3丁目から6丁目までの四町会にまたがり、日暮里中央通り(バス通り)を中心に両側約1kmにわたり80軒以上の生地織物の店が連なる繊維の街。繊維街には和装、洋装、紳士婦人服地、繊維製品から服飾関連の小物から付属品5に至るまで生地織物に関する全てのものを品揃し便利な街なのです。
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書道博物館は、洋画家であり書家でもあった中村不折(1866-1943)が、その半生40年あまりにわたり独力で蒐集した、中国及び日本の書道史研究上重要なコレクションを有する専門博物館。
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殷時代の甲骨に始まり、青銅器、玉器、鏡鑑、瓦当、塼、陶瓶、封泥、璽印、石経、墓券、仏像、碑碣、墓誌、文房具、碑拓法帖、経巻文書、文人法書など、重要文化財12点、重要美術品5点を含む東洋美術史上貴重な文化財が多くありました。

子規庵の建物は、もともとは旧前田侯の下屋敷の御家人用二軒長屋だったようです。
明治27年子規はこの地に移り、故郷松山より母と妹を呼び寄せ、子規庵を病室兼書斎と句会歌会の場として、多くの友人、門弟に支えられながら俳句や短歌の革新に邁進しました。
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子規没後も、子規庵には母と妹が住み、句会、歌会の世話をつづけたとのことです。


御隠殿跡(ごいんでんあと)。
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輪王寺宮一品法親王は、天台座主に就き、東叡山・日光山・比叡山の各山主を兼帯し「三山官領宮」とも呼ばれた方。その後、第三世から幕末の第十五世まで、親王あるいは天皇の猶子(養子)を迎え継承され、ここはこの輪王寺宮の別邸「御隠殿」があった所。 輪王寺宮は一年の内九ヶ月は上野に常在されの時は寛永寺本坊(現、東京国立博物館構内)で公務に就き、この御隠殿は休息の場として利用したようです。1868年(慶応4年)御隠殿は彰義隊の戦いによって焼失し、現在ではまったくその跡を留めてなくこの説明板のみでした。

羽二重団子(はぶたえだんご)はきめがこまかく羽二重のようだと絶賛されたのが由来とのことで、そのまま名前となっているようです。生醤油を塗った焼き団子と、さらし餡を巻きつけた餡団子の二種類がありました。
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今日は漱石もなかをお土産にしました。

日蓮宗寺院の善性寺は、関妙山といい長亨元年(1487)に創建、寛文4年(1664)六代将軍徳川家宣の生母長昌院が葬られて以来、将軍家ゆかりの寺となったとのことです。
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今日は石橋湛山第55代総理大臣と第35代横綱双葉山のお墓を見ました。

日暮里駅前に太田道灌の鷹狩の姿の銅像がありました。鷹狩の途中雨に会い村娘に山吹を差し伸べられた逸話があり、そばには村娘の像もありました。
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日暮里の地名は「新堀村」からきているようですが“ひぐらしのさと”と読んだともいうことです。江戸時代の古地図には日暮里も新堀村も表記があり、日暮里は“あまりにも心地良い所で日が暮れるのを忘れてしまうほど一日を楽しむことができる里”という意味だそうです。

本日はAM10:00〜PM15:15まで歩程約10km約14000歩は青空の元、気温24℃でスムーズに終了。このシリーズは2巡目ですが本日のように前回には見なかった施設にもうかがえてなかなか有意義な1日となりました。帰りの道すがら吉村昭作品を近日中に図書館で見てみようと思いました。今日得た知識からまた違った見方ができるかもしれないという期待感がわいています。
posted by yunofumi at 21:26| あちこちウォーク

2019年10月21日

2019.10.20 さいたま彩発見ぶらり街あるき 第5回中央区

本日の気象予報では昨日とは打って変わり温かい一日となりそうとのこと。有難く思いつつ脱ぎ着しやすい服装でお出かけしました。講師喜多見先生、TD小松さんの元に参加者22名が集合した10:00にスタート。
本日の歩程説明で与野七福神巡りもするとのこと、また埼京線の説明が印象的でした。
以下、ウォーキングルートには七福神を巡った順番も数字で入れてみることにいたします。

JR埼京線南与野駅西口⇒鈴谷西公園⇒与野鈴谷郵便局⇒埼大通りのけやき並木⇒コメダ珈琲⇒妙行寺⇒金毘羅天⇒鈴谷西保育園⇒かやの木通り⇒鈴谷大堂@毘沙門天⇒与野西中学校⇒埼玉芸術劇場⇒円福寺A布袋尊⇒大木屋⇒圓乗院B大黒天⇒与野公園⇒天祖神社C寿老人⇒レストラン「シャルダンドヨノ」(昼食)⇒御嶽社D弁財天⇒大国社⇒あおいとり幼稚園⇒八王子神社⇒浅間神社⇒不動明王⇒円阿弥通り⇒氷川神社E福禄寿⇒長伝寺⇒うなぎの相川屋⇒おかずや⇒赤山通りの地蔵菩薩立像⇒一山神社F恵比寿神⇒蔵造り石川家⇒鴻沼川⇒JR埼京線与野本町駅

JR埼京線(さいきょうせん)は、都内品川区の大崎駅から新宿区の新宿駅、豊島区の池袋駅、北区の赤羽駅、さいたま市南区の武蔵浦和駅を経由し、大宮区の大宮駅までを直通運転している路線。実はこの路線はJR東日本の運転系統の通称で正式には大崎駅 - 新宿駅 - 池袋駅間は山手線(山手貨物線)、池袋駅 - 赤羽駅間は赤羽線、赤羽駅 - 武蔵浦和駅 - 大宮駅間は東北本線支線(別線)を走行していると初めて伺い、ちょっとびっくり。路線の開業は1985年、路線距離は約37km。もともとは東北新幹線高架を作るときに地元貢献でできたような、、、。なかなか複雑!!もっとも私はほとんど利用する機会がなかったのでこの話は聞いたこともなかったのです。

埼大通りのけやき並木。
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この並木がある国道463号線は埼玉県越谷市から、さいたま市、所沢市を経て、入間市へ至る総距離58kmの国道。北浦和駅入口交差点から所沢までの19.7kmのうち17kmにわたり、その数2417本の欅が植栽されており「日本一長いケヤキ並木」なので、「新・日本街路樹100景」にも選ばれているとのことです。
けやき(欅)はニレ科の落葉樹で春には新しい葉をつけ、うすい黄緑色の小さな花も付きます。「埼玉県の木、さいたま市の木」でもあり、あちらこちらで見られます。

妙行寺(みょうぎょうじ)は、日蓮宗の寺院で山号は東永山。旧本山は下総の大本山正中山法華経寺。もともとは鎌倉時代に創建された臨済宗寺院の東栄山心浄寺が起源。1408年(応永15年)に日英が日蓮宗に改めたとのこと。1649年(慶安2年)徳川家光から寺領10石の朱印を拝領。以後1860年(万延元年)まで計7通の朱印状が伝わっています。1773年(安永2年)火災で伽藍を焼失し、1778年(安永7年)諸堂を復興、山号を東栄山から東永山に改めた。現在の本堂は1930年(昭和5年)の火災焼失後、1935年(昭和10年)に再建されたものとのことでした。
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妙行寺に隣接して金毘羅天堂がありそばには「与野の大カヤ(榧)」(国の天然記念物)がそびえていました。通称、カヤの木の寺として知られています。
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この大カヤは平安時代中期の長元年間(1,028年〜1,037年)に植えたということで樹齢は1,000年以上。国の天然記念物に指定された1932年時点で大きさが樹高21.5m、根回り周囲13.5m、目通り周囲(目の高さでの幹周り)7.28m。今も樹勢は元気そのものですから、果たしてどこまで大きく成長しているのでしょう、ビックリ!
また、妙行寺境内の裏手には「妙行寺のモッコク」もありました。
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樹齢600年、幹回り3.5m、高さ7m。5年前には枯れ枝が目立っていたのですが庭師さんの頑張りで今は自らの力で蘇っているようです。

「正元二年銘の板石塔婆」
江戸時代の文化文政期に活躍した俳人・鈴木荘丹(すずきそうたん)(1732年から1815年)の墓です。
江戸の商家に生まれた荘丹は、儒学・医学・俳諧などを学び、医師として活躍していました。その後、松尾芭蕉の系統を引く雪中庵・大島寥太の門に入り、晩年は、与野に移り住み、近郷を巡って芭蕉の俳風の普及に努めました。墓石には、「秋の空こゝろ動す風もなし」と辞世の句が刻まれています。

稲垣田竜(いながきでんりゅう)の墓。
名主稲垣家に生まれ、江戸で剣術・柔術を修行する。後に幕臣の浅野北水について西洋流の天文学・暦学を学び名をはせた。帰郷後は家を継ぎ村政にあたる一方で文武両面で後進を指導したのです。

与野七福神の毘沙門天@鈴谷大堂。
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ここは真言宗智山派寺院の仏堂。創建年代等は不詳で、境内石碑によると「六地蔵の銘文から江戸時代前期の寛文7年(1667年)には存在していたことがわかるようです。

彩の国さいたま芸術劇場はさいたま市の複合舞台芸術施設。 管理者は埼玉県で1994年(平成6年)10月に開館。設計は 建築家の香山壽夫(香山アトリエ + 環境造形研究所)。
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彩の国シェイクスピア・シリーズ が 1998年より上演されており、芸術監督は演出家の蜷川幸雄から蜷川が2016年5月に他界した為、俳優・演出家の吉田鋼太郎を2代目芸術監督として迎え、ウィリアム・シェイクスピアの全戯曲37作品のうち第33弾よりシリーズ完結まで務めることが決定しているとのことです。
蜷川さんの記念品展示。
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本日は日曜日のため各ホールが使われており映像ホールで全体像を開設頂いた後、大稽古場を見せていただきました。

与野七福神の布袋尊A円福寺。
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真言宗智山派寺院の円福寺は、北明山と号します。円海(大永元年1521年寂)が創建、東光坊として創建、江戸幕府より寺領5石の朱印状を拝領したと伝えられています。境内の釈迦堂には木造釈迦如来坐像がるとのことです。北足立八十八ヵ所霊場15番でもあるとのことです。

大木屋は130年以上にわたり、当時と変わらない店構えで、呉服を中心に婦人用品などを取り扱うお店。
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宝永年間(1704〜1711年)から続く『与野夏祭り』の地元でもあることから、創業以来、祭りや神事に関連する布製品の品揃えも多彩で、特に近年は、初午や節句の際に祭壇に飾る木綿の五色布を扱う数少ない店として、市内に限らず、遠方からの注文にも対応しているとのことです。本日は日曜日のため休業となっていました。またあとで伺う予定の足の神社大国社に奉納するわらじも販売しているとのことでした。

与野七福神の大黒天B圓乗院。
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ここは真言宗智山派寺院で安養山西念寺と号します。円乗院は、畠山重忠が建久年間(1190-1199)道場村(現桜区道場)に創建、慶長年間(1596-1615)に当地へ移転、慶長19年(1614)には江戸幕府より寺領15石の御朱印状を拝領、近隣に数多くの末寺を擁していたということです。北足立八十八ヵ所霊場初番札所でもあります。

与野公園は明治10年に開設された約51,000uの緑の公園。サクラとバラの名所として有名。 染井吉野の桜や約180種、3,000株のバラが見られます。本日は秋バラが綺麗でした。
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与野七福神の寿老人C天祖神社(てんそじんじゃ)。
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与野天祖神社は、与野公園の中にある神社。与野天祖神社の創建年代等は不詳のようですが、文政年間(1818-1830)の「与野町並絵図」に「神明山」と記載があり、江戸時代末期には祀られていたのではないかといわれています。明治8年天祖神社として与野町の村社に列格したようです。

レストラン「シャルダンドヨノ」。(旧店名シャンソニエ)
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建物が綺麗で店先にドラマ撮影で使われたことが紹介されていました。
メニューはかぼちゃのポタージュ、メカジキの香草パン粉焼き、アイスクリーム、珈琲で美味しくいただきました。
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与野七福神の弁財天D御嶽社。
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与野御嶽社は、御嶽講の四大講祖の一人である一心行者を支援していた名主の伊原平八が、明治初年前後に創建したということです。

与野大國社の創建年代等は不詳。実は円乗院の守り神として祀られたとも伝えられており、江戸期には蔵王権現社と称されておりその後、明治初期に大国社と改めたのではないかということです。
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樹木に覆われた直径20mにも満たない小さな丘の上まで鳥居をくぐり、10段程の階段を上がると、小さな本殿正面に、多くのわらじが奉納されていました。地元では「与野大権現」として知られており多くのわらじが奉納されていました。喜多見先生が私たちのツアーの無事を祈り大木屋さんから購入されたわらじを奉納してくださいました。
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新大宮バイパスから見えるように大きな看板が出ています。
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八王子神社。
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八王子神社の創建年代等は不詳ながら、『融通念仏縁起』(京都清涼寺所蔵)によれば、正嘉年間(1257-59)のころ「全国的に疫病が流行した時、与野郷のある名主が、念仏を修し、家内の老若男女もろともに疫病を免れた」といい、比叡山で守護神と祀っている八王子権現を当地に祀られたのではないかといわれています。江戸時代には八王子村の鎮守となり、明治6年村社に列格となったとのことです。
この神社の境内にで、与野浅間神社もありました。
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八王子神社、浅間神社をでてすぐ不動明王像がありました。
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両腕がなく、いわれもわからずお気の毒でした。

円阿弥(えんなみ)の辺りは江戸期より存在した武蔵国足立郡与野領に属する円阿弥村であったとのことです。地名の由来は戦国期に当地に居住していた岩槻城主太田氏房の家臣でもある領主の名前の円阿弥によるとのことでした。今はさいたま市の大宮台地上に位置しております。

与野七福神の福禄寿E氷川神社。
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大戸は、古くは与野郷に属し、与野市下落合から浦和市鹿手袋に広がっていた鴻沼(こうぬま)を望む平坦地にあり、地名の大戸はこの鴻沼への入口に由来するということでした。この神社は、大戸のほぼ中央に鎮座しているのです。

長伝寺の創建年代は不詳ながら、古くよりこの地に真言宗寺院として長伝寺があったといいます。後に芝増上寺12世となる観智国師が当寺を浄土宗に改めて開山、江戸期には幕府より寺領寄進の御朱印状を拝領していたとのことです。
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西沢曠野の墓や伊達政宗が寛政九年(1632年)政宗が臨済宗南禅寺の高僧以心崇伝(本光国師)に出した書状があると紹介されていました。
西沢曠野は、1743年(寛保3年)与野本町に生まれ、その後江戸に出て、儒学者細井平洲の門人となり、さらにその後与野に帰郷後、家業のかたわら漢学塾を開き近在の子弟教育にあたり、後世「与野聖人」と慕われたことでしられているようです。
長伝寺の本堂の欄干に龍がいました。この龍は雨続きの時、川の水を飲んで、水没しかけていた田や畔を救ったという言い伝えがあるそうです。
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赤山通りの石造地蔵菩薩立像。
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江戸時代後期(推定)。像高181.0cm。胸・胸部の損折は安政の大地震のものとのことです。

与野七福神の恵比寿神F一山神社(いっさんじんじゃ)
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一山神社は、与野の御嶽講(一心講)を建て直した一山を慕った講員が、八幡社の境内に御嶽大神を勧請、一山神社と称して嘉永年間(1848-53)に創建したということです。
一山は俗名を治兵衛といい、相模国津久井郡の出身で壮年になって藤原家(平八)の養子となったようです。信仰心厚く、御獄大神を尊信して御嶽講の行者となった一山はが一心講の復興に努め、自らは一山講を興し、晩年、この地に霊場を設け、ついに数万の信者を擁するまでになったようです。ここは「柚子祭り」が有名だそうです。

本町通りに出ると数件蔵造りの家がありました。ここではバラの街中央区フェスタが今月開かれたそうです。

鴻沼川(こうぬまがわ)は、埼玉県さいたま市を流れる一級河川。荒川水系鴨川の支流で上流では霧敷川(きりしきがわ)、下流では鴻沼川、また鴻沼排水路(こうぬまはいすいろ)とも呼ばれているとのことでした。この川に沿って行くと本日のゴール与野本町駅でした。

本日はやや汗をかきながらの約10km弱のウォーキングでした。与野公園の金木犀や秋バラをはじめ思ったより見る所が多く、しかも七福神があることにはちょっとびっくり。お正月しか七福神は御開帳ではないので本日は見られませんでしたがいずれも近い寺社と分かりましたのでまた伺いたいと思いました。また中央区のご厚意で折り紙のバラ、講師陣からは片山食品のねぎみそ煎餅をお土産にいただきました。
ウォーキング歩程約10km約4時間弱、気温22℃は少々暑かったのですが、お陰様で22名が元気にゴールできたことがなによりでした。感謝!
posted by yunofumi at 22:38| あちこちウォーク

2019年10月06日

2019.10.5 しまなみ海道6島と小豆島巡り(3日目)

2019.10.5 しまなみ海道6島と小豆島巡り(3日目)
バンザーイ!今朝も晴天!元気に皆で今治国際ホテル8:15出発。

今治国際ホテル⇒来島海峡第二大橋⇒大島⇒伯方島⇒多田羅大橋⇒B生口島IC⇒耕三寺⇒平山郁夫美術館⇒生口島IC⇒多田羅大橋⇒大三島IC⇒C大三島・大山祇神社⇒伯方の塩工場見学⇒多田羅しまなみ道の駅⇒多田羅大橋⇒瀬戸内茶屋・汐の季(昼食)⇒D伯方島・船折の瀬戸⇒伯方島IC⇒大島大橋⇒来島海峡⇒E大島・亀老山(きろうさん)展望公園⇒来島海峡大橋⇒来島海峡IC⇒今治北IC⇒今治小松自動車道⇒東松山自動車道⇒今治湯の原IC⇒松山空港⇒羽田空港⇒自宅

来島海峡大橋は、愛媛県今治市、瀬戸内海の来島海峡を跨いで大島と四国を結ぶ長大橋で、来島海峡第一大橋、来島海峡第二大橋、来島海峡第三大橋の総称とのこと。本州四国連絡橋の尾道・今治ルートを構成する橋の1つ。 3つの長大橋梁により構成された世界初の3連吊りということでした。橋の姿は本当にきれいでした。

B生口島(いくちじま)は芸予諸島の一つでここは広島市の尾道市だそうです。東隣にあるのが尾道市の因島、北西隣が同じ尾道市の高根島。こちらには今回行きませんでした。西には今治市の大三島、南が今治市の伯方島。
生口島と因島に架かる多々羅大橋はこれまた綺麗。

耕三寺(こうさんじ)は、生口島にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号は潮声山(潮聲山)。1936年(昭和11年)から伽藍の建立が始められた新しい寺院で、日本各地の古建築を模して建てられた堂塔が建ち並び、「西の日光」「母の寺」とも呼ばれているとのこと。耕三寺の開山は、大正・昭和期に大阪で活躍した実業家の金本耕三、のちの耕三寺耕三が1927年(昭和2年)故郷瀬戸田に住む母のために邸宅「潮聲閣」を建て始め、母が1934年(昭和9年)に没すると、翌1935年(昭和10年)に母の菩提を弔うため出家して僧侶となり名を福松から「耕三」に改め、同年から母への感謝の意を込めて、潮聲閣周辺にて耕三寺の建立を開始したのです。その後30余年をかけて、日光東照宮陽明門を模した孝養門、平等院鳳凰堂を模した本堂などをはじめとした伽藍が完成されたのです。
孝養門。
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五重塔。
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本堂。
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金剛館。
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平山郁夫美術館
日本画の巨匠、平山郁夫の故郷、瀬戸田町に開館。本画はもとより、院展出品作を中心とした大下図(本画と同じ寸法で作られる最終的な下絵)も展示。画伯の生い立ちや貴重な少年時代の絵画で書かれた日記なども紹介されていました。
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多田羅大橋。
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吊り橋の種類では斜張橋というそうで、全長1,480 m、中央支間長890 mの「しまなみ海道」の橋梁のひとつ。1999年5月供用開始。総工費約1,400億円。しまなみ海道にある一連の橋梁のうち本州(尾道)側から4番目にあり、ICでは生口島南ICと大三島ICの間にありました。 2014年現在、国内最長の斜張橋で、世界では第5位。瀬戸田PAから橋まで歩いて行くことができるとのことです。また遠方からの見物ポイントとしては、多々羅しまなみ公園・瀬戸田PA・立石展望台(大三島)・開山展望台(伯方島)から見ることができるのです。

C大三島(おおみしま)は今治市の芸予諸島の中の1つの有人島。愛媛県の最北に位置し、愛媛県の島の中では最大。大山祇神社がある「神の島」として知られています。 大三島は島とついていますが、地理上の島に由来するわけではなく、各地にある「三島」と由来を同じくするとのこと。かつて、三島神社の総本社である大山祇神社のことを「大三島」と呼び、後にそれが島全体を指す様になったとうかがいました。

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大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)は、今治市大三島町宮浦にある神社で式内社(名神大社)、伊予国一宮。旧社格は国幣大社で、現在は神社本庁の別表神社で全国にある山祇神社(大山祇神社)の総本社とのこと。また、主祭神の大山祇神は「三島大明神」とも称され、当社から勧請したとする三島神社は四国を中心に新潟県や北海道まで分布しているとのことでした。 創建は第33代の推古天皇2年(594年)ということでした。
本殿。
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この神社では毎年春の御田植祭(旧暦5月5日)と秋の抜穂祭(旧暦9月9日)で、大山祇神社の御淺敷殿と神饌田の間に設けられた土俵で相撲神事があるとのこと。「稲の精霊」と「一力山」による三本勝負で行われ、稲の精霊が2勝1敗で勝つということで一人角力というそうです。

茶屋に行く途中に村上海賊の鶴姫像がありました。
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大山祇神社(そばの戸内茶屋・汐の季で昼食。鯛めしのはずが蛸めしでちょっとびっくり。こちらでは蛸も名物だそうですからそれなりに良かったですけど、、、。
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伯方の塩大三島工場見学。
伯方の塩の製造工程を映像や展示で紹介していました。お土産はしまなみセットを買いました。
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工場の周りを見ても塩田がなくオヤッと思ったのが最初のびっくり。説明から色々なことがわかりました。1971(昭和46年)「塩業近代化臨時措置法」により、日本では「イオン交換膜製塩」以外の方法で海水から直接「塩」を採ることが出来なくなったこと。そこで、専売公社から許された製塩法は、「メキシコ、オーストラリア」から輸入していた「原塩(天日塩田塩)」を利用する方法となったのでした。1997(平成9年)「塩専売法」の廃止で海水からの直接製塩が認められ、2002年(平成14年)からは塩の自由化により原料塩の産地を選択できるようになりこちらの会社ではメキシコまたはオーストラリアの天日塩田塩を日本の海水に溶かして、ろ過した後のきれいな塩水を原料にしているとのことでした。

多々羅しまなみ公園は大三島ICを降りるとすぐでした。世界有数の斜張橋「多々羅大橋」やすがすがしい瀬戸内海の景色を一望できるビューポイントとして人気をがあるとのこと。
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新鮮な魚介類・農作物を用いた料理のレストランや特産品センター、また地元で採れた新鮮な野菜・柑橘・海産物の販売をする農水産物直売所・上浦ふれあい屋台市がありました。

D伯方島の船折の瀬戸(ふなおりせと)
伯方島(はかたじま)と鵜島(うしま)の幅約300mの狭い海峡は、船折瀬戸(ふなおりせと)と呼ばれ、最大8ノット(時速15km)の潮流に向かって進む船舶の光景は珍しかったです。
船折瀬戸ということは狭い島と島の間を流れる潮流が船も折れるほどの激しさで昔の船乗りを苦しめたことから付けられたということでした。
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船折瀬戸に浮かぶ小さな島「鶏小島」は古墳遺跡があり、水軍の出城があった島です。金鶏伝説の地としても知られ、元旦の朝「東天紅」となく鶏の声を聞いた者に幸福が舞い降りると伝えられています。

E大島・亀老山(きろうさん)展望公園。
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ここは大島の南端にある亀老山の展望公園で約160段あまりの階段を上ると標高307.8mでしまなみ海道でも最高の眺望を有する絶景の展望台。西日本最高峰石鎚山(いしづちさん、いしづちやま)や来島海峡大橋が見られました。

松山空港に向かう途中では今治造船所も見られこの地方を支えている産業を垣間見た気がしました。
松山空港から羽田空港までは1時間30分弱。羽田空港ではちょうど川越行のリムジンバスに乗車できラッキー。本日はあちらこちらの見物でバス乗降が多くあり、自宅に帰ると15000歩。そしてお土産もそこそこゲットでき、とても楽しい旅行でした。そして旅行中に見聞きした「二十四の瞳(著:坪井栄)」と「村上海賊の娘(著:和田竜)」を再度読み直してみようと考えております。
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posted by yunofumi at 23:38| ドタバタ日記